第5話 不死の勇者

 今から十年前、魔王はこの世界の七割を手中に収めていた。


 シーラン大陸には七つの人の国と、魔族が住む領域があった。大陸の七割が人の住む『人界』、残りの三割が人の住むことができない魔族領域『魔界』が介在していた。


 互いの領域には干渉せず、人も魔族も平和に暮らしていた。


 人間とは何と愚かだろう。

 増えすぎてしまった人口分の食料確保のため領地拡大を狙い、七つある国々は自国の領土を増やすために戦争を始めた。

 それが全ての始まりだった。


 各国の王たちは無駄に減り続ける国益に目がくらみ、自分勝手に始めた戦争を停戦した。しかし、それでは戦争を始めた意味がなくなってしまう。そこで王たちは共に魔族の領土を手に入れようとした。

 魔界は人の住めるような環境ではなかった。それこそ無益な戦いだった。


 突如始まった人間の侵略に、魔王は返り討つことを決めた。

 本来、人が勝てるような戦いではなかった。魔族には『魔法』という人智を超越した力がある。人々の中にも稀に優れた人間は『加護』という力を使うものもいた。

 それでも戦力差は圧倒的だった。


 人の愚かさに激怒した魔王は人を根絶することを決めた。


 大陸の三割だった魔界は七割まで拡大し、人界は三割、人口は約半数にまで減っていた。


 追い詰められた人界の王七人は各国の選りすぐりの研究者を集め、とある研究を始めた。


『人造勇者計画』


 その内容は、酷く無残なものだった。魔族遺伝子を適正のある人間に組み込み、魔法を使う人間を生み出そうという、とんでもない計画だった。


 計画は成功した。


 計画により生み出された人間たちを、各国の王は『勇者』と呼び、人々を導かせた。

 人智を超えた力を持つ勇者は一国につき一人生み出された。

 どんな兵器をも勝る勇者の存在は国同士の均衡を崩しかねない。だから、勇者は一国につき一名と決められた。


 勇者はそれぞれ異なる力を持っていた。

 ローゼンタールが所有する勇者は『不死』の能力を手に入れた。スイという名のまだ七歳の子供だった。


 勇者たちは最前線で驚くべき程の成果を上げた。

 その活躍に人々は後押しされ、人々は魔族を押し返していった。


 やがて、七人の勇者は凄まじい手腕と確固たる実力で、魔族を元の大陸三割の魔界に押し戻した。

 そして、遂に魔王を仕留めた。



#



 スイは退屈だった。


 何もない高原で何の刺激もない毎日。

 腹は減るし喉は乾くが、いつからか飲食はしなくなった。というより、できなくなった。この高原には食べ物も飲む物もない。

 それでもスイは死なないのだ。


「退屈だ」


 今日も何も変わったことは起こらない。退屈な日常。

 代わり映えのない毎日を日々浪費していた。


 その日は突然やってきた。


「ごめんください!」


 最初は聞き間違いだと思った。


「ごめんください! 誰かいませんか?」


 聞き覚えのない女の声。

 まさか人がこんな辺境にやってきたとでも言うのだろうか。ここは人界と魔界の境界線。人なんて来るはずがないのだ。


 外から扉が開かれた。しかも力一杯、扉ごと引き抜かれた。


「お前! 何してんだ!」


 呆然と扉の前で立ち尽くす少女に、スイは警戒心を高めた。

 絹糸のような艶やかなブロンズヘアーから覗く、宝石ように透き通った紺碧の瞳。新雪みたいな純白肌。見るからに高価で瀟洒な淡い橙色のドレスが泥だらけになっている。

 こんなところに少女というか、子供が一人で来るなんて絶対におかしい。おかしくなくてもスイは関わり合いたくなかった。


 スイは人が嫌いだった。


 かつてスイは勇者と呼ばれていた。まだスイが目の前の少女と同じくらいの年齢だった頃だ。

 仲間たちと、大陸を蹂躙した魔王を撃ち滅ぼした。

 最初は英雄と称えられた。

 自分たちを題材にした童話が流行し、スイたちは名実共に勇者だった。

 それから一年たった頃、七国の王たちはある決断をした。この世界を救った勇者を抹殺するという計画だ。


 泰平の世に勇者の……魔人の力は必要ないと……。


 その後、他の六人がどうなったのかはわからない。

 スイはその『不死』という特異性から抹殺できないと、魔界、すなわち今住んでいるこの地に一人流された。


 スイは人を憎んでいた。


 彼女はマフ。自分がローゼンタール王国の姫だと名乗った。

 眠っていたスイの怒りが一気に飛び出してきた。

 自分を抑えることができない。憎しみに自分が支配されていくのがわかった。


「帰れ」


 自分が自分でなくなる。

 もう一人。普段は眠っている邪悪なもう一人の自分が心の中で語りかけてくる。


「……殺せ……」


 少しでも気を抜けば、自分が乗っ取られると思った。


「——失せろ! 早くしないと……俺はお前を殺してしまうぞ」


 最大限少女を威嚇した。

 邪悪な自分ではなく、スイ自身がマフを死ぬほど殺してやりたいと思った。


 尻餅をついて後ずさったマフは踵を返して森へ帰っていった。

 最後に見たマフの表情に胸を刺された。


「みんな、あの顔だ」


 まるで化け物でも見るような冷たい視線は、スイが王国で向けられていたものと同じだった。


 悪いものを出すように息を長く吐いて、精神を落ち着ける。

 外れてしまった扉を拾い上げて、とりあえず元あった場所に立てかけておく。


 ベッドに戻り勢い良く寝っ転がる。仰向けになり目を瞑ると、扉の隙間から湿った冷たい風が抜けてきた。


「一雨きそうだ」


 そのまま吸い込まれるように、スイは眠りに落ちた。



#



 恐ろしいものを見た。あんなにも恐ろしいと思ったのは人生で初めてだった。

 今でも全身が震えて止まらない。


 分厚くて暗い雲が空を覆い、冷たい大粒の雨が降っている。

 ザーザーと地を打つ雨音が何だか心地良い。

 マフは森と高原の境目近く、ぎりぎり森側の大木の下で雨宿りをしていた。


 両手がぶるぶると震えているが、恐怖心からくる震えか、雨に打たれて体が冷えて震えているのか、自分でもわからなかった。


「……寒い」


 マフは全身を小さく丸めて、大木に身を委ねる。冷えた体を背中からじんわりと温めてくれた。

 自然と心も落ち着いてくる。


「どうしよう……。このままではレティスに合わせる顔がないは……」


 レティスに頼まれた任務を投げ出し、情けないことに失禁までしてしまった。啖呵を切った手前このまま帰ることはできない。

 そもそも、彼が軍隊を率いる者には見えなかった。軍隊らしきものも辺りには確認できなかったし、人違いかもしれない。


「なぜレティスは私をここに……? ……やっぱり彼だよね……」


 少年の鋭い目が脳裏に蘇り全身が縮み上がる。


 ここには少年しかいない。少年は途轍もない殺気を身に纏っている。若いけれど確かに只者ではなさそう。

 マフは頭の中を整理する。


 絶体絶命の戦況を一人で変える程の戦力。


 考えられる存在はたった一つだけだ。

 勇者。

 マフが大好きだった物語に出てくる、あの勇者だ。あの物語は実話が元になっているし、物語の七人の勇者が実在するなら、この状況を変えるだけの力が十分にある。

 彼がもし件の勇者なら、ランゾやレティスがマフをここに逃がしたかった理由も頷ける。


「彼は勇者というより……」


 あれやこれやと考えても、正直八方塞がりだ。彼の正体が何であれ、どちらにせよもう一度、会う必要がある。

 マフは両手で両頬を叩き、自分自身に喝を入れた。


「私がやらなくちゃ! でも、その前に……」


 マフは不快感の残る下着を脱ぎ捨て、雨水が溜まった水溜りで下着をすすいだ。


 激しい雨が降りしきる中、立ち上がったマフは再び少年がいる小屋を目指した。


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