9.湖、食べられてよかったね《お題:難しい湖》

「この世で最も実現が難しい湖は何か分かるかい?」

 それはね、ゼリーで作る、食べられる湖さ。

 退役魔女である祖母はにやりと笑い、こうも言った。

「けど、アタシなら可能だ。だって魔女だからね!」

 ところで祖母よ。孫の私は、プリンよりゼリー派なんですけど。……聞いてない? そうですか。


 家から20分。程々の距離に程々の大きさの湖。

 今からここは、全てゼリーに変わる。

「昔童話であったな。魔女が湖の水を全部ゼリーにしちゃう話。なんてタイトルだっけ」

「静かにおし。今何味のゼリーにするか、本気で悩んでるんだから」

 祖母は随分前から目を閉じて胡座をかいていた。

 てっきり魔法のための瞑想かと思ったけど、全然そんなことはなかった。というか、よく見たら身体が地面から30センチくらい浮いている。

(自由すぎる……)

 祖母は若い時から魔女の勤めに従事していた。

 薬の調合とか、魔法による占いが主で、たまに災害から町を守るための防護魔法を張ってたりしてた。台風の時とか、休日出勤させられてたのを覚えている。

 町に雇われてる形だったので、扱いとしては公務員の現場職といったところ。安月給の割に休日出勤が多すぎると、孫の私に生々しい愚痴を漏らしていた。

(定年で引退してから、はっちゃけてるなあ……)

「決めた、レモンにするよ。童話じみた試みにはレモンゼリーって相場が決まってる」

「初めて聞いたよ」

 私の言葉は無視される。孫だからって、話を全部聞いてくれるとは限らないのだ。私は学んだ。

「さて」

 祖母は懐から樫の杖を取り出した。ごつごつとした持ち手には、年季の入った傷が複数刻まれている。

 人のために使っていた杖を、今は自身の欲望を満たすためにフルスロットルで利用している。魔女として正しいのは、もしかしたら後者かもしれない。

「この町の魔女が命じる。湖の水はレモンゼリーに姿を変えろ。甘さ控えめ、蜂蜜入り!」

 呪文なんだか注文なんだか分からないものを呟きながら、樫の杖で湖面をノックする。

 その瞬間、透き通った湖面は柔らかなレモンイエローに染まった。杖で叩いたところがぷるぷると震えている。

「成功だ。味見といこうかね」

 祖母は続けて宙に向けて杖を振る。

「銀の匙を2つ。本物の銀だよ!」

 瞬く間に、何もない場所から銀でできたスプーンが2つ。祖母はその内の1つを投げて寄越した。

 私は湖の淵に座り、ゼリーをひとすくい。

 スプーンの上に乗ったレモンイエローのゼリーが、日に透けて輝いている。

 数十年前、湖には毒性の物質が流されていた。魔女を殺す為と言われてるけど、真偽は定かでない。

 以来、祖母は毒を見分けるために、銀製の食器だけを使うようになった。おとぎ話とは違って、魔女の寿命も耐性も人並みだから。

「旨い。やっぱり水が良いとゼリーも旨いねえ」

「私、レモンそんなに好きじゃないんだけど」

「お黙り。……最近、仕事はどうだい?」

「多分昔とそんなに変わんないよ。頼まれた薬作ったり、天候の予知したり。業態がブラックなのも変わらず」

 そうかい。祖母はゼリーをつつきながら返事をした。

「魔女ってのは、人のためになることをしてやらなきゃいけないんだよ。アタシはもうまっぴらだけどね」

「人が、魔女の為に何もしてくれないから嫌になった?」

 祖母は首を横に振った。

「勤務中はおやつ禁止だからね」

 そうして、湖面を再び杖で叩く。

「元の、美しい湖にお戻り」

 そうして、元の透き通った湖が蘇る。

「じゃ、水質調査も済んだから私は戻るね」

 私は樫の杖を取り出し、スプーンをこつこつ叩いて消し去る。

「おばあちゃん、長生きしなよ」

「そっちこそ、せいぜい働きな」

 私は杖を宙に振った。

「この町の魔女が命じる。職場まで私を運べ!」

 つむじ風が私を運ぶ。下に見える祖母が手を振っていた。

 祖母よ、心配しなくていいよ。私、この湖が好きだし。

 聞こえてない?……そうですか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る