第2話

西暦2021年

100秒、つまりは1分と40秒まえ ①


 時を超え、全てをおぼろかすませてしまう雨が、傘に触れ音を立てている。


 僕を外界から切り離し、閉じ込めていた心地よい雨音から抜け出そうと、伏していた目蓋を開け目深に差す傘を、そっと持ち上げ外を覗いた。

 そらから落ちる不規則な雨粒は、時折、宙に静止して僕の目に燦いて映る。


 誰が、傘をタイムマシンだと思うだろう。


 雨に紛れ、傘に隠れて時間を移動する。

 いつの頃からか、そんな僕たちタイムトラベラーのことを、『雨男』あるいは『雨女』と呼ぶようになった。

 誰が呼び始めたのかも、分からない。

 あまり肯定的に使われることのない言葉を、それでも僕は、とても気に入っている。


 そうして目を開けた『雨男』の僕の前にある2021年の東京の6月13日は、知っての通り、雨だった。

 ポケットから高性能端末――この場合はスマホと呼ばれているソレである――を取り出し、無事に降り立つことが出来たのをリアンに知らせてから、歩き出す。雨とはいえ疫病の流行により休日にも関わらず人も疎なこの街で、突然に現れた僕を気に留める誰かなんている筈もなかった。

 

 僕たちタイムトラベラーには様々な仕事がある。主なものとされているのは、過去の調査や歴史的検証、絶滅種や枯渇した資源の未来への移送だが、過去を改変することは決してない。

 何故なら歴史改変に携わってしまえば、僕たちは元いた場所時代には決して戻れなくなるからである。

 つまり、改変するために行動を起こした時点でパラレルワールドへ足を踏み入れたことになり、生を受け個として存在していた、自分が跳んで来た筈の未来の世界から切り離されてしまうからだ。

 何故そのようなことが分かったのか。

 24世紀になり、パラレルワールドの存在が、とある一人の男によって認められたことにある。


 彼の名前を、ルーカス・ノラという。


 観測することは不可能であり、その存在を否定することも肯定することも出来ないとされ懐疑的であった他世界、つまりパラレルワールドの存在を彼によって実際に確認出来たのは、偶然以外の何ものでもない。


 それは、2307年9月11日 金星による天王星の食を見ようと宇宙空間にて子供たちsecondary schoolの課外授業が行われている時に、生徒の一人が船外に謎の漂流物体を発見したことに端を発する。

 漂流物が緊急脱出用シャトルであることを確認後、回収。ポッド内のたった一人の乗組員は超低温の仮死状態に陥っており、彼は地球軌道上にある国際宇宙基地にて蘇生されることになった。

 それがルーカス・ノラ、その人である。

 蘇生後、彼の体内に埋め込まれた個人を判別するための識票は不思議なことに全く機能せず、本人による口頭の聞き取り調査で明らかになったのは、現在の僕たちに連なるこの世界が彼の存在するとされる世界とは、大きな乖離があることだった。


 また何より、当時まだ発明されていなかったタイムトラベルが彼の存在する世界では開発・運用されていること、彼が試みていたのが2214年の歴史の改変であったことを知り周囲は混乱に陥る。つまり宇宙で漂流していたルーカスは、並行世界からのタイムトラベラーでもあったというのだからその驚きは筆舌に尽くし難い。

 一躍有名になった彼だが、ある日突然、その姿はまるで泡沫のように消えてしまう。元にいた世界へ戻れたのか、また別のパラレルワールドへ渡ってしまったのかは、誰にも知りようがなかった。


 後にも先にも、他世界の存在を知り、それを垣間見ることが出来たのは、彼を通して僅か数日のことだった。


 その為、タイムトラベラーが歴史の改変を試みたとしても、その後どうなったのか、僕たちには知る術がない。パラレルワールドとは相互に干渉し合うことが出来ないからだ。

 即ち、自分が存在する時間軸の過去は、決して変えられないということである。

 もちろん、帰れないことを承知で、歴史改変を試みたタイムトラベラーは、これまでにも少なからず存在した。

 『雨男』である僕は、確信を持って言える。


 いちどでも芽生えてしまった欲望に打ち勝つのは難しいのだ、と。


 欲望に負けた彼らは、これまで所属していた世界から忽然とその姿を消してしまう。

 果たして、僕たちが決して目にすることは出来ない、自身を捨ててまで選んだ未来≠過去とは、どんなところなのだろう。

 だから僕たち『雨男』や『雨女』は、消え失せてしまった彼らのことを密かに『ノラ野良・トラベラー』と呼ぶ。


 畏怖と憧憬を込めて。


 雨粒で重たくなった傘を傾ける。

 ざっと流れ落ちた水は、地面で跳ね僕の足に濡れ跡を残した。



 何軒かの古書店を、はしごする。

 玉英堂書店でようやくリストにある本を何冊か見つけ、依頼人の支払い可能な金額であることを確認し、僕が時間遡行出来得る限りの2001年まで遡ったとしても、値段に大した差異はないだろうことまで考えた後、海野十三の地球盗難の初版本を1冊、入手した。

 次に別の依頼人の為、くだん書房を覗き、リストにある少女漫画の単行本を確認する。依頼人の上限を超える値段だった為、その旨を端末を使いリアンに伝えた後、暫く店内をぶらついて返信を待つ。

 ほどなくして、世紀超過分の時間遡行の上乗せ料金を考慮し、僕以外の『雨男』に頼むことと天秤に掛けた結果、後者の方が遥かに高くつくと判断した依頼人から、今回は品物を諦める旨の返信がリアンより転送された。

 言わずもがな、時間を遡れば遡るほど料金は加算されるのである。


 僕の仕事は、簡単に言うと書籍類専門の買物代行者だ。依頼に基づき、対象の品を入手する為にをしている。

 研究に必要な莫大な費用を賄うためのスポンサーとなる富裕層が、快く資金を投入する方法として編み出された錬金術だった。


 そうは言っても正直なところ、僕の持つリストにあるものを入手するには、古書とはいえ何もこの時代である必要はない。先ほどの海野十三の本も少女漫画も、その良い例だ。

 だが、『雨男』としてはまだ駆け出しの僕には制限がある。今の僕では、21世紀よりも過去へ跳ぶことは出来ないというのが理由のひとつではあるが……。

 21世紀といっても2001年から2100年の幅がある中で、2021年を……それも日本という国の、あまつさえ同じ場所を、繰り返し訪れるにはリアンに告げた下手な理由以外に、本当の答えは別にあるのだった。

 何故この時代でのか。


 その答えは、僕がこれから向かうところにあった。






 

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