第28話 教会からの追放危機 

 当たり前だったものが、突然そうじゃなくなる。

 転生して真っ先に失ったのは、なにもしなくても生きていける人生。


 頑張らないと満足なご飯が食べられない。

 ぼさっとしていると失う命。

 なんの苦労もなく生きて、当たり前のように音楽を続けた日々。

 いま思うとものすごく贅沢だったと思う。

 それがいまでは、手に入らない。

 失ったから、大切なものだったんだといまさら気づく。


 音楽もそうだ。

 才能がなくて、音楽が嫌いになって、投げだしたくなって。

 そんなものなくても、ただ楽しめばよかったのに……。

 でも、気づいてしまった。

 だから、無視できない。

 大切なものをこれ以上失わないために。


 ネウマ譜を書いてみたい。

 その願望を叶えるべく、僕は計画を立てた。

 聖歌を聴く機会は、修道士たちが練習しているとき。

 つまり、教会内の掃除を終えたあと。

 こっそり隠れて聴く。

 できるだけたくさん聴いて聖歌の構造を分析したい。

 そうやって構造を把握したら作曲できる。

 考えるだけで胸が弾む。

 あれほど嫌だった作曲なのに、いまはしたくてしようがない。


 今朝も教会内の掃除を終えた。

 ガイオはいつも通りそそくさと立ち去っていく。

 僕は隠れて聖歌の練習が始まるのを待った。

 その間、独学で把握したネウマ譜の構造を復習。

 その考えが正しいか誰かに確認してもらいたいけど、口では説明できない。

 実際に紙にネウマ譜を記るして見せるのが一番。

 でも、紙は高価だから手に入らない。

 お金さえあればジェロに代理購入してもらえる。

 簡単に答えは出るけど、問題はお金だ。

 教会暮らしの孤児にお金を稼ぐ手段はない。

 悩みどころだ。

  

 そうこうしているうちに、聖歌の練習が始まった。

 流れてくる聖歌に耳を傾ける。

 現代音楽と同じく、聖歌にもある程度法則があることに気づいた。

 とはいえ、作曲するレベルまで到達していない。

 もっとたくさんの聖歌を聴く必要がある。

 

 初めて聴く聖歌が流れてきた。

 これまで聴いてきたもので一番好みだ。

 特にこのフレーズが。

 無意識に指を使って地面にネウマ譜を書いた。

 ワンフレーズだけのとても短いネウマ譜。

 ああ、ここも良い。

 耳に残る。

 何度も頭のなかでリフレインするフレーズをネウマ譜に起こす。

 現代世界でも耳コピをして採譜したことが何度もある。

 だから、部分的なフレーズくらいなら一度聴いたら記譜きふできた。

 ネウマ譜は慣れないせいか五線譜に比べて書きづらい。

 たくさん書けばもっと早く、正確に記せるようになると思う。


 僕は気に入ったフレーズを次々と地面に書いた。

 子供の頃、地面に絵を描いて遊んだように。

 楽しい。

 頭にあるものが目に見える形になる。

 僕だけじゃなくて誰かと共有できる喜び。


 僕が記したネウマ譜は間違っているかもしれない。

 いや、その可能性のほうが高いだろう。

 でも、いい。

 楽しいから。


「なにをやっている!」

 突如、背後から声を掛けられた。

 僕は驚きのあまり、その場に尻餅をついた。

 恐る恐る振り返る。

 そこに仁王立ちするカリファの姿があった。

 しまった。

 見つかった相手が悪すぎる。

 別の修道士なら注意だけですむ。

 でも、僕を毛嫌いしているカリファなら重い罰を科すだろう。

 食事抜きならいい。

 仕事を増やされるのもいい。

 でも、追放だけは困る。


 僕はゆっくり立ちあがり、カリファを見た。

「なにをやっていたんだ」

 カリファが問い詰めてくる。

 なにも答えられないから、僕はひたすら頭を下げた。

 これで勘弁してくれるとは思わない。

「聖歌の練習中はここに近づくなと教えただろう」

 カリファは目を吊りあげている。

 僕は深くうなずく。


 今回のことは完全に僕が悪い。

 禁止行為をしたのだから。

「おまえはなにかと問題を起こしてばかりだ。もう勘弁ならん」

 カリファが僕の胸ぐらをつかんだ。

 僕をめつけ、不敵に笑う。

「問題児は教会から出ていってもらおうか」

 カリファは僕を離し、突き飛ばすように肩を押した。

 最悪の事態だ。

 追放だけは避けたかった。

 僕には教会以外に居場所がない。

 家も仕事もない状態で、この異世界で生きていけないだろう。

 どうしよう。

 どうすればカリファの怒りが解ける?

 すぐさま言い訳が頭に浮かんだ。

 それを伝えようとしたところで唇を噛んだ。

 身振り手振りといった伝える手段はある。

 けど、問題は受け手だ。

 色眼鏡で僕を見るカリファに、なにをどう伝えようとしたところで無意味。

 気持ちを知ろう、理解しようという意思がないのだから。


 非常にまずい。

 僕を確実に教会から追放しようとしている。

 その大義名分をうかつにもカリファに与えてしまった。

 大失態だ。

 どうすることもできず、ただただ僕は頭を下げ続ける。 

「出ていけ!」

 カリファが僕の肩を突き飛ばした。

 

 このままでは教会から追いだされてしまう。

 どうすればいい?

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