18.隣の奥さまの魔法《お題:切ない昼下がり》
人間界は、お日さまポカポカの昼下がり。ダーリンはまだまだ帰って来ない。
「暇だわぁ」
現代の人類からしたら、アタシは何て贅沢な悩みを持て余してるんでしょ。またお隣の奥さまに嫌味を言われてしまうわ。
窓辺で頬杖をついていると、小さなしゃぼん玉が漂ってきた。後ろのキッチンでは、お昼に使った食器をスポンジたちがひとりでに洗い始めていた。洗剤をたっぷり使って、あわあわになるまで擦るのは悪いクセ。でも石鹸のいい匂いがする。
空を見れば、魔法の箒が洗濯ロープを吊るして空を飛んでいる。洗い立ての洗濯物をぶら下げて日の下を好き放題飛び回ってるから、乾きは早いけど、そろそろ日照権に差し障りそうね。
「洗濯物が乾いたら、お昼寝しようかしら」
夕方に起きたら、箒に乗って夕飯の買い物に行くの。今日はミネストローネが食べたいから、魔法のお鍋でコトコト煮込んでもらうことにしましょ。
「でも、ダーリンはご飯を食べてくれるかしら」
アタシは誰も居ない部屋に問いかけた。そしてその答えはアタシがよく知っている。残業続きの彼は、今日も夕食を外でとるはずだと。
魔法を使えないというだけで、どうしてそんなにせかせかしてしまうのでしょ。おかげで、アタシはずっとひとりぼっちじゃない。
「家に帰りたいわ」
ポツリと呟いた。
勝手にオーブンに飛び込んで焼き上がるパン生地が、お風呂に浮かべると軽やかに歌い出すアヒルが、さみしい夜にアタシを乗せて夜空を飛んでくれるベッドが、恋しい。
ここに引っ越した頃にダーリンから禁止された魔法たちが、アタシの心中をぐるぐる彩っている。
逆に、青空はどんどん褪せていくように思えた。
「これがホームシックってものかしら」
何て切ない、感情なんでしょ。
今まで感じることができなかったのは、幸福なのかしら、それとも不幸?
まあ何にしても、ダーリンはまだまだ帰ってこない。
アタシはそのまま、微睡みに身を任せようとしたけれど。
「ごめんくださぁい」
チャイムを鳴らされて、目を覚ました。
「嫌だわ、お隣の奥さま」
私は渋々立ち上がって、玄関を開けた。
「ちょっと、貴方! 玄関開けるならチェーンかけてから開けなさいって、いつも言ってるでしょ」
「あら、ごめんなさい」
ドアを開けるなり、お隣の奥さまが息巻いていた。
口を酸っぱくして言われているけど、その習慣はどうにも慣れないのよね。
「まあいいわ。ちょっと作りすぎちゃったから、これあげるわね」
「ま、これは何かしら?」
「マドレーヌ。故郷には無いの?」
「ええ。いただきます」
差し出されたマドレーヌを一口。途端に、口の中にバニラとバターの香りが広がった。
「美味しいなら良かったわ」
私を見て、奥さまは笑みを浮かべている。
「こんなの、どこに売ってらっしゃるの?」
「だから、あたしが作ったのよ。貴方も暇なら作ってみたらどう?窓辺で惚けてる奥さまなんか、ドラマだけで十分だわ」
「でも、アタシこんなの作ったことないわ」
奥さまは掛けていたメガネを指で持ち上げると、アタシの背中を見やる。
「貴方の魔法で作ったりできないの? 魔法のお料理はできるんでしょ」
「あの、アレはアタシが使っていたオーブンに魔法を掛けてるから、アタシが作れるものしか作れないの」
奥さまはメガネの奥の目を丸くした。
「あらま、魔法ってそういう仕組みになってるのねぇ」
そして、ちょっと待っててと言い残すと、自分の住む部屋へととんぼ返りしていく。
数分ほどして奥さまが持ってきたのは、可愛らしい道具一式だった。
オーブンの板に、マドレーヌの型、伸ばし棒、バターナイフ、泡立て器、ゴムベラ、ボウル……他にもいっぱい。
「あたしが使ってたものに魔法を掛けたら、貴方もできるわよ!」
そう言って、お菓子道具を押し付けると、風のように去っていった。
アタシはしばらくぽかんとしていたけど、何だか面白くなって、その日のうちにマドレーヌの材料を買いに行った。
その夜、アタシはお菓子道具に魔法をかけた。
奥さま、どうか甘くて美味しいマドレーヌを作って下さいな!
彼女の見込み通り、お菓子道具はすいすいとマドレーヌを作り始めた。アタシの魔法なのに、アタシが作っているのじゃないみたい。まるで、奥さまがそこでお菓子を作っているかのよう。
そうして出来上がったマドレーヌは、お昼の切なさを拭ったのだった。
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