22.執着をさらう《お題:今年の海風》
※必須要素:サッカーボール
この町には、年に2回必ず強い海風が吹く。
初夏の風は、海に向けて吹く強い風。町の誰かひとりから、その人にとって1番大切なものをさらう。
晩秋の風は、海から吹く強い風。町の誰かひとりに、その人にとって1番大切だった無くし物を返す。
今年の海風は、僕のサッカーボールをさらった。
小さな頃からずっと大事にしていたボールは、蹴った途端ありえない向きに曲がり、海の向こうへ消えていった。
今年の海風は、妹の人形を返した。
彼女が幼稚園に入る前にさらわれた着せ替え人形は、海の向こうに飛んでいった時とまったく同じまま、彼女の手元にすとんと収まった。
けれど、妹はもう中学生。
新しい携帯を片手に、彼女は握った人形を見つめて狼狽えるばかりだった。
僕はしばらく中学を休んだ。妹とも口を聞けなくなってしまった。
サッカーボールが無くなってしまった時は、案外悲しくならなかった。呆気なく飛んでいってしまったので、どうしようもなかったからかもしれない。
でも、妹に人形が返ってきた時思ってしまった。
そんな物より、僕のボールを返せ、と。
悲しいんだろうか。ムカつくんだろうか。
それも分からず、ただただ妹に向けて嫌な感情が溢れるのが嫌で、僕は部屋に篭りがちになった。
妹は、僕を決して怒らなかった。
ある日突然、僕の心は落ち着いた。
きっかけなんて特になく、僕はボールが無くなったことを受け入れていた。
部屋を出て、階段のところで妹の人形を見た。
部屋に置くにも所在なく、仕方ないので階段の近くに置いておいた、といった感じだろうか。
それを見ても、不思議と穏やかな気持ちだった。
僕はボールのことを、少しずつ忘れていった。
数年後、それは高校のサッカー部で練習を終えて、帰り道を歩いている時だった。
秋も深まっていて、吹き抜けた海風はとても強く、冷え冷えとしていた。
気がつくと、サッカーボールが手元にすとんと収まっていた。すぐに思い出す。子どもの頃さらわれたボールだった。
僕は部室にあるぴかぴかのボールたちを思い出し、狼狽した。今になって、どうしろというのか。
初夏の海風は、知らない子どもの色鉛筆をさらったらしい。絵を描くのが好きで、お年玉を貯めてやっと買ったとかなんとか。町中に話が広まっていた。
家に帰り、玄関の扉を開ける。階段を昇る。
そこには、今も妹の人形があった。埃ひとつなく、昔のままずっと置かれている。
大切、という程では決してないんだろう。なのに、妹は今も人形を捨てられない。
でもそれは、きっと僕も同じなんだ。
大切だったボールを抱き抱え、そう思った。けれど、同時に不安になる。そして、考えてしまう。
果たして、海風はこのボールをさらうだろうか。
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