第2話 嫉妬の不意打ち

「ケンヲオロセ……」


 地面に落ちた松明の心もとない灯りに照らされた悪魔の形相。腹の奥から漏れ出るような気味の悪い低音の声。


「わかった……」


 マフの首元に当てられた短剣の如きデーモンの爪に、レティスは生唾を飲み込み、左手を宙に上げ、右手の剣を地面にゆっくりと置く——。


 刹那。対面するデーモンの気迫が一瞬弱まったことを、レティスは見逃さなかった。

 地面に置きかけた剣を右足で蹴り上げる。剣は真っ直ぐ飛び、デーモンの左目を貫いた。


「グオオオオオォォォッ!」


 レティスはデーモンが怯んだ一瞬で飛びかかり、デーモンに突き刺さった剣を勢いよく抜き、勢いそのままにマフを掴んだ右腕を関節の部分で斬り落とした。


「オァァァァァ!」


 血しぶきを噴き出す右腕を左手で持ち上げたデーモンが悲鳴をあげる。そんなことには目もくれず、レティスはマフを抱き抱え後退する。


「姫様! しっかりしてください!」


 救出したマフの首には、関節部で斬り落とされたおぞましいデーモンの手がしがみついたままだ。

 意識は朦朧としているが息はある。

 こわれもののようなマフの小さな体をゆっくりと地面に横たえて、レティスは恐る恐る首に付いたデーモンの腕をはぎ取った。


「レティス……」


 薄く目を開けたマフが絞り出すような声をあげる。


「……姫様⁉」

「ごめんなさい……私……」


 マフの言葉に覆いかぶさるデーモンの気迫と怒号を背後に受けて、レティスは剣を握った。


「少し黙ってくれないか……」


 音もなくレティスは振り向き、横薙ぎに一閃。

 鋭い剣線は淡いグリーンの光芒を引き、デーモンの肉体を上半身と下半身で半分にした。上半身が重力を受けするりと滑り落ちると、残された下半身だけが地面に杭打ち、切断面から噴水のごとき血しぶきを上げている。

 さすがは国一番の剣士。剣を鞘に納めるまでの一連の動作は堂に入っている。


 カチンと納刀の音と共にレティスはマフの元へ飛びついた。


「姫様! ご無事ですか⁉ しっかりしてください! このままでは王に合わせる顔がありませぬ」

「ごめんなさい。レティス……私は大丈夫よ」


 手に力が入らないのか、マフの手はふらふらととりとめがない。横たえたまま、それでも懸命に手を差し出してくる。


「先へ参りましょう。これ以上の我儘は看過できませんよ」

「うん」


 レティスはマフを抱き抱えると、地面に転がった松明を拾い上げた。

 緊急避難用の王家専用の隠し通路は、元は鉱石を採取するための坑道を利用して造られているため、照明がところどころに設置されている。しかし、いずれも現在、灯はともっておらず、辺りは真っ暗闇だ。


「急ぎましょう。追加の追手が来るかも知れませぬ」


 レティスが脱出口の井戸を目指して進みだそうとした時、腹部に猛烈な違和感を覚えた。


「クックックッッ……」


 それはマフの薄ら笑う声だった。確かにマフの声なのに、今まで聞いたことのないようなおぞましい声に聞こえた。


「なぜ……」


 レティスが視線を腹部に落とすと、騎士団長専用の白銀の団服が真紅に染まっていた。

 それを認識したと同時に腹部に激痛が走る。腹部からの痛みが電気信号となり全身に流れていき、全身の力が緩やかに抜けていく。立っているだけでも、大量のエネルギーを消費するような異様な感覚だった。


 一人でに飛び立ち、ひらりと着地したマフの身のこなしは、いくら鍛錬を積んでいるとは言え、齢七歳の動きではなかった。

 マフの右手には刀身が真っ赤に染まった短剣が握られている。


 ……マフではない?


「ヒヤッとしましたよ。さすがはローゼンタール王国一の剣士だ……」


 マフの全身を何かが渦巻いて、マフはマフではなくなった。

 黒のセットアップに白いマント、目を引く整った金髪に、縁の薄い丸眼鏡をかけた青年。レティスはその男に見覚えがあった。


 キーン・クロスニアベッド。孤児だったレティスとは対象的にキーンは、公爵家の跡取り息子で、ローゼンタール王国の時期宰相とも呼び声高い男だ。


 大陸の東面の三割程度を占める、人の住めない土地『魔族領域』に面するローゼンタール王国は人類の守護者として、人界と魔界境界線を守護する役目を担っている。武力のレティス騎士団長、知力のキーン軍師、二人の名声は近隣諸国のみならず、魔族にもその噂は轟いていた。

 レティスとキーンは年が近かったということもあり、度重なる魔族との境界戦争で二人は共に高め合い武勲を立てていった。

 宰相の座を志す良きライバルであり親友だった。


「——キィーン!」


 レティス自身が驚く程、大地が割れるような悲痛の呼び声。

 キーンはただただ嘲笑う。何がおかしいのか笑いが抑えられないようだ。


「貴様……どう……いう……つもりだ。姫様を……どこにやった……」


 徐々に呼吸もままならなくなってきたレティスは必死に振り絞る。


「姫様は無事だ」


 キーンがパチンと指を鳴らすと、彼の足元すぐが靄がかり、やがて晴れてマフの姿が浮かび上がってきた。

 透明の檻に入れられているような、レティスに向けて何かを必死に訴えかけているが、その声は透明の檻に遮断されレティスには届かない。


 ひとまずマフの身の無事を確認することができて、レティスは少しだけ安堵する。


「安心しろ姫様には手はださん。彼女には役目がある」

「役目?」

「そうさ! 彼女には私の妻となっていただく。そして私はローゼンタールの王になるのだ!」


 声高に宣言するキーンは頭のネジが吹っ飛んでしまったようで、いつもの知的で温厚な印象は微塵も感じ取れない。それこそ、別人を疑う程の変わりようだった。


「私はずっと待っていたんだよこの時を……」


 今度は小さく囁くキーン。

 周囲の空気が一変し、冷徹な空気が坑道を支配している。


 二つの人格が介在しているような、そんな異様さを感じた。


「知っているかレティス……? 王宮では時期宰相ともてはやされる私だが、ローゼンタールの愚民どもの中では、時期宰相はレティスだと持ちきりだそうだ」


 実際にそういう趣旨の話が、王都で噂されているということはレティスも認識していた。

 キーンは『大義のためなら犠牲はいとはない』という姿勢で軍略を行う。時には非道に走ることもあった。打って変わってレティスは、目に見える限りの人々は何としても救いたい。『犠牲者は一人だってだしたくはない』という姿勢だった。そんな戯言を現実にしてしまう、確かな実力がレティスにはあった。

 共に信じられないような成果を上げたが、民衆はレティスを英雄と称えた。


 レティスは腹部の痛みに耐えかねて、そこで片足をつく。左手で刺傷を押さえるも、殆ど意味はないだろう。ドロドロと熱を帯びた血液が体外に流れ出ていくのを肌で感じる。

 キーンは片目でレティスを一瞥と、気にも留めず続けた。


「なぜだ⁉ 貴族でもなければ、愚民以下の孤児だった貴様が宰相だと⁉」


 キーンは片膝ついたレティスの周りをゆっくりとゆっくりと歩く。

 一周周ってレティスの正面に来ると、キーンは歩を止めた。


「ふざけるな!」


 キーンが蹴り上げ、レティスの傷口を抉る。


「ぐはっ……」


 レティスは吐血する。腹から噴き出す血を押さえることができない。


「なあ、レティス、おかしいと思わないか? なぜ私は評価されない? なぜ愚民どもは貴様を称える? 初めはわからなかった……。しかし、気づいたのだ! 馬鹿な愚民には高尚な私のことなど理解できぬと。私は王に進言した『レティスの甘さはいつか国を亡ぼす』と……。それで王は何と返してきたと思う? 『彼の持つ優しさはローゼンタールの宝だ。その先に滅亡が待っているというなら、それもまた運命』」

「なにを……」

「馬鹿だよ。どいつもこいつも……。その時思ったのだ、私がやらなければ。私がローゼンタールを導かねばならないと」

「お前……に……ローゼンタールは重すぎる」

「黙れ! 誰が話していいと言った? 私はまもなくローゼンタールの王となるのだぞ。貴様のような底辺は慎め!」


 かつての友の目は温厚さの欠片もなく、まるでゴミでも見ているかのような侮蔑の視線だった。


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