人造勇者の成れの果て~亡国の姫と不死の勇者~
ゆれ
ローゼンタール王国崩壊編
第1話 ローゼンタールは死なない
強固な王宮を揺らす程の轟音にマフは耳を覆っていた。
初めて聞いた音。それは砲弾が王宮にぶつかり、発せられたものだった。今年の春七歳になったばかりのマフには重く恐ろしい音だ。
砲撃の合間に時々、耳に届く衛兵や侍女達の悲鳴にマフは一層耳を覆う。
「ローゼンタールの繁栄も、もはやこれまでか……。レティス……マフを頼むぞ……」
王の間にある荘厳な玉座に腰掛けたマフの父、ランゾ・ローゼンタールは側近のレティスに深く小さな声で語りかけた。
「大王様。このレティス、命に変えても姫様を逃がしてみせます」
玉座の前に跪いたレティスはローゼンタール王国一の騎士で、孤児だった少年の才を見抜いたランゾが家臣に無理を通して連れ帰ってきたのだ。当初あった反発を二十年かけて、己の実力で跳ね除けた。国民から英雄と称えられるようになった今でも、レティスはランゾへの忠誠を忘れてはいない。
「おおっ……なんと心強い! その言葉を聞けて我は安心したぞ」
玉座から降りたランゾはレティスの手を取った。
「大王様……」
レティスは唇をきつく噛み、全身をわななかせた。
震える拳をランゾがぎゅっと握りしめる。その目は力強い王の目だった。
幼いマフは状況がわからなかった。ランゾの言葉の意味するところも、レティスがなぜ泣いているのかも。それにこの不快な轟音が続いている理由は何なのか思考を巡らせるも、マフには何一つ答えが見つからなかった。
マフは部屋の隅でただ泣きじゃくっていた。
「時間がない。すぐに出立を」
「はっ!」
レティスは短い返事を返すと、いつも通りの精悍な面持ちに戻した。
ランゾがマフの下に跪く。広い王の間の部屋の隅。
「マフ。お前は生き残りなさい」
「お父様……?」
マフは小首を傾げる。とどまることを知らない涙の粒がマフの柔らかい頬を滑り落ちていく。
言葉の意味がわからない。いつも優しい穏やかな父の顔は見る影もなく、初めて見た王の顔にマフは少しだけ恐怖した。
ただ、これから自分や父にとって良くないことが起きるということだけは直感で感じ取っていた。
「マフが生きている限りローゼンタールは死なない。それを忘れずにお前生きなさい」
父の力強い言葉。「ローゼンタールが死ぬ」父は何を言っているのだろうか。
「レティス頼む」
短く言ったランゾの頬には一筋の光が零れ落ちたような気がした。
「行きましょう姫様」
マフはレティスの小脇に抱えられた。
「何をするのレティス? 行くって何処へ? 私はお父様と一緒がいいわ」
マフの声は届かない。
精一杯振り払おうともがいても、さすがは国一の騎士びくともしない。
「行きなさいレティス」
ランゾが向こうを向いたまま言う。
レティスはマフを抱え込む腕に力を込め王の間を後にした。道中、見慣れたはずの王宮の廊下は見たこともない程荒れていた。瀟洒な王宮は見るも無残な廃墟のように朽ち果てていた。砲弾が撃ち込まれ、剝き出しになった通路。焼け爛れた兵士の残骸。
#
マフが三歳の頃。まだ存命だった実母が寝る前に聴かせてくれたお話があった。マフはその物語が大好きだった。
魔王が世界の半分を占領し、度重なる侵攻により世界の人口は半減していた。
魔王率いる魔族の軍勢はとどまることを知らず、さらに侵攻を続けた。魔王軍が世界の七割を手にしたとき、元はいがみ合っていた国々が初めて手を取り合い最後の戦いを挑んだ。人々を導いたのは異形の力を有する七人の勇者。勇者達は人々の希望となった。
勇者は神より与えられし力を駆使し、一人また一人と魔族を倒していった。勇敢に戦う勇者に背を押された人々は立ち上がり、一時魔王により七割占領されていた世界を取り戻し、魔王を追い詰めた。そして歴戦の果て、勇者によって魔王は打ち滅ばされ、世界には平穏が戻ったというお話だ。
マフが産まれる少し前に起こった実話を基に作られたお話だという。
「いつか勇者のように人々を導く光になりなさい」
それが母の口癖だった。
マフ自身もそうなれることを望み努力した。
姫としての教養では飽き足らず、女の身でありながら剣術を始めとした武芸にも精を出した。
「いつか私も物語の勇者のように……」
いつしかそれはマフの夢になっていた。
#
王宮というものは王族が極秘裏に逃走できるように、隠し通路というものが存在する。地下を掘った坑道が数キロ先まで続いているローゼンタール王宮の隠し通路を、レティスは小脇にマフを抱えたまま走り抜けた。
坑道は行き止まり少し開けた小部屋に出る。石を組み上げた壁が人工的に造られたものだと物語っている。
「離しなさいレティス!」
小脇で暴れるか弱い少女をレティスは解放した。
「姫様。ご無礼をお許しください」
レティスは右膝を地につけて跪く。
心配だったマフを今のところ暴だしそうな様子はない。
「どういうことなのレティス? お父様はどうしたの? 全て教えて!」
調子はいつものマフに戻っている。まくし立てるように声を荒げ追求してくる。
清楚でおとなしい見た目に反して、お転婆で危なっかしくて目が離せない性格。しかし、そこが愛らしく彼女を彼女たらしめる部分だ。
レティスは頭を抱えた。どう説明すれば良いものか。
たった今、ローゼンタール王国は魔王により侵攻を受けている。戦力差は歴然で、ローゼンタールに魔王軍を押し返す力はなかった。それでも、民と共に最後まで戦うと大王、ランゾ・ローゼンタールは城に残った。勇敢な王だ。そんな王でもやはり子は可愛いものだ。一人娘であるマフを国外に逃がすように、一番の側近であるレティスに最後の任務を授けたのだった。
「どうしたのレティス? 何も教えてくれないのなら、私はここから一歩も動きませんよ!」
「姫様……」
レティスは一つ大きく息を吐いて小さな声で続けた。
「進みながら話しましょう。ここにも追手が来ないとは限りませんので……」
渋々といった様子でマフはこくりと頷いた。
地下通路を辿って、砲撃音が数キロ離れたこの場所まで微かに響いてくる。
部屋の天井には円形の穴が開いていて、そこから目を焼くような太陽の光が差し込んでいる。
脱出ように垂らされた一本のロープをよじ登りレティスは外に出た。
王宮の東側に長く続く森の中。脱出口は簡易的な作業小屋に併設された井戸に扮していた。
レティスは井戸の中を覗き込み、
「姫様、ロープに捕まって……」
言い終える前に、背筋が凍り付いた。
そこにいるはずのマフの姿が見当たらないのだ。
「——姫様⁉」
一瞬で状況を把握したレティスは慌てて井戸の中に飛び込んだ。おそらくマフは戻ったのだ。父であるランゾの元へ。
額から汗が滴り落ちる。
「しっかりなさっているとはいえ、子供の足だ。まだそれ程遠くへは……」
その時だった。
「きゃあああああぁぁぁぁぁぁー!」
元来た通路の奥からマフの悲鳴が響いてきた。
「姫様っ!」
レティスは全速力で声の源を目指し、隠し通路を戻って行く。
気が気ではない。このままでは王に示しがつかない。格好つけて出来もしない約束をした。マフにもしものことがあれば……。
頭の中には悪い想像ばかりが浮かび上がってくる。
「姫様! 返事をしてください!」
持てる最大限の声量でレティスは叫ぶ。
「助けてレティス!」
マフの声が近い。レティスはさらに足を早めた。
松明の微かな灯りを視界の奥に捉える。レティスが脱出口を上がる間マフに持たせていたものだ。
「姫様!」
レティスは無我夢中で灯りで照らされた場所に飛び出ると、腰に据えた剣を抜刀した。
初めは大男かと見間違えた。三メートル近い身長を持つ大男は、丸太のような太い脚で二足歩行し、狼のような鋭い顔に、顔より大きい二本の角がこちらに向かうように伸びている。まず間違いなく魔族だ。
大きな右手でマフの首根っこを鷲掴んでいる。マフの体が力なく揺れる。
レティスは自然と剣を握る手に力が入れた。
「姫様を離せ! このケダモノ!」
魔族というのは人に比べて個体差が激しい。とりわけて、知能については低いものが多い。それこそ獣のように。
それなのに、その魔族は空いた左手の爪をマフの顔に突き立てた。短剣のように鋭利な爪で、マフのような幼子であれば一突きで命を奪われる代物だ。
「ケンヲオロセ……」
人語を解するというのは、それだけで自己が高位の魔族であるという証明である。
言葉を話す魔族が現れたらまず逃げろ。それはローゼンタール王国では老若男女問わず知っている。言い伝えのように言い継がれている言葉の一つだ。なぜそのような言葉が伝え継がれているかというと、言葉を話す魔族は単騎で軍隊を滅ぼす力を有するというからだ。
レティスは生唾を飲んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます