第27話 好き、なのかな?
ネウマ譜——。
この手に持って、じっくりと眺めたい。
そうすることが難しいことは百も承知。
でも、やるだけやってみる。
決意を新たに仕事に出かけた。
朝、いつも通り教会での掃除を始める。
正直、ガイオはあまり好きではないけど、仕事仲間としては相性がいい。
今日も手早く仕事を終え、教会を出た。
「レオ。俺、先に行くな」
ガイオが掃除道具片手に背を向けた。
早く帰りたくてうずうずしている。
『うん、お疲れ様』
僕は片手を上げ、返事をした。
「じゃあな」
足取りも軽やかにガイオが去っていく。
僕は完全にガイオの姿が見えなくなるまで見守った。
よし、行ったぞ。
辺りに誰もいないのを確認し、教会の側面に隠れた。
この位置は物音をさせたら一発で居場所がバレてしまう。
でも、教会に出入りする修道士たちの姿がよく見える。
なにより、聖歌が聞こえる一等地だ。
僕は聖歌の練習にやってくる修道士たちのなかからリコを探した。
リコ——昨日、僕にネウマ譜を見せてくれた親切な修道士。
彼なら僕の願いを聞いてくれるかもしれない。
孤児を、特に話せない僕を相手にしてくれる修道士はリコくらいだ。
だから、
いた!
リコの姿を発見。
いますぐ声を掛けたいのをぐっと堪え、身を隠す。
勝負は練習が終わって教会から出てきたとき。
その瞬間をいまか、いまかと外壁にもたれながら待つ。
教会から聖歌が聞こえてくるので、暇を持て余す心配はない。
美しい旋律と歌声に耳を傾けた。
現代音楽と違ったリズムとメロディライン。
なにもかもが新鮮だ。
その全てを記したい。
でも、この世界に五線譜はない。
だから——。
聖歌が聞こえなくなり、教会から修道士たちが出てきた。
練習が終わったようだ。
僕はすかさず教会の側面から顔を出す。
練習後、真っ先に出てくるのは先輩修道士たち。
その次に後輩修道士たちという風に、大体決まっている。
リコは修道士歴が浅いから、最後のほうに出てくるはずだ。
僕は待つ。
ひたすら待つ。
出てきた。
急いでリコのもとに駆けよる。
「あれ? きみは昨日の……」
リコが僕に気づき、足を止めてくれた。
僕は軽く頭を下げる。
「どうかしたのか?」
リコが質問してくる。
どう説明したものかと悩んでいると、リコがぽんっと手を打った。
「あっ、そっか。たしか、きみは話せなかったよね」
僕は首を大きく縦に振った。
「なにか用があるのかい?」
優しげな声で問いかけてくる。
僕がうなずくと、リコはその場にしゃがみこんだ。
口には出さないけど、リコは話を聞くよと態度で示してくれた。
僕はすかさず指を差す。
その先にはリコが小脇に抱えた筒状の紙がある。
「ネウマ譜? これがどうかしたのかい?」
リコの問いかけに対し、僕は手を伸ばした。
筒状の紙を指差し、リコを見つめる。
「これが欲しいのか? 悪いけど、これはあげられないんだよ」
『違う。そうじゃなくて……』
リコの返答に僕は激しく首を横に振る。
「うん? 違う? だったら……あっ、もしかして貸して欲しいのかい?」
僕は急いで首を縦に振った。
「うーん、貸すのも難しいよ」
申し訳なさそうな表情でリコが言った。
もらおうとは思っていない。
ただ、貸して欲しい。
でも、それもダメだなんて。
無理を言ってリコを困らせたくないけど……。
あきらめられない。
どうすればいいんだろう。
「よし。じゃあ、こうしよう」
リコは立ちあがり、僕の手をつかんだ。
そのまま、教会の側面に向かった。
さっき僕がいたところで立ち止まる。
「貸せないけど、ここで見るだけなら」
リコがネウマ譜を差しだした。
「あんまり時間がないけど。ごめんな」
心底申し訳なさそうにリコが言った。
僕は必死に首を横に振り、それから何度も頭を下げる。
「きみの感謝の気持ちはわかったから、もういいよ。
時間がないから、急いで見ないと」
リコに促され、僕はネウマ譜を手にした。
時間は有限。
リコがくれたチャンスを最大限に活かす。
ネウマ譜は全部で三つ。
ひとつずつ丁寧に広げ、地面に並べていく。
見比べて共通点を調べ、ネウマ譜の特徴を探る。
四本の横線。
そこに四角い記号や文字が並んでいる。
現代でいうところの五線譜?
線の数は違うけど、そこに配置された四角い記号は音符に似ている。
いや、四本線だからタブ譜だろうか。
どちらにせよ、聖歌を記した楽譜であることは間違いなさそうだ。
問題は
これがまるでわからない。
五線譜のように先頭にト音記号やへ音記号がないから音階が不明。
並べたネウマ譜を見比べて法則を探っていく。
でも、五線譜と違ってネウマ譜を見ただけでは曲が浮かんでこない。
このネウマ譜がどんな聖歌かがわかれば、大きなヒントになる。
でも、知る術がない。
困っていたところ、小さいながらも歌声が聞こえてきた。
リコが歌っている。
聖歌を歌いながら、ネウマ譜を指差す。
僕は耳で聖歌を聴きながら、目でネウマ譜に記された四角記号を追っていく。
一曲歌い終えると、リコは次のネウマ譜を指してから歌いはじめる。
なるほど。
ネウマ譜はかなり簡略的な楽譜だ。
記される情報のメインは音の高低。
多少の音の長さもわかるけど、五線譜ほどはっきりしない。
完璧に曲を
おそらく、ネウマ譜で聖歌を教えるのではない。
基本的には教会で聴いて覚える。
ネウマ譜はその補助的なもの。
五線譜を知っているせいか、ネウマ譜が非常に大雑把で不便だと感じてしまう。
「……そろそろいかないと」
リコがネウマ譜を丸めはじめた。
『ありがとう』
僕は何度も頭を下げた。
「また機会があれば見せてあげるよ。きみは本当に聖歌が好きなんだね」
にっこりとリコが微笑む。
好き……なのかな?
転生前はあれほど悩まされた音楽なのに。
ここに来てからは、生き残ることばかり考えていた。
だから、すっかり忘れていた。
音楽そのものを……。
音楽に対する悩みも。
興味も。
書いてみたい。
ネウマ譜を。
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