第10話 ヴィヴィがパン焼き職人を目指した理由

 ——寿命をまっとうできれば幸運。たいていは、理不尽に死ぬ……。

 そう言ったヴィヴィの声が頭から離れない。


 僕の生きてきた世界でも、寿命をまっとうできないことは多々ある。

 病死。

 自然災害による死。

 いくつかある。

 理不尽に死ぬケースもないとはいえない。

 事故死。

 殺人による死。

 とはいえ、それはレアケース。

 でも、この世界では「たいてい」理不尽による死らしい。

 その原因は、おそらく戦争にまつわる死。

 個人の力ではどうしようもない。

 

 こんな世界があるなんて、こんな世界に来てしまったなんて……。

 ため息が出る。


「だから、あたしは決めたんだ」

 突然、ヴィヴィが明るい声で高らかに言った。

「新しい女の生き方の第一号になるって」

 ヴィヴィが大きく目を見開き、口角こうかくをあげた。

『新しい生き方って?』

「生きていくためには、荘園内で仕事を見つけないといけない」

 この言葉は男女関係なく、この世界で生きていくには必要なこと。

 僕はしっかりと心に刻みつける。

「一番良いのは商人に弟子入りすること。

 でも、力仕事や盗賊と戦う体力が必要だから女は認められない」

『ひ弱な僕にも不向きだね』

「そうそう、レオも無理っぽい。

 他の仕事は、家畜の世話、農業、林業なんかがある」

 話を聞きながら、僕は脳内でそれらの仕事をしている様を想像した。

 家畜の世話、動物が苦手だから遠慮したい。

 農業、虫を見ると寒気がするから絶対にいや。

 林業、体力が必要な仕事は無理。


「どれもあたしには向いていない。だから、考えたんだ」

『なにを?』

「教会にいた頃、修道士副長に紹介された仕事のなかでどれが楽しかったかって」

『いまやっているパン焼き屋?』

 僕がパンを食べる仕草をすると、ヴィヴィは笑顔でうなずいた。

「足を怪我したパン焼き職人に代わって、小領主の邸宅にパンを運ぶ仕事をしたんだ」

 ヴィヴィはカバンからパンを取りだした。

 それを愛おしそうに見つめている。

「あたしは作っていないし、焼いてもいない。

 でもさ、ただ届けただけでありがとうって言われるんだ」

 パンをふたつに裂き、一方を僕にくれた。

「不思議だと思わないか? どうしてあたしなんかに感謝するんだって」

 パンを食べようとして開けた大口をそのままに、僕はうなずく。

「そのひとはね、あたしが届けたから美味しいんだってめてくれたんだ」

 昔の感動を思いだしたのか、ヴィヴィの目がうるんでいる。

「そのとき、決めたんだ。パン焼き職人になろうって」

 力強く夢を語るヴィヴィを見ながら、僕はパンにかぶりついた。

『美味しいよ。見た目はちょっと残念だけど』

「美味しいって? ありがとう。

 あっ、その目、焼けこげがなければって言いたそうだな」

 パンの味についてはゼスチャーで伝え、それがヴィヴィに通じている。

 でも、見た目のことはなにも言っていない。

 心を読まれたようで驚いた。

「あはははっ。レオを見ていたら、なんとなくわかるんだよ」

 豪快ごうかいに笑い、ヴィヴィもパンにかぶりついた。


『それで、パン屋に弟子入りしたんだね』

「そんなにこの世は甘くないよ。

 さっきも言ったけど、女が働くのは難しい。特に職人は」

 怒りをぶつけるように激しいくパンを咀嚼そしゃくしている。

『じゃあ、どうやってパン焼き職人に弟子入りできたの?』

「荘園内のパン屋き窯を持つ親方に片っ端から頭を下げたんだ。弟子にしてくれって」

 武勇伝ぶゆうでんを語るようにヴィヴィが胸を張った。

『それで?』

「全滅。女の弟子はいらないって」

『そんな理由で引きさがるヴィヴィじゃないよね?』

「あきらめる? そんなわけない」

 にかっとヴィヴィが笑った。

『なにをやったの?』

「どうしたかって? それは……」

 焦らすように言葉を止め、いたずらっ子のように僕を見つめた。

 僕は身を乗りだし、続きを話してと目で訴え続ける。

 すると、ヴィヴィは軽く咳払いをした。

「一番美味しいパンを焼く親方を毎日つけまわしたんだ」

 行動力がありすぎるヴィヴィを僕はぽかんと見つめた。

 まるでストーカー。

「そうしたら、鬱陶うっとおしく思ったのか、あたしに雑用をさせてくれるようになったんだ」

『それって、こき使ってあきらめさせるように仕向けるためなんじゃないの?』

「うん? そうそう、男でも根を上げるような作業をあたしにさせ続けたんだ」

『そんなことでヴィヴィはあきらめたりしなさそう』

「もちろん、あきらめなかった。だから、いまこうして弟子として配達を任されているんだ」

 ヴィヴィは胸をぽんっと叩いた。

『すごいな』

「感心するのは早い! 必ずパン焼き職人になってやるんだから」

『早くおいしいパンを食べさせてね』

「お腹いっぱい食べされてやる……って、あたしの話をしてる場合じゃない」

 ヴィヴィが咳払いをした。


「つまりだ、教会から追いだされる前に、自立への道を探っておけってこと」

『探る、かぁ』

「教会で与えられる仕事とか、誰かのツテとか、得意分野を見つけるとか」

『カリファが僕に仕事を割り振ってくれるかどうか』

「難しいだろうな。仕事が激減げきげんしているうえに、話せないとなると……」

『そうなると?』

「回ってくる仕事は、せいぜい敷地内の掃除くらいだな」

 掃除、しかも敷地内となると、学びも得られずツテも探せない。

 それでも掃除の仕事を与えてもらえれば、当面飢える心配はなさそう。

 でも、ずっと掃除のままでは生き残れない。

「話せないのは仕事をもらううえでは不利なのは否定できない」

 ヴィヴィが現実をつけてくる。

 僕はがくりと肩を落とした。

「でも、話せないからこそできる仕事があるかもしれない」

『そんなの、あるかな?』

「女のあたしが職人の弟子になれた。だから、きっとある!」

 ヴィヴィが僕の肩を力強く叩いた。

 明るく強気の声に、なんだかできそうな予感が僕のなかで生まれてくる。


 できないと思っていたら、絶対にできない。

 できなければ、生き残れない。

 生き残れなければ、死ぬ。

 死んだらどうなるかなんてわからない。

 いま、そんな答えの出ない疑問は考えるだけ無駄。

 まずは生き残る。

 そのために自立を見据みすえて、小さな一歩を踏みだす。

 明日、カリファから仕事をもらう。

 なんとしても!

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