第30話 採譜師への道を邪魔する者

「いいなぁ、いいなぁ」

 教会内の掃除をはじめてから、ガイオがずっと言い続けている。

 今日から僕が採譜の仕事を学ぶことを耳にしたようだ。


 孤児たちは教会内ので掃除を目指す。

 毎日安定して作業があるうえに、天候に左右されないから。

 これ以上の仕事はない。

 孤児たちにとっての最高ランクの仕事だ。

 それより上はない。

 そこが天井。

 なのに、僕は天井をぶち破ってしまった。

 修道士でもなかなか任されない採譜の仕事。

 それを僕がつかんだ。

 いつクビになるかわからないけど、とりあえず採譜師への道が開かれた。


「もし一人前の採譜師になれたら、教会から独立しても食いっぱぐれがないよな」

 ガイオが掃除しながら羨ましげな目で僕を見た。

「どうやって修道士長さまに取りいったんだ? 教えろよ」

 ガイオは、僕が採譜の仕事を得るきっかけを知らないようだ。

 それをゼスチャーで伝えるのは難しい。

 ヴィヴィ以外にはうまく伝わらないだろう。

 仕方なく、僕は曖昧あいまいに笑ってみせた。


「前から思ってたんだけど、レオって運があるよなぁ」

 ガイオがため息をつく。

 僕もそう思う。

 この世界は、現代世界と比べて生きづらい。

 孤児は大半が幼少期に餓死する。

 大人になっても死は身近な存在だ。

 仕える主人に殺されたり、戦いに駆りだされて戦死したり、病死したり。

 死ぬ理由はたくさんある。

 この世界での平均寿命は相当短そうだ。

 そのなか、僕は異世界からやって来たにも関わらず生き延びている。

 それはひとえに運がよかったから。

 ジェロに助けられて教会に連れてこられた。

 ヴィヴィのパンで餓死を免れた。

 教会内での問題もどうにかこうにか切り抜けられた。

 なんだかんだでうまくいっている。

 でも、今後もそうとは限らない。

 なにせ、カリファのもとで仕事をするのだから。


「いいなぁ、いいなぁ」

 ガイオの羨望の声が止まらない。

 僕は返事のしようがなく、黙々と掃除を続けた。

 カリファはちゃんと教えてくれるだろうか。

 不安がよぎる。

 ダレッツォに直接指示されたから、滅多なことはしない……と思いたい。

 友好的でなくていい、普通であれば。

 厳しくていい、だからネウマ譜について教えてほしい。

 難しいだろうけど、そう願わずにはいられなかった。

 

「終わったぁ。じゃあ、俺、行くな」

 掃除を終えたガイオは、名残惜しそうにしながら教会から出ていった。

 ガイオも僕と一緒にネウマ譜を学びたいのだろう。

 でも、それは無理だと断言できる。

 ダレッツォは僕が聞いた曲を採譜できたのは、天才だからと思っているかもしれない。

 聖歌やネウマ譜を知らない孤児が、突然耳にした曲を採譜したら誰でも驚くだろう。

 モーツァルト以上の天才かもしれない。

 もちろん、僕は天才どころか才能のかけらも持ちあわせていない凡人。

 ただ単に五線譜を書く知識があり、耳コピの経験があったからできただけ。

 つまり、ガイオが天才か、僕みたいにこの世界より発達した音楽知識を持っていない限り無理。

 ガイオは孤児たちをまとめるリーダー役としてやっていくのが合っている。

 

「おい」

 遠くから声が聞こえた。

 教会の入り口にカリファが立っている。

「こっちに来い」

 カリファが強い口調で僕を呼んでいる。

 何癖をつけられないよう、僕はすぐさまカリファの元へ向かった。

「遅い」

 カリファはくいっと顎を上げ、歩きだす。

 着いてこい、そう解釈して僕はカリファを追った。


 教会の側面を歩き、後方へと向かっていく。

 どこへ行くのだろうか。

 人気ひとけのない教会の裏手に連れていかれて、暴力を振るわれる?

 まさかな。

 それはないだろうと思うけど、万が一ということもある。

 警戒しながら着いていくと、カリファが教会の側面を曲がった。

 僕は唾を飲みこんだ。

 曲がった途端に殴れたりしないだろうな。

 恐る恐る側面を曲がる。

 すると、そこに小屋があった。

 小屋の前に立つカリファが僕を睨みつけている。

「早く来い」

 小屋のドアを開け、入るように促してきた。

 初めて見る小屋だ。

 なにをするところなんだろう?

 気になる。

 小屋に入った途端になにかされるという警戒心より、好奇心を強く感じる。

 僕はすぐさま小屋に入った。


「ここはネウマ譜を保管する場所だ」

 カリファは偉そうに言い放ち、小屋の中央にある机のそばに立った。

 机上には紙や羽ペン、インクといったものがある。

 僕は壁面に並んだ棚を見つめた。

 たくさんの丸まった紙が置かれている。

「明日から教会の掃除が終わったらここに来い」

 カリファは言いながら羽ペンを手にし、それをふところにしまった。

「小屋の掃除とネウマ譜を整理しろ。それがおまえの仕事だ」

 小馬鹿にしたような口調でカリファが言った。


 ネウマ譜について教える気などさらさらない——。

 口にしなくても態度と言葉で判断できる。

 ダレッツォの言いつけを無視した行動だ。

 それに抗議しようと僕はカリファの腕をつかむ。

「離せ。おまえは独学でやってきたんだろう。だったら、これからもそうしろ」

 カリファが僕の手を振り払う。

「ここには山ほどネウマ譜がある。だからやれるだろう」

 カリファが笑いながら言った。

 僕は怒りを込めてカリファを睨む。

「もしかして、修道士長さまに逆らうのかって言いたいのか?」

 僕の心中をカリファは察した。

「言いつけたいのなら好きにしろ。話せるならな」

 カリファは僕の頬をつかみ、左右に揺り動かす。

「たとえ話せたとしても、誰がおまえなんかの話を信じると思う?」

 さらに激しく僕の顔を揺さぶる。

「採譜師であり修道士副長の俺と、口のきけない孤児……答えはわかりきっている」

 大笑いし、カリファが僕の頬から乱暴に手を離した。

「孤児の分際で採譜師になれるなんて思うな」

 笑うのをやめ、刺すような視線で僕を見た。

 獲物を狙う狩人のような目だ。


 確実に僕を仕留める——そんな意思を感じる。

 採譜師としての勉強をさせないだけならいい。

 カリファの目からはそれ以上のものが伝わってくる。

 顔を見たくない、教会にいるのも我慢ならない。

 そんなことは一言もカリファは言ってないけど、目を通じて伝わってくる。

 邪魔者を排除する、と。

  

 ネウマ譜を学ぶどころではない。

 学びたいという欲が命取りになったようだ。

 とはいえ、さいは投げられた。

 突き進むしかない。

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