だから僕は引き篭もりを辞めた

 僕は、初めて付き合った人間に裏切られて人間不信になり、大学院に通えなくなって10ヶ月引き篭もり生活をしていた過去を持つ。2005年5月から2006年2月にかけての話になる。正確には、実家にもいたくなくて、友人宅などを放浪していた時期もあるのだが、足掛け10ヶ月間、社会から完全にドロップアウトした生活を送っていたことに間違いはない。数年規模で引き篭もっていた人に比べると期間は短いが、引き篭もり生活には起伏がないので、一日の時間の潰し方が決まれば、あとはそれを何回繰り返したか、の違いでしかないと思う。それ以前に、僕は部屋から完全に一歩も出ないような生活をしていたわけでなく、一人で外出することのできるタイプだったし、その間、休学などの手続きを行うこともなく、後に平然と復学を果たしたので、公的な記録上、サボり癖のある大学院生と何ら変わらない。だが、僕は確かに引き篭もりだった。

 引き篭もりの間、僕は小説を読むことと小説を書くことに殆ど全ての時間を費やしていた。

 15分歩いて市立図書館に行き、国内ミステリーを中心にハードカバーの本を5冊くらい借りてきて、一日一冊を上回るペース(月平均50〜60冊)で読んだ。読んだ本は全て自分なりに100点満点で採点し、簡単な印象と短い感想をつけてExcelファイルにまとめていた。自らが小説執筆という趣味を持っているので、作品を完結させることの難しさをよく知っていたので、僕の採点は激甘だった。どんなに酷いと思っても、完成して出版されているという時点で、70点はつけた。たぶん、平均点は92点くらいになると思う。物語のジャンルによって多少増減はあるが、僕は大体一時間に原稿用紙100枚くらい読む人間だった。幻冬者の本は、巻末に原稿用紙換算の原稿枚数が記載されていたので、読了までの時間が想定しやすく、計画が立てやすかった。一方、見た目は大した厚さでないのに、小さい文字で二段組になっていて、原稿用紙1000枚を遥かに上回る大長編だったりすると、朝から晩までかかりきりになった。僕が読むペースより、この世に書籍が生み出されるペースの方が速いし、図書館の蔵書は実質的には無限にあるようなものだったので、読書は、一生終わらない良い時間潰しになると思っていた。

 それ以外の時間は、ノートPCに向かってひたすらに文章を打っていた。僕は、鬱屈した感情、心のざらつきを燃料にして執筆を行う人間なので、筆は驚くほどスムーズに進んでいた。この頃、すでにライトノベルを殆ど読んでいなかったが、書いていたのはファンタジーよりのライトノベルか、自分の魂をぶつけるようなポエムや散文だった。社会からの隔絶が、一般文芸に必要な「リアルな人間像」や「リアルな社会構造」の描写を不可能にさせていた(もっとも、社会人になって随分経つ今の自分にもそれらの描写は出来ないので、ただの能力不足かもしれない)。完成させることができた作品は、文芸新人賞に投稿したが、端的に言えば、箸にも棒にも掛からなかった。結果的に、そのことは僕の筆を折らせ、僕を社会に押し出す原動力の一つにもなった。この頃の作品が箸または棒に掛かっていた場合、僕は一体どうなっていたのだろう、と漠然と考えていたこともあるが、2022年になって、急にその結論を剛速球でぶつけられる機会があった。それについては、『今迫直弥を名乗る人物からのメールについて』という別作品の中で詳述しているので、気になる方はそちらを読んでいただきたい。


 一度、引き篭もっている間に、当時の研究室の指導教官から自宅に電話がかかってきたことがある。僕の知る範囲だけかもしれないが、理系の大学院において、「研究室に出てこられなくなる」ことは珍しいことではない。何をやっても上手くいかない研究、論文を書かなければならないプレッシャー、博士課程の先輩との軋轢、教授からのパワハラなど、様々な要因が考えられるが、うつ病を患って辞めてしまう人も少なくない。僕の指導教官も、助手(現在で言う助教)時代にうつになり、一年ほど、「研究室に出勤するけれども何をすることも出来ず定時で帰る」だけの生活を続けていたという経験があると聞いたことがあった。だから、メンタル面での不調による引き篭もりにも当然理解のある優しい先生だったのだが、それが僕を追い詰めていた。僕は、「研究に行き詰まって思い悩んだ末」みたいな崇高なアカデミアの信念に基づくものとは程遠い、「初めて付き合った彼女の浮気に端を発する失恋(脳破壊)」という、公の場ではおいそれと披露できない理由で引き篭もっていた。研究室に突然学生が来なくなって心配している先生に、申し訳なさすぎて、到底顔向けできないと思った。先生からの電話をとった母が、僕の部屋までその旨を伝えに来た時、僕は強硬に電話口に出ることを拒んで追い返した。母が階下で礼と謝罪を口にしながら、電話を切るのがわかった。死にたい気持ちでいっぱいになった。

 今思えば、それは僕の前に垂らされた一本の救いの糸だった。僕は、自分からそれを切断し、死にたい気持ちを糧にして、いつものように誰のためにもならない文章を打鍵し始めた。

 こうなってしまった以上、自分で自分を救うしかない。そのためには、小説を一発当てて、作家デビューするしかない。それしかない。焦燥感のせいで、引き篭もり期間中、「何をしても許される毎日」を楽しいと思えたことなど一度たりともなかった。平日の昼間に外に出ると、まともな社会生活を送っていないことを見透かされるような気がして怖かった。過剰な自意識を持て余しながら、時間だけが過ぎていった。


 年が明けた。漠然と、何かが新しくなるような期待感もあったが、僕の生活は何一つ変わっていなかった。

 修士課程がもうすぐ丸一年無駄になる。記録上も取り返しがつかなくなる。年度の終わりが近づくにつれ、言いようのない不安が襲い掛かってきた。

 二月某日、昼過ぎに研究室のE先輩からメールが届いた。その日の夜、研究室で鍋をやるから食べに来ないか、という誘いだった。救いの糸かもしれないと、確かに感じた。自分で自分を救うしかないと思っていた一方、誰かに助けてほしくてたまらなかった。救世主が現れないと絶対に助からないような、でもこの世にそんな都合の良い救世主なんていないのだという確信があった。僕は迷った末、返信しなかった。断りのメールは申し訳なさ過ぎて出す気になれなかった。

 夕方、携帯電話が鳴った。E先輩からだった。E先輩は、押しが強い上にノリが良い、体育会系の人物だった。E先輩らしいな、と思っていたら、何故か通話ボタンを押していた。電話口の向こうで、僕が出たことに驚いたらしい一瞬の間があった。E先輩は気を取り直したように、全然普段と変わらないテンションで、「メール読んだ?」「今日、部屋のみんなで鍋やるんだけど来ない?」「熊本出身の後輩が買ってきた馬刺しもあるよ」みたいな内容を僕に伝えてきた。「みんな心配してるよ」みたいな言葉があったら、たぶんすぐ切っていた。僕は、震えそうな声で「わかりました、行きます」と答えた。自分でもよくわからなかった。たぶん、本当にこれが最後のチャンスなのだと、無意識の僕が気付いていたのだと思う。E先輩は明らかに驚いていたが、嬉しそうに、待っている、と言った。

 僕は着替えて、出かけてくるから夕飯はいらない、と仕事中の母にメールで伝えて家を出た。10か月ぶりに、電車に乗って研究室に向かった。通学用定期券が切れていたので、切符を買う羽目になった。

 研究室に入る時が一番緊張したが、「おつかれさまです」と皆が普通に対応してくれたので、僕も「おつかれさまです」と挨拶した。室員全員のデスクが並べられた居室の共有スペースに、カセットコンロと鍋の準備が着々と整えられつつあった。E先輩が、僕を適当な席に導くと、隣に座って当たり障りのない話を始めた。僕が、それなりに普通に受け答えをしているのを見てようやく安心したのか、同期や後輩も準備を続けながら少しずつ話に加わってきた。僕の居場所は、まだ残っていた。

 鍋が煮えてきて、さあ始めようという段になって、隣の部屋から指導教官がやって来たのでギョッとした。学生だけの会だと勝手に思い込んでいたからだ。先生は、僕から一番遠い席に着いて、適当な乾杯の音頭をとった。会は穏やかに進んだ。僕は、いてもいなくても変わらないくらいの存在感で、適当に相槌をうつだけで場をやり過ごすことができた。引き篭もりにはそれくらいがちょうど良い。

「今迫君、ちょっといいかな」

 宴もたけなわ、というタイミングで先生に呼びつけられ、僕は心臓が止まりそうになった。少しだけ飲んでいたアルコールの力を借りて立ち上がり、先生に連れられて隣の教授室に移動した。現実と立ち向かう時が来た。僕は、自身の進退について考えあぐねていた。この日を最後に大学を辞めることも普通に有力な選択肢に入ると思った。

 先生は僕と向かい合って座ると、思ったより元気そうで安心した、と言った。そして、今ならぎりぎり間に合うと思う、と続けた。

「修士課程の修了に必要な単位は、4コマの特別講義と修士論文だけ。特別講義は来年度聴講すれば良いし、修論のデータも、卒論の続きのテーマで今からやれば、たぶん6月の中間審査までに何か出せるでしょ。博士課程まで行ってくれるなら、最悪、そっち行ってから頑張ります、でプッシュするし」

 先生は、10ヶ月休んでいた僕に、一切経歴に傷がつかないという信じ難い好条件を提示して、復帰を促していた。

 救世主は、ここにいた。

 その後のことは、あまり覚えていない。僕は、明日からまた来ようと思います、と告げたのだと思う。鍋を囲んでいる皆のところに戻って、しばらく話をしたのだと思う。ほろ酔いで帰宅の途につき、母に、指導教官と話して来た、と伝えたのだと思う。「あんた、学校辞めて来たの?」と不安そうに尋ねられたことだけ、はっきり覚えている。その逆、明日から学校に行くんだよ、と伝えたら、急にどうしたの、という反応が返ってきた。確かに、僕自身はどうもしていない。その日の朝まで、よもや次の日から復学するとは夢にも思っていなかった。ただ、そもそも研究が辛くて引き篭もっていた訳でないので、突破口は最初からそこにあった。救いの糸が目に見える形となって具現化し、僕を泥沼化した生活から引き上げてくれた。

 だから僕は引き篭もりを辞めた。


 はっきり言って、僕は運が良かった。あの時、E先輩が鍋に誘ってくれなければ、僕は引き篭もりを続けていただろうし、先生が、「一年伸ばせば修士号をとれるから諦めず頑張ろう」みたいなことを言い出していたら、一年を無駄にしたという事実と向き合うことに耐えられず、やけになって学校を辞めていたかもしれない。これしかないという状況が積み重なって、僕は社会生活を取り戻した。

 修士課程一年目を棒に振ったことで、修士卒採用枠の就職活動の道は殆ど断たれ、博士課程への進学を余儀なくされることにはなったが、先生の発言通り、修士課程を二年で修了することにはギリギリ間に合った。僕の経歴には本当に一切の傷がつかなかった。ただそれは、僕の過剰な自意識によるこだわりでしかなく、就職した後、留年経験のある人間や博士課程に一年多く通っていたという人間はゴロゴロいたし、3ヶ月で前職を辞めて謎の二年近くのブランクを経て仕事に就いた人間さえ見た。履歴書で仕事をするわけでないので、当然、僕より断然役に立つ人材である。


 余談だが、E先輩は、あまりの押し出しの強さに後輩や女性陣から蛇蝎のごとく嫌われており、E先輩の存在を理由に博士課程進学を辞めて就職することに決めた、という人間が僕の知っているだけでも3人いる。要するに、僕の救世主(の一人)は研究室の厄介者でしかなく、あの日僕を鍋に誘ったことも、周囲からは「デリカシーの感じられない暴挙」と捉えられていたらしい。「毒のおかげで救われる命もある」とでもいうような、痛烈な皮肉を感じる。

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