汝、勝ちヒロインに手を出すなかれ~理想の彼女が陰謀論者だった件~

@cofin339

序章

入学前夜

「この世界には陰謀が満ち満ちているぅぅぅぅぅ!!!!」


 彼女との奇縁はこの台詞で幕を開けた。



◇◇◇



 この若者の人生は――平凡だった。


 ごくごく平凡な中流家庭に生を受け、特に不自由を感じることもなく生きてきた。


 スクールカーストの上位に君臨するわけでもなく、迫害されることもなく、当たり障りのない関係を気づき続けた――あの女と出会うまでは。


 若者の名は平光凛護ひらみつりんご

 今春、高校を卒業して都内の大学に進学予定の平凡な男。

 現在は卒業式を終え、入学前の準備と休息の期間だ。


 転居先となる学生寮への生活必需品の発送を終え、凛護の部屋は殺風景なものとなっていた。本棚は高校時代の教科書のみが乱雑に置かれ、歯抜け状態となっており、部屋の各所には飲みかけで放置されたジュースや菓子の空き袋が散乱していた。窓を閉め切っているせいか、荷物の発送時に舞った埃が堆積して床色が若干薄れている不衛生な状況だ。


(明日掃除すれば……いや、上京前夜でも間に合うか? ……うん、それでいこう)


 後々、この決断が凛護を苦しめることになるが、今はまだ知る由もない。


 凛護は重い瞼を擦り、一晩のうちに凝り固まった肩からつま先までの骨を順番に鳴らしてベッドから起き上がる。

 ボサボサの黒髪に上下同色のスウェット、未だ伸び切らない前屈みな姿勢で部屋を出る。階段と廊下を経てリビングへと辿り着くが、人の気配はない。


 既に時計は十二時を回っていた。

 リビングの食卓には『母、買い物。今夜はカレー丼』とのメモが置かれていた。


(カレー丼ってただのカレーだろ)


 普段から天然の気がある母親だが、今日も平常運転らしい。


 家族共用の菓子ボックスに目をやるが、めぼしいものはない。


(カップ麺もないか……鈴芽すずめのとこにあるかな)


 踵を返し、凛護は自室へと向かった。





 埃と湿気に加え、各種ジャンクフードの匂いが充満する部屋。

 凛護は数週間ぶりに窓を開ける。

 換気目的ではない。


(卒業式から三週間。惰眠と不摂生を極めた生活で得た贅肉と失った体力でいけるか……?)


 目的は隣のベランダ。

 窓を開ければ、飛び移れる距離に隣家のベランダが見える。

 小学生の頃から愛用してきた頑強な勉強机に上がり、窓枠に足裏をフィットさせる。過去に散乱したプリントに足を取られ、ベランダの手すりに顎を強打し、脳天から落下して走馬灯を見た経験から飛び移る際の事前チェックは最重要事項となっている。


「耐えてくれよ! 俺の膝!」


 踵が尻に付くまで屈み、勢いよく飛び出した瞬間――


 ――ガラガラッ!


 着地地点に突然の乱入者が現れた。……もっとも、乱入者は凛護の方なのだが。

 既に凛護は滞空状態にあり、戻ることも軌道を変えることもできない。

 凛護の体はただ虚しく宙を舞い……ベランダに現れた人影に吸い込まれていった。





「大学デビューを控えた美少女の顔面に飛び膝蹴りねぇ……。アタシの中の最低の基準が更新された件についてテメェの意見を五文字以内に述べろ」


 この自称美少女は御影鈴芽みかげすずめ

 濡れたような長黒髪に健康的な小麦色の肌、整った鼻筋とパッチリとした瞳を武器に文化祭のミスコンを二連覇。三年次には殿堂入りを果たし、終身名誉審査員という謎の肩書を作り上げたのだから、美少女を自称するのも当然かもしれない。


「いや……もうそのマジですんませんでした。カップ麺への欲望が脚力に反映されたっていうかなんていうか……」


 我ながら下手が過ぎる言い訳だ。

 現在、凛護は鈴芽宅のリビングにて正座させられている。正面には大きな瞳から怒気を発する鈴芽が仁王立ちしていた。


「五文字以内って聞こえなかった?」


 背筋が凍るような口調だ。


「事故でした」


「は?」


 空気が完全に凍り付く。

 第三者の視点では事案のように見えるこの光景だが、実は二人の歴史の中では極々些細なことだったりする。

 凛護は沈黙が支配する空気の中、目の前の怪物の純真無垢な幼年期を懐う。


 鈴芽との邂逅は幼稚園時代に遡る。

 互いに親が転勤族だったことから、初対面で意気投合し、常に放課後はどちらかの家で遊んでいた。

 その後、卒園と同時に二人は『親の転勤』という試練に見舞われたが、転勤先どころか転居先のマンションと階層までもが同じという奇跡が再び二人を引き合わせた。

 それからは奇跡の連続だった。

 小学三年次の転勤では隣の棟、小学六年次は上の階、中学二年次は下の階、中学三年次からは現在の隣接する一軒家と、タイミングと転居先が異常なまでに合致していたのだ。


「僕ね! 鈴ちゃんと結婚する!」

「アタシねー、将来の夢は凛護くんのお嫁さん!」


 かつての純真無垢な記憶が蘇る。

 互いの背中を流し合い、時には掴み合いの喧嘩で汗を流し合ったことは、二人の他には親しか知らない。学校の顔として万人から好かれる鈴芽との関係は、注目を嫌う凛護の逃避行から私生活のみとなっており、高校に凛護と鈴芽の腐れ縁を知る者は誰一人いない。

 男子のみならず同性からも盲目的に愛される鈴芽。そんな存在と幼少期とはいえ裸のお付き合いをしていたとバレた日には、全生徒から日替わりで校舎裏に連れていかれるだろう。


「――えてんの? 聞こえてますかぁー!」


 鈴芽の怒声により現実へ戻される。

 気が付けば胸ぐらと耳を掴まれていた。


「わ、分かった! ケーキ! ケーキ三つでどうだ!?」


 生命の危機を直感し、和解案を提示する。


「……四つ」


「よし四つだ! 和解成立! 早速買いに行ってくる!」


 鈴芽は不機嫌な状態が続くと、が現れる。

 眉間が緩みかけた今こそ、彼女を懐柔するチャンスなのだ。

 スウェットのポケットに入れてあった財布を取り出し、着替えることも忘れて玄関へと駆ける……が、あることに気が付いた。


 財布が――軽い。軽すぎるのだ!


 窮地を脱し、乾きかけていた冷や汗がまた吹き出し始める。

 恐る恐る財布を開く。


「……残金、三百円!?」


 正確には二百五十円。

 唐突に訪れた残酷な現実に直面し、数え間違えていたらしい。


 驚愕も束の間だった。

 背後から落胆と、落胆以上の怒気が感じ取れた。取れてしまった。


「……代替案の提示、よろしいでしょうか?」


 戦々恐々と肩を震わせながら振り返る。

 そこには感情が見えない笑みを浮かべる鈴芽が立っていた。

 ふと目線を下げると、残金二百五十円という家を出るまでは隠蔽しておきたかった事実を聞かれていたのか、彫刻の如き細くきめ細やかな指が拳を形成していた。


「許可する。次の言葉はよく選びなさい。場合によってはケーキ一つにつき爪一枚を献上させるから」


「それ仮にも高校でヒロイン張ってる女が口にしていい台詞じゃないだろ」


「乙女をカロリーで釣るだけは飽き足らず、翻弄するなんて極刑もんよ」


 一歩、また一歩と距離を縮めてくる鈴芽。

 冷や汗が背中を伝い悪寒が全身に広がる。

 何とか現状を打破しようと本能的に口が動いた。


「ケーキみたいな高カロリー高脂質は可愛い鈴芽に毒! そのプロポーションを守るためにもうめぇ棒で我慢しよ☆」


 どうやら俺は絶望的な状況に陥ると、テンパってしまう性格らしい。


 直後、鈴芽の膝蹴りが股の間に炸裂し、再び走馬灯が脳内を過った。



◇◇◇



「よし決定!」


 最終的に、一講義分の出席代行で手打ちとなった。


 高校では成績優秀かつ委員会活動にも積極的な姿勢を示し、才色兼備やら品行方正と褒め称えられる鈴芽だが、家に一歩踏み入れたが最後、ここまで変貌するのだ。


「そういや鈴芽は転居の準備終わったのか?」

「モチのロン!」


 鈴芽はリビングの端を指差す。


「……転居先の広さ分かってる?」


 指を差した先には、天井にまで届く荷物群。

 海外旅行用のトランクが乱雑に積み上げられており、トランクの隙間からは下着と思われるレース状の布切れがはみ出している。

 幼い頃からの仲とはいえ、こうも俺の前では恥じらいがないというのは男としてのプライドが揺らぐ。


「女子寮の方が若干広いからね~。それに……」

「俺の部屋には置かせないからな」


 当然の返答に「え? 何で?」と鈴芽が目を丸くする。

 何故、「うん、いいよ」の回答を得られると思っていたのだろうか。


「――だって凛護のスペースも含めて荷造りしたのに! 裏切り者!」

「というか、その荷物殆ど服だろ? 仮にも異性の俺の部屋に置くのは違和感ないのか? 変なことするかもしれないぞ?」


 僅かばかりの反抗の意思を見せる。

 これでも年頃の乙女だ。幼馴染とはいえ、異性の部屋に自らが着用する肌着等を置

くのは抵抗感があるはず。むしろあってもらわないと男としての自信が……。


「変なことって?」

「は?」

「変なことって何するの?」

「へ、変なことってお前そりゃ……勝手に売ったり……とか……」


 透き通った瞳に?マークを浮かべる鈴芽。

 変なところで純真無垢な乙女の面を出してくるのは、実に心臓に悪い。

 赤面する鈴芽を期待したが、俺自身の頬が赤らむ結果となってしまった。


「とにかく! 俺の部屋は使わせない! ――って言ってる最中に俺の部屋番号で送り状を書くな! 出荷準備をするなぁぁぁ!」


 その日、俺の荷物が六つ増えた。





 それから時が過ぎるのは早かった。

 入学式を前日に控えた夜。

 式典は午後からなので、朝早く出れば十分間に合う。

 今日は、昼まで惰眠を貪り、夜まで積みゲーを消化していた。いつも通りだ。おかげで、人生の新たな一幕が始まる前日にも関わらず、全く充実感のない一日として終わろうとしていた。


 ふと携帯を見ると鈴芽からの着信が溜まっていた。


(入学オリエンテーションの予定確認か?)


 定期考査や部活動、委員会活動の予定管理は上手な鈴芽だが、私生活の予定管理には手が回ってないのだろうか。

 ベッドに横たわりながら応答を待つ。


「もしもーし、俺だけど」


『あ、アタシアタシ、ちょっとトラブっちゃってさ。ちょっとコンビニでプリペイドカード買ってきてよ、十万円分お願い』


 即通話を終了した。

 このような悪戯電話は毎度のことだ。

 あと四秒後に再び着信が来るだろう。


 ――プルルルル!!


 これこそ腐れ縁の成せる業だ。


「警察に届け出すから録音用レコーダー持ってくる。ちょっと待っててくれ」

『ちょちょちょい!? 冗談じゃん! 女の子の悪戯に乗らない男はモテないゾ』

「明日は早いんだぞ」

『明日のことだから!』


 再び切られることを回避しようと焦る鈴芽。

 下手に聞き流して新生活の出鼻を挫かれるわけにもいかないので、枕に顔を埋めつつ鈍低な声で用件を聞く。


「で、用件は? 新幹線の切符は俺が鈴芽の分取っておいて入学オリエンテーション資料用のファイルに挟んであるし、移動中の弁当も俺が持ってく。あと役所への転居届と学生寮の入居申込も親御さんと一緒にやっといたぞ……あれ、俺保護者?」

『その件はどうも! でね、入学オリエンテーションの後なんだけど』


 入学オリエンテーション後は、各自自由解散。学生寮利用者のみ説明会への参加が義務付けられているが、それまでは自由行動だったはずだ。


『一緒にサークル見学しよ! そして入ろ!』


 弾んだ声が携帯から発せられた。

 鈴芽は小学校から高校まで合気道や剣道など武術に勤しみ、空いた時間に各運動部の助っ人を担っていた。入学予定の大学は基本一人一サークルと決まっているらしく、活動範囲の広い鈴芽は内心戸惑っていたのだろう。


「見学は別にいいけど……俺は入らないからな」

『何で!? 折角のキャンパスライフだよ!?』

「授業のレジュメ見せ合い出席代行推進サークルなら入る」

『高校卒業後六キロ増量してるでしょ。一緒に運動系サークルで汗を流そう!』

「なんで俺の体重知ってんだよ!?」


 就職活動でサークル活動は重視されるが、あくまで判断項目の一つに過ぎない。就職活動時期までに、サークル以外で熱中できる物事を見つければよいのだ。

 うん、それが一番楽……充実したキャンパスライフを送る秘訣だろう。


「それに運動系サークルは色黒チャラ男と自己顕示欲にまみれた女しかいないだろ? そんな現世の地獄に入りたくもないし、同化できる自信もないです」

『アタシがそんな奴ら近寄らせないよ!』

「お前目当てで近づいてくる輩がいるんだよ……」


 ただでさえ高校でファンクラブが作られ、助っ人として各運動部を勝利へ導いてきた実績のある鈴芽だ。大学の花形になるのは時間の問題だろう。


『えっ、もしかして嫉妬? 嫉妬させちゃった!?』


 携帯越しでもニヤニヤと口角を歪める鈴芽が容易に想像できた。

 確かに、出会いの多い大学という場所では、今までより鈴芽と接する機会が減るかもしれない。

 鈴芽はファンクラブが設立されるほどの美少女だ。

 それ故、高嶺の花として恋愛の対象になりづらかった面もある。同世代の女子より男慣れしていない鈴芽に悪い虫が付かないか心配かと問われれば、イエスと答えざるを得ない。


「別に……俺は派手過ぎもせず地味過ぎもしない連中と駄弁りたいだけだよ」

『そういう時は「お前は俺だけの女だ!」くらい言ってくれないとねぇ。他になびいちゃうぞぉ』

「どうぞどうぞ」


 姉か妹が色気づくようでモヤモヤが心中に残るが、この話題をこれ以上広げることはなかった。


 通話を終え、ふと自室を見渡す。

 十八年もの間、俺を支えてきた部屋も今日で暫く見納めかと思うと感慨深い。

 何か忘れている気もするが、思い出に浸る時間を堪能し、寝床に入った。


 明日はいよいよ新生活の幕開けだ。

 終わり良ければ全て良し、という格言があるが、何事も初めが肝心なのだ。

 全備の状態で後腐れなく実家を旅立とうと心に決めて瞼を閉じた。

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