第7話 恵みの祈り
いい加減耳が痛くなってきた。
降りしきる雨の中、家の外でかれこれ一時間近く懇願し続けるマフに、募る苛立ちは徐々に薄まっていき、ずぶ濡れで泣き叫ぶ少女が少しだけ気の毒に思えてきた。
人、さらに言えば王家を恨むスイの気持ちは本人以外には計り知れない。
物心つく前に王家の都合で勝手に身体を弄りまわされ、人々が恐れるような強大な力を持たされた。望んでもいない力は平和な世の中では意味を持たない。むしろ厄介とされ、戦時は英雄だった『勇者』は、いつしか『魔人』『化け物』と罵られ、恐れられるようになった。
魔王との戦いが終わってから、スイはずっと一人だった。
「お願いします。ローゼンタールが……レティスが……」
外から聞こえてくるマフの声が震えている。一時間も雨に打たれて続ければ無理もない。
彼女の話では、ローゼンタール国土奪還十周年式典中に突如現れた、魔族の軍勢十万に為す術なく、姫であるマフだけが逃がされたということらしい。
魔族が集団、ましてや軍を形成するなど、普通は有り得ない。
魔族は魔王を天上とした六からなる階級に分かれている。魔王、最高位、上位、中位、下位、低級の序列で、上位以上の魔族は人語を操る程度には知能指数も高い。しかし、十万の軍勢を束ねる能力は皆目ない。あるとすれば必然的にそれ以上の存在となる。
魔王は十年前スイたちが倒した。その時に最高位の魔族も一人残らず掃討した。
それに、おかしな点がもう一つ。
十万の軍勢がただ一体も見つかることなく国境を越えられるだろうか。ローゼンタール王国と魔界の間には、この高原を除いて、堅牢な壁と門で遮られている。そこで国境警備隊が二十四時間体制で目を光らせている。一体や二体ならまだしも、十万はさすがに見つかるはずだ。もちろん、この高原にもそんな魔族の大軍はやってきていない。
だとすれば、ローゼンタールに内通者がいると考えるほかない。その何者かが魔族を使役しているのだろうか。
魔族を統率するとは一体何者なのだろうか。
魔族は本来、人に使役されることはない。魔族の本能がそれを許さないのだ。どんなに戦力差があろうと、見るなり飛びかかってくる。所謂、下等生物だ。
あれこれと考えている間にも、
「……話だけでも聞いていただけませんか? ……もしや、あなたは『勇者』なのでは?」
勇者。
懐かしい響きにスイは震えた。
マフはいつまでこんなことを続けるつもりなのだろうか。姫である彼女はなぜここまで頑張るのだろうか。
ずっとここに居られても迷惑だし、さすがに根負けた。
スイは頭を掻いて複雑な気持ちを整理した。溜息を吐いて、ベッドから飛び上がる。
よたよたと面倒くさそうに頭を掻きながら入口まで行く。
「いつまでそうしてるつもりだ?」
両膝をついて祈るマフの目と口が大きく見開く。
まるで神でも降臨したかのような反応に、さしものスイも口元が緩んだ。
「くっしゅん……」
小さくくしゃみをしたマフは鼻をズビズビと啜る。
「とりあえず、中入れば」
「よろしいのですか⁉」
何も返さず奥に戻ると、申し訳なさそうにマフがついてきた。
ぶるぶる震える小さな体に見かねて、毛布を投げてやる。
「ありがとうございます」
毛布にくるまったマフは、とても一国の姫には見えない。さながら蓑虫のようだ。
マフを作業台に据付のスツールに座らせ、スイはベッドに座った。
暫し沈黙が続く。スイは個人的な私怨というより、無意味に豪雨の中いたいけな少女を長時間外に放置した罪悪感。マフは何から話せば良いものか考えていた。
「まずはお招きいただき、話を聞いていただけることを感謝いたします」
先に重い口を開き沈黙を破ったのはマフだ。
一度、毛布を取って深々とお辞儀する。
「そういうのはいいよ」
「失礼しました」
「謝る必要はない。俺はまだ君に協力すると決めたわけじゃない。ただ少し話を聞くだけだ」
「はい! ありがとうございます」
マフはニコッと笑んだ。再び毛布にくるまると、決意を固め一番気になることを質問する。
「単刀直入にお聞きしますが、あなた様はその……勇者であらせられますか?」
スイ自身も一番気になっていた質問。だから、マフの話を訊く気になった。
勇者……存在したことすら闇に葬られた旧世代の異物。彼女の口からなぜ、今さらそんな言葉が出て来たのか。
「お前はここに勇者がいるから、ここに迎えと言われたのか?」
「……マフと申します。いえ、ただこの高原に逃げるようにと、父であるランゾにそう言われ、共に来たレティス騎士団長からはそこにいる『仲間』を連れ助けにきて欲しいと」
「仲間……?」
仲間。その単語に引っ掛かり、スイは違和感を覚えた。
スイが意地悪く笑う。
「勇者……確かに十年前はそう呼ばれていた……」
「やはり!」
食い気味のマフの目が一層色めき立つ。それはスイにとっては予想外の反応だった。
十年前の真相を知る王族や一部の人間たちはスイを魔人と呼び、化け物扱いをした挙句、抹殺を試みた。王宮の地下で鎖に繋がれ、何度も何度も殺された。何度殺しても、死なぬスイに根負けすることなく毎日数十回は殺され続けた。酔狂な変人と出会わなければ、今も王宮の地下で殺され続けていただろう。その地獄から逃れたとは言え、この辺境の地で死人同然の生活を余儀なくされた。
当然、王族であるマフも化け物と罵るものだと思い込んでいた。
スイがその気になれば、王族諸共国を潰すことだって可能だった。しかし、自分たち勇者がその生涯をかけて守り、取り戻した人や土地を無に帰すことは、自身の存在を否定するかのようで、憎しみに駆られながらもスイは躊躇した。
「怖くないのか?」
「何がです?」
全くわからないと小首を傾げる。
「俺が怖くないのか?」
「なぜです? ずっと、憧れていました! お話の中の七人の勇者に……」
キラキラとした羨望の眼差しが向けられ、スイは純粋に困惑する。
「現実はあんな絵空話とはかけ離れている。どうやら、お前は何も知らないようだな」
「だったら! ……教えてくださいませ……」
尻すぼみなマフの言葉にスイは呆れた。
「お前の望みはそれなのか?」
ハッと我に返ったマフは、
「いえ……。勇者様にローゼンタールを救っていただきたいです」
「だったら無理な相談だ。雨が上がったら帰ってくれ」
「なぜです? もちろん、対価なら差し上げます。どうかそのお力をお貸しいただけませんか?」
「理由はローゼンタールの王『ゾンゲ』が嫌いだからだ」
「伯父は七年前、私が産まれた年に亡くなりました。」
マフの表情が引き締まる。小さな頭で何か考えているのか、一拍開けて続けた。
「それでは失礼いたします」
ペコリと頭を下げて毛布を丁寧に折り畳み始めた。
現在も外は勢い変わらず横殴りの雨が降っている。
物わかりの良さ、思い切りの良さに感服する。
拍子抜けだった。自分で言っておきながら、もう少し駄々をこねられるものだと予想していたからだ。ただ、駄々をこねたからといってスイの行動が変わるわけではない。だから、スイは何も言わなかった。
本当はマフも食い下がらないつもりだった。託された任務を遂行するため、国やレティスを守るため、なりふり構っている余裕はなかった。けれど、スイが言った「ローゼンタールが嫌い」という言葉と、その時見せた彼の憎悪に満ちたおぞましい顔を見て、マフは怖気づいたのではない、王家が彼をそうさせた責任を感じたのだ。
王家を憎む彼を王家のために戦わせることは、幼いながらとても酷なことだと思ったのだ。
だから、マフはきっかりと諦めた。
「お話を聞いていただき、ありがとうございました」
マフは淡々と毛布を畳み終え手渡してくる。そして降りしきる雨の中、外に出た。
こちらに向き直り、もう一度深々と頭を下げた。
「恵みの神、アティマの加護があらんことを……」
心から願い、祈った。憧れだった勇者の道行が明るく愉快なものでありますように。
最後に祈りを捧げ、マフは森へ向かって走りだした。
小さい背中がどんどん小さくなっていき、やがて消えた。
スイは呆然としていた。
——恵みの神、アティマの加護があらんことを。
一言一句たがわないその祈りをスイは聞いたことがあった。
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