第4話 マフの任務

 魔族によるローゼンタール王宮への攻撃から地下通路を抜け、マフは何とか無傷で逃れることができた。それもひとえに、国一番の剣士レティスが共にいてくれたおかげだろう。

 手負いでありながら別任務を開始したレティスに救援部隊を呼び、いち早く駆けつけるため、マフは森の木々をかき分けて森を抜けた先、国境付近の高原を目指して走っていた。


「急がないと!」


 マフは自分の力不足を嘆いていた。

 自分の我儘で父である王ランゾの元に帰ろうと、レティスの目を盗み勝手に王宮に戻ろうとした。結果、父に会うことはおろか、レティスを無駄に消耗させてしまった。

 だからこそマフは自分にできることをしようと、恐怖をぐっと飲み込んで、レティスに頼まれた任務を引き受けることを決めた。


 高原にいるだろう仲間を呼んで、レティスと合流し、ローゼンタール王宮を取り返す。

 きっと、強力な軍隊が待っているのだ。マフはまだ見ぬ仲間の姿を想像し胸を躍らせた。


「私が皆を誘導して戻れば、きっとまた平和になる!」


 マフは一人、自分を鼓舞し続けた。一睡もすることもなく、長い時間代わり映えのしない森の中を歩き続けた。

 途中、背後からの凄まじい爆発音を耳にしたが、マフは止まらない。


 日が沈み、暗闇を跨いで、また日が昇る。


 深い森の中、木々が徐々に少なくなり、隙間から遠くが見える。


「やったー! 森が途切れる。もうすぐ高原よ!」


 すっかり疲れ切ったマフには、地獄に垂らされた一本の糸のようだった。

 疲れがどこかに吹っ飛んで行くようだった。随分伸びた雑草を踏みしめて森を抜ける。


 視界が一気に開ける。

 森と高原は人為的に二分されたように正反対だった。

 青く茂った草木に、満ち満ちた生命力。打って変わって、高原には背の低い枯草と、剝き出しになった荒れた地面。生命力を微塵も感じない。およそ人が住める環境ではないように思う。


 どこまでも続く高原の地平線に、軍隊らしき影は見当たらない。


「軍隊はどこ? ……もしかして私、間違えちゃったの?」


 疲れ過ぎて幻覚を見ているのかもしれない。実はマフの前には大人数の兵士がいるのかも。そう思いマフは両目を何度も瞬かせた。

 しかし、見える景色は変わらない。

 右へ、左へ視線を移すが木の一本も見えない……。


「……うん?」


 視界の右奥に微かに何かが見える。ここからでは豆粒のようで、それが何かを認識することができない。

 目を擦って、ほっぺをつねって、それが幻覚でないことを確認してから、マフはその何かに向かって歩き出す。


「この際、あの豆粒がなんだって構わない。とにかく行ってみるしかないわ……」


 想像の数倍歩いてやっと、その豆粒だった何かが、小屋のようなものだとわかった。

 小屋があるなら誰かいる。

 マフは真っ直ぐに小屋を目指す。


 豆粒が小屋だと認識してから小屋に到着するまで、予想していた以上に距離があり、最初は走っていたものの、着いた頃にはすっかりへばって、よたよたと千鳥歩きになっていた。距離を見誤り、体力の配分を間違えたのだ。


「はぁ……はぁ……。意外と遠かったわね」


 小屋は本当に絵に描いた小屋で、日々王宮で暮らすマフにとっては、それが馬小屋に見えていた。

 対して太くない柱に薄い壁板を張り付けただけの、窓一つない簡素造り。掘っ立て小屋。


「ごめんください!」


 入口に回り込んだマフは拳で扉を三度叩いた。


「……」


 何も返事はない。

 返事はおろか、中から物音一つしない。

 本当にこんなところに、ローゼンタールを救う程の救世主がいるのだろうか。もしかすると、レティスがマフを逃がすためについた噓の任務だったのでは。そういった小さな疑念がマフの中で芽吹いた。


「ごめんください! 誰かいませんか?」


 先程よりも声を張り上げる。しかし、返事はない。


「仕方ない。人がいる気配もないし……。とりあえず、中に入らせていただきましょう」


 持ち手に手をかけ、右手で扉を引く。乾燥した薄板の扉は軽く、勢い良く扉は開かれた。


「——しっ! 失礼しました!」


 小屋の中を一瞬垣間見て、マフは慌てて扉閉めた。

 カタンという無慈悲な音が高原に響く。


 中に人がいたのだ。

 扉から向かって右壁際に作業台のようなテーブル。奥側の壁に面して、くすんだシングルベッドがあった。そのベッドの上に一人の少年が天井を見上げ、仰向けに寝転がっていた。両手を後ろで組んで枕代わりに頭を支えて、右足を上げて左膝の上にのせるように足を組んでいるように見えた。


「もしかしてこの方が……」


 なぜ最初に訪ねた時に迎え入れてくれなかったのだろう。せめて、返事くらいはしてくれてもいいだろうに。

 訳がわからずマフは首を捻った。


「私はローゼンタール王国国王の娘、マフ・ローゼンタールです! 騎士団長レティスの命を受けて参りました。どうか私たちにお力を貸していただけないでしょうか?」


 マフは扉の前で祈るように手を組み、大声で懇願した。


「……」


 返事どころか、物音一つしない。


 マフは一国の姫なので自分の問いかけに応えない者は今までいなかった。初めての無視。それに前日から持ち越した疲労感も相俟って、少しだけイラッとした。


「あなた! さすがに失礼ではなくて⁉」


 扉に怒りをぶつけるように全力で開く。元々雑な造りだったし、長い間使い古されていたからか、蝶番が外れ扉ごと外れてしまった。

 小屋がとても開放的になった。


「あっ……」

「お前! 何してんだ!」


 黒髪の少年がベッドから飛び起きた。前髪の隙間からちらりと鋭い視線が飛んでくる。上下に分かれた麻の襤褸切れを身に纏い、裸足のままこちらに向かってきた。


「あの……ごめんなさい。壊すつもりはなくて……」

「つもりはなくても、扉は壊れているんだが?」


 扉があった部分に手をついて、少年が威嚇してくる。

 責め立てる視線が痛くて、マフは俯いてもじもじする。


「べ、弁償します……」

「当たり前だ! ……って、できないだろ。お前、いくつだ? 一人でこんな辺境の地まで来たのか?」


 マフの姿をしっかりと視界に捉えた少年は呆れ顔で溜息を吐いた。マフが子供だとわかって、少年の溜飲はやや下がった。


「王宮に戻れば……。なんなら小屋ごと新しいのを建ててあげますよ。歳は七歳です。レティスに言われてここまで来ました……」

「……王宮?」


 王宮という言葉を聞いて、明らかに少年の態度が変化した。

 憎悪剝き出しの恐ろしい目。冷たい感情の気配が周囲を覆った。

 まるで目の前に魔族でもいるかのような緊張感に、マフは喉を鳴らした。


「はい……。王宮に……戻れば……私はローゼンタールの姫なので……」


 唇を震わせながら、恐る恐る口を開く。


「帰れ」


 吐き捨てるような消音。

 ぎりぎり聞こえた感情のない言葉に、マフは全身が凍った。


 怖い。

 目の前のこの少年が酷く恐ろしい。前髪で隠れた目は、今何を映しているのだろうか。


「あ……」

「帰れ」


 全身の震えが収まらない。

 マフの短い生涯の中で今が一番恐ろしい。目の前の弱冠十何歳かの少年が、魔族や悪魔より怖かった。


「……せん」

「あ?」


 マフは恐怖に抗い、バッと視線を上げた。真っ直ぐに少年を見据える。


「できません!」

「……」

「私はここに助けを求めに来ました! 協力者のことは聞かされていませんが、きっとあなたなのでしょう? あなたは軍隊を持っているのではないのですか?」

「——失せろ! 早くしないと……俺はお前を殺してしまうぞ」


 少年の漆黒の双眸がマフをぎろりと睨みつける。

 マフはゾッとした。

 少年には何か良くないものが取り憑いている。素朴な少年の奥に何か途轍もなく恐ろしい何かを感じる。

 それが怖くて、怖くて、マフは失禁した。腰を抜かし尻餅をつき、少年から少しでも離れるために全身を引き摺って後ずさる。


 あまりの恐怖で任務とか、ローゼンタールとか、今のマフにとってはもう、どうでも良くなっていた。

 マフは何とか立ち上がると、無我夢中で森へ走った。


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