理解無理解

小狸

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「死にたい」


 それが口癖の男子を、私は見たことがある。死にたい死にたいと言っているのに、なぜか死のうとしない。


 雰囲気が悪くなるから、死ねば良いと思った。


「死にたい」


 言霊ことだまというものがあるのを知らないのだろうか。

 

 生きたい。

 

 楽しい。


 嬉しい。

 

 喜ばしい――そういう言葉を口にしていれば幸せな気持ちになることができるというのに、彼はまるで呼吸するかのように、その言葉を言い続ける。


 クラスで隣の席の男子であった。


 若干猫背で、髪の毛はいつもぼさぼさとしている。変な臭いがすることがあり、クラスメイトからも距離を置かれていた。


「僕はさ――死にたいんだよね」


 まるで呼吸するかのように、男子は毎日のように周囲にそう吹聴して回っていた。


 勉強はできるようだった。

 

 成績はそこそこ良いらしい、性格も大人しいもので、人畜無害である。


 「死にたい」と、常日頃言い続けることを除けば。


 「死にたい」

 「死にたい」

 「死にたい」

 「死にたい」

 

 しかし彼は死なずに生きていた。

 全国の抑うつ状態の方には大変申し訳ないけれど、私は死にたいと思ったことがない。

 

 死にたいくらい恥ずかしいとか、死にたいくらい辛いは――あくまで比喩として――経験したことがあるが、故に私には、死にたいという気持ちを理解することができない。


 生きているのだから、生きるしかないではないか。


 中途半端に親を恨んだり、反発してみたり、「産んでくれと頼んだわけではない」と言うのも良いが――そんなことをしたところで、生きている、生存しているという事実が、どうにかなるわけではないのだ。


 結局彼は「死にたい死にたい」と言いながら中学校を卒業し、そこそこ良い所の高校へと入学していった。


 私よりも良いところに行ったので、何が死にたいだよ生きてんじゃねえか、などと思ってしまったくらいである。

 

 そして十年が過ぎた。

 

 私は、ブラック企業に就職した。明らかな労働基準法違反に、社員を人とも思わない社風、若手がどんどん離れて行って、同期が私一人になっていった。

 

 それでも私は、死にたいとは思いたくなかった。


 だからこそ、続けた。

 

 生きたい、楽しい、嬉しい、喜ばしい、そう思っていれば、きっと良いことがあると思っていたからである。

 

 しかし――ある日。

 

 私は、朝起きて。

 

 ふと。


「あー、死にたい」


 と。


 自分で口にしたのに気付いた。


「え、あれ」


 一人暮らしの部屋に反響するその言葉が、自分のものだと気が付くのに少々時間がかかった。


「え、嘘」


 勝手にぼろぼろと、両目から涙があふれてきて。


 私は初めて――あの男子の気持ちを理解することができたのだった。



(了)

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