19.ブラインド・エリア《お題:今の夏》

 今の夏は、暑くないのがトレンドだ。

 天幕のように街に張られた、透明なブラインド。それさえあれば、強烈な紫外線はほとんど遮ることができる。

 勿論、厚みを調整して程よく暑さを残すことも可能だけど、望むべくして熱中症になる物好きはいないし、天然の紫外線よりもサロンで焼いた方が、絶対お肌に良い。


『今年の夏も、紫外線警報が出ています。ブラインドエリアから出ずに過ごし、健やかに夏を過ごしましょう』


 アナウンスが流れる街中を、僕は歩く。

 この辺りは徹底的に紫外線が排除されていて、歩くとひやりとした風が肩を撫でる。

 暑くない8月とは妙な世の中になったもんだ、と祖父がよく空を仰いでいたのを思い出す。ブラインド越しの太陽は目で見ても安全なのに、年配の人は未だに太陽を直視できないとか。

 空で白々と光るそれは、まるで電球のようだ。そういえば、夏と同様冬もブラインドで調整されるようになってもう長い。太陽の熱を肌に感じたのは、小学生の頃以来ないんじゃないか。


 はた、と足を止める。心地よい冷風の中に、一瞬だけ熱波を感じたからだった。

 視線を自分の正面に向ける。今や死語と化した遮光カーテンのような、軽い布生地のような何かがはためいている。透き通った素材はビニールを思わせるけど、それとは柔らかさもしなやかさも全く違う。

 街から垂れ下がる天幕、ブラインドだ。

 ブラインドが、外気に吹かれて捲れ上がっていたのだった。

 普通、ブラインドの外側にはもう一枚透明な壁がある。関係者しか開けられないよう厳重にロックされているので、外気が入ってくることなんてありえない。

 そう思い、捲れたブラインドを覗くと、すぐに理由が分かった。

 透明な壁に、無数のヒビが入っている。小石をガラスにぶつけた時ならこんな感じのヒビになるだろうけど、外気を防ぐ壁が、小石なんかでこんなになるはずがない。

 ともかく、壁に入ったヒビの一つ一つから、外気が漏れていることは間違いなかった。

 排気くさい熱風と、管理された冷風を同時に浴びせられ、なんだか風邪を引きそうだ。

 壁にそっと手を当てる。大袈裟に軋む音。ちょっと押せば、簡単に崩れてしまいそうな予感がした。

 それは、ちょっとした好奇心だった。小学生の時、空調がガンガンに効いた教室から飛び出す僕を、刺すような日差しが照りつけたあの感覚。あれがふと蘇っただけだった。


 外に出たい、というと大層に聞こえるけど。

 何のことはない。外気に触れたくて、室内から出るだけのことだ。ただそれだけだ。


 誰に向けて言い訳をしているんだろう。そう思いながら壁を押す手に力を込める。破片がぱらぱら散らばる音と共に、壁に穴が空いた。

 途端、突風が吹きつけた。

 雨の混じった匂いだ。もうしばらく感じていなかったけど、意外と覚えているものだ。

 そんな感慨に耽ったのも一瞬だった。何故なら、それ以上の違和感が僕を襲ったから。

 空気が、刺すように冷たい。


 僕が今浴びたのは、紛れもなく冷気だった。


 どうして、と疑問を抱く間もなく、顔面に衝撃が走る。

 右目の付近に強烈な痛みを感じてうずくまると、足元に硬い音を立てて何かが落ちた。

 無事な左目で見たそれは、一瞬野球ボールのように見える。しかし違った。それは野球ボール大の氷の礫だった。

 巨大な雹が、降っている。

 空いた穴から空を覗く。太陽を探すが見つからない。灰色に澱んだ雲が、上空を覆い尽くしているせいだ。

 尚も冷風が吹きつける。雹に混じって降っているのは、間違いなく雪だった。冗談じゃない、今は8月だぞ!


『今年の夏も、紫外線警報が出ています。ブラインドエリアから出ずに過ごし、健やかに夏を過ごしましょう』


 アナウンスが再び鳴り響く。

 今は確かに夏なんだろう。暦では確かにそうだ。

 だけどいつからだろう。夏をブラインド越しに過ごすようになったのは。その間、本当の外はどんな天気だった?

 ブラインドから見れば、電球のような太陽はそこにある。けれど、穴から覗いた外は重い曇天だ。

 背中を一時熱波が触れる。そして予感が生まれる。

 暑さを空調でコントロールしていたと思っていたけれど、この熱風こそが、外気を抑える。空調だったのではないか、と。


 今の夏は、一体どうなっている?

 僕の疑問に答えてくれるものは、ブラインドの中にはいない。

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