だから僕はギターを始めるのを辞めた
僕だって本当は、本家と同じタイトルで「音楽」を辞めたエモい話を書きたいに決まっているが、何しろ始めていないのだから辞めようもないし、書きようもない。とは言え、音楽を始めることすら出来なかったという事実は非常に僕らしいし、話題になっていたアニメ『ぼっち・ざ・ろっく!』を見ていたら、ギターに関する話を書きたくなったので、こんな章題にしてみたという次第である。
『ぼっち・ざ・ろっく!』の主人公である「ぼっちちゃん」こと後藤ひとりは、父親からギターを譲り受け、中学三年間、毎日六時間の練習を行った結果、非常に高い演奏技術を手に入れたが、陰キャラで友達が一人もいないため、バンドを組んで人前で演奏することが出来ずにいた。そんな彼女が、ひょんなことから「結束バンド」というバンドに参加することになり、『ぼっち・ざ・ろっく!』というのは要するに、そこで繰り広げられるメンバー(全員女の子)の人間模様や成長物語が、コメディータッチで描かれている作品である。「女子高生がバンドをやる」というと、『けいおん!』という有名な作品があるが、『けいおん!』と違って、本作は、学校の部活というわけでなく、下北沢のライブハウスを中心にストーリーが進行していたので、非常に驚いた。あと、主人公がボーカルでないというのも(ぼっちであるなら当然なのかもしれないが)、結構意外だった。売れ線のアニメにありがちなキャラクターソングみたいなものを出したいに違いないと察するが、それすらも何とか堪えてて欲しいという思いに駆られる。
あまりに徹底した陰キャラとしての描かれ方に、ぼっちちゃんに共感を覚える人たちがSNSで大量発生していることは想像に難くない。僕自身は、陰キャラではあったものの、「ぼっち」というほどでもなく、ただの「ともだちすくないやつ」だったし、そもそも中高一貫の男子校だったので、男女共学校を前提とした「陰キャラあるある」は上手く嵌ってこない。なお、中高一貫の男子校(特に進学校)は、「陰キャラの中でグラデーションがあるだけで、校内で陽キャラに見える奴も世間的に見れば大体陰キャラ」くらいの感じなので、陰キャラには比較的過ごしやすい(じめじめした)環境である。
ただ、僕も、「ぼっちちゃんになり得た人間」の一員であると自称できるエピソードがあって、それが、「中学時代、父親のギターを譲ってもらったという経験がある」という点である。むしろ、その一点しかない。あとは、次元も性別も年齢も、何一つ共通点のない存在に過ぎない。とはいえ、僕の場合、譲ってもらったギターというのは、ギブソンのレスポール・カスタムではなくて、値の張らないフォークギターだったので、作品化するとしても『ともだちすくないやつ・ざ・ふぉーく!』が関の山だろう。というか、完全に偏見あることを承知で申し上げるが、可愛いぼっちの女の子がロックをやっているからギャップがあって良いのであって、ダサくて友達少ない男がフォークをやっていても、意外性は全くない。至極妥当である。
僕の父親は、1970年代のフォークソング全盛期に青春を過ごした人間であって、大学生の頃にギター一本携えて北海道を一周したという、いかにもな逸話の持ち主である(ダサいセーターと変な形のサングラス、変な長髪姿の若かりし父の色褪せた写真を見たが、端的に「そういう時代だったんだな」としか言えない)。僕は父がギターを弾いている姿を一度しか見たことがない。『あの素晴らしい愛をもう一度』をワンフレーズだけ弾き語ってくれたのだが、「普通に聴けた」という印象しか残っておらず、技術的に上手かったのかどうかは定かでない。
弾かなくなった後にどんな顛末があったのか、父のギターは、何故か母の実家の一室で保管されていた。その存在は以前から気づいていたが、中学生になった僕は、ある時それを気まぐれに持って帰ることにした。簡単に言っているが、母の実家は富山県であり、千葉県の自宅までギターを持って帰るのは、自家用車で帰省しているタイミングしかなく、一度逃したら次があるかはわからないという状況でもあった。ウクレレと、それから古いギター教則本も見つかったので、それらも一緒に持ち帰ったことを憶えている。
何故ギターを持ち帰ったかと言えば、当然弾くためである。ギターに憧れない男子なんていない。格好良いし、モテそうだからだ。やりたい音楽があるわけじゃないが、音楽をやっている(格好良い)人間になりたいという思いは誰にだってある。
そして、僕のその思いは三日と持たなかった。
誰だったか、「独学でギターを覚えたから、コードの押さえ方が我流になってしまった」みたいなお洒落エピソードを語っていたのを聞いたことがあったので、独力でも何とかなるのかと思っていたが、とんでもない話だった。教則本があってもなお、僕はギターを学ぶことが出来なかった。
まず、コードの意味がわからない。CだとかAマイナーだとか言われても、そしてそれがドミソとかラドミのことだと言われても、さらにフレットの押さえ方を図示されてさえ、自分が何をすべきかよくわからない。勿論、左手で適切に弦を押さえて右手でかき鳴らせば狙った音が出てくる、という構図はわかっている。端的にやる気の問題だと思うのだが、音楽を奏でることに重きを置いていないため、暗号のようなコードの名前と、謎の指の配置と、発せられる和音を有機的に結び付けて記憶することができなかったのである。
だから僕はギターを辞めた。始めるのを辞めた。
「Fのコードを押さえるのが難しい」とか、「弦を押さえる指先がめちゃくちゃ痛くなる」というギター初心者あるあるを見るたびに、そこにすら辿り着けなかった自分のことが虚しくなる。今や、ただの一つたりともコードを覚えておらず、ギターを前にしても開放弦でじゃかじゃかと音を鳴らすことしか出来ないのだから、何も知らない子供と一緒である。
『けいおん!』が流行した時、作中人物の秋山澪の影響で左利き用のベースの売り上げが上がったという異次元のニュースを耳にしたが、そこまでいかなくても、「この機会にギターを始めた」という人間は少なくなかったはずだ。僕の周りにも実際に一人いたし、ニコニコ動画を見ていたら、「平沢唯(ギターボーカル担当の主人公。物語開始時点では音楽初心者)と同じ習熟度になるようにギターを練習していけば、最終話の頃にはプロ並みの腕になっているはず」というコンセプトの動画をあげている人間がいた。アニメのキャラクターと勝手に切磋琢磨するというアイデアは、練習のモチベーション維持には確かに良さそうだ、と思ったものの、僕がギターの練習を改めて始めてみるようなことは当然なかった。せっかくの機会だし流行に乗って始めるのも悪くない、という思いを、怠惰な精神が大きく上回ったからだ。「『けいおん!』に釣られてギターを買って練習を始めたけれどもすぐに辞めてしまった」という人間もきっと多いと思うが、始められさえしなかった僕よりはマシだと思う。
父からもらったギターは、今でも実家の僕の部屋の棚の奥に仕舞いこまれている。2014年に父が亡くなった時、棺の中に入れてしまおうかと半ば本気で思ったし、その後も何度か母から「捨ててよいか」と聞かれたりしたのだが、「もったいないから」みたいなよくわからない理由で捨てられずにいる。
人生何かを始めるのに遅すぎることはない、という言葉もある。この先、『ともだちすくないおっさん・ざ・ふぉーく!』や『こうきこうれいしゃ・ざ・ふぉーく!』が始まる可能性を信じて、まだしばらく、件のギターには実家の棚の番人をしていてもらうつもりだ。
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