第1章 陰謀論者は勝ちヒロイン

1話目 運命は突然に


「このクソッタレな実家とも今日でおさらばね」


 吹き抜けの天井に吊るされた豪奢なシャンデリアを睨み、悪態を吐き捨てる女がいた。

 彼女のか細く純白な指には、乱雑に握られた入学者案内。


「せいぜい今を楽しみなさい」


 彼女は壁に目をやる。

 壁一面には写真やマーカーで彩られたメモが張られ、ピンボケした人物写真と新聞記事が毛糸で紐付けられていた。

 まるで映画やドラマで犯人を追う刑事の私室のような光景が広がっている。


 一秒、また一秒と時を刻む時計。

 その微音をかき消すように、女は壁一面に張られた紙切れに宣言した。


「――私がの化けの皮を剝がしに行くまでね」



◇◇◇



 俺と鈴芽は新幹線に揺られていた。

 互いの両親は、既に数本前の列車で出発済みだ。


 横座席の鈴芽は新天地への移動に浮かれて……はおらず、移り変わる車窓の景色に目をやっていた。

 長年、腐れ縁の俺でなくとも分かる。鈴芽は拗ねている。


「はいはい、悪かったですよ。学生寮の鍵失くして予定が崩壊したことは俺もしっかり反省してますから!」

「だから部屋掃除しろっていつも言ってたじゃん」


 原因は学生寮の鍵の紛失。

 遠方からの入居者のため、入学式当日ではなく事前に渡されていた学生寮の鍵が紛失したのだ。当日の朝に。

 母さんからの再三に渡る忠告を無視し、部屋の掃除を後回しにしていたツケが今更回ってきたのだ。


「昨日はオリエンテーション資料と一緒に机に置いておいたんだよ……まさか、放置してた菓子袋に紛れてたなんて……」


 汚部屋を放置したツケだが、入学式当日に清算されるとはタイミング最悪だ。

 我ながら実に詰めが甘いと猛省しているが、納得のいかない部分もある。


「というか! 俺が悪いって流れだけどさ、俺に鍵の管理任せてた鈴芽にとやかく言われる筋合いはないんだがぁ!」

「はぁ!? 重要なことは凛護が担当するって契約じゃん!」

「何その契約!? 知らないんだが!?」

「ちょっとあんたら、夫婦喧嘩は他所でやりな!!」

「「あっ、すいません……って、夫婦じゃないし!!!!!」」


 後部座席からのしゃがれ声に二人でツッコむ。

 年配の老婦のようだ。

 俺と鈴芽の寸分違わぬツッコみに、老婦は口元の皺を増やして笑みを浮かべた。

 周囲からも笑いを堪える雰囲気が伺えた。


「……休戦だな」

「……賛成」


 旅は長い。

 ここで体力を消費するのも馬鹿らしい。

 ヤケ弁当に勤しもうと車内販売のお姉さんを呼び止める鈴芽を他所に、俺は眠りについた。





 下車後は驚くほど順調だった……時刻以外は。

 正門へ辿り着いた時には、既に人気は薄くなっていた。

 式典が行われている講堂からは、年齢を感じさせるスピーチがマイクを通して響いてくる。

 遅刻だ……。


「安心しろ鈴芽、まだ間に合う」

「この普段着で晴れ舞台に遅れて参上、なんて嫌なんだけど……」


 入学シーズンとはいえ、まだ残冬の季節でもある。

 鈴芽は上京に気分が高揚していたのか、普段より若干短めのスカートに指の先端が僅かに出るほど袖の長いパーカーという格好だった。いくら長い黒髪が印象的な清純美少女でも、この萌え袖ミニスカ状態で式典に出ようものなら、頭の弱い印象を与えてしまうだろう。実際、人前でなければ軽いんだが。


「参上が惨状ってね!」

「……ぁ?」


 鈴芽から許容量以上の殺意が感じ取れたので、これ以上の弄りは危険だ。

 スケジュールを見る限り、学生寮に荷物を置いて着替えている余裕はない。式典へ参加するためには、講堂へ直行せざるを得ない。

 全速力で事務室へ駆け込み、手荷物を事務員に預けて講堂へと向かう。

 既にスピーチは終わり、意気揚々とした拍手が敷地中に響いていた。


「はぁはぁ、結構遠いな」


 都内とはいえ、都心からは離れているキャンパスだ。

 正門から講堂までの距離は短いようで結構長い。


「うぷっ!? 髪の毛がっ! ペッペッ、ウェェェ……」


 全力疾走に加え、春疾風により靡く鈴芽の長髪が並走する俺に絡みつく。


「ちょぉい! 乙女の命をむな!」

「別に食いたくて食ってるわけじゃ……少しはスカート押さえたらどうだ?」

「んなっ!? 見るな指を差すな指摘するなぁ!」

「ごぶぇっ!」


 若干、頬を紅潮させた鈴芽から、運動部仕込みの鋭いジャブが飛んでくる。

 普段からシャツ一枚で俺の前をうろつく癖に、張り切ってミニスカートを履いた途端にこれだ。女心とは実に理解に苦しむものだ。


「ここ曲がれば講堂よね!」

「あぁ、あの屋根が目印だ!」


 ふと顔を上げれば、講堂の尖った洋瓦を纏った屋根が視認できた。

 ラフな服装により鈴芽が式典に及び腰なので、出入り口付近で観覧者に交じっての参加となりそうだが、これも良い思い出だろう。


「新入生式辞には間に合うな」


 新入生式辞は、その年の入試の成績により代表者が決められる。

 今後、大学生活を送る身としては、最優秀学生を是非一目見ておきたい。ついでに仲良くなって色々補助してもらいたいと邪念が湧く。


「うぷっ、久々に走ったから胃液がリバース気味な件……うぐっ!?」


 日頃の運動不足が祟り、横っ腹が締め付けられ、胃液が上ってくる感覚に襲われる。対して毎日の研鑽を続けた鈴芽は、僅かに呼吸が乱れるのみでぐんぐんと歩を進めていた。

 講堂に近づくにつれ、鈴芽の背中が離れていく。しかしながら、俺にも男の意地というものがある。

 色んな体液で顔を濡らしつつ、惨めながらも何とか鈴芽と同着で講堂へ辿り着いた。


「……ハンカチ、いる?」

「憐みの目を向けないで……プライドが死にそう」


 濡れた顔面を裾で乱雑に整え、一呼吸置き、講堂へと足を踏み入れた。

 経年劣化で色褪せた案内図を頼りに、無機質な廊下を進む。

 時折、鈴芽が見当違いのドアを開けては「間に合ったぁ!」と突入していたが、俺の完璧なナビゲートにより、ついに式典会場に繋がるドアにまで到達した。


 そしてドアを開いた瞬間――



 俺は人生を狂わされた。



 壇上へと登る存在。

 肩まで伸びる髪と肩を派手に揺らし、礼儀とは程遠い大股で闊歩して壇上中央へと辿り着いた少女の外見は人智を凌駕するほどのものだった。

 霊妙な紅瞳の三白眼に加え、少女の人間離れした純白の髪と肌に天井の照明が反射し、壇上の光源となっていた。


「……運命の……出会いだ」


 脳が指令を出す前に自然と口が動いた。

 それを聞いた鈴芽が隣で何か言っているが、完全に壇上の少女以外の情報はシャットアウトされていた。


 壇上中央で直立する少女は、何故か眉を顰めて不機嫌そうな雰囲気を講堂全体に放っていた。緊張しているのだろうか。

 少女は一呼吸置き、式辞用紙を開く。

 一瞬だけ式辞用紙に視線を移すが、すぐに式辞用紙を畳み、講堂全体を見据える。


 そして美しき鶯声で――




「この世界には陰謀が満ち満ちているぅぅぅぅぅ!!!!」




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