第34話
面会時間が終わり、僕が帰った後、先輩の容体が急変し、亡くなったことを聞かされたときの僕は、自分が想像していたよりも動揺することはなかった。覚悟はしていたからだろう。
先輩がもうこの世からいない現実を受け入れることができているのか、自分ではあまりわからない。けれど、どこか現実感がなくて、まだ病室に行けば先輩に会えるんじゃないかとさえ思ってしまう。そんな風に考えているということは、きっと受け入れられていない。僕は弱くて、先輩がいない現実を突き付けられると、自分を見失う。最期まで傍にいることを選んだのは僕なのに、こんな姿を先輩が見たら呆れられてしまうだろう。
先輩の通夜と葬式にはと同じ制服を着た人たちが何人か参列していた。顔と名前が一致するのは堀内さんだけだった。彼女以外は誰一人名前も顔も知らなかったので、おそらく先輩とそれなりに交流があった上級生だろう。先輩の話では、同級生たちもある程度体調が悪いことを知っていたらしい。命に関わる病気だとは誰も思っていなかっただろう。知っていたのは、堀内さんだけだそうだ。
堀内さんはずっと泣いていた。普段の彼女からは想像できないくらいに、泣いていた。
きっと彼女の姿が普通で、涙が一滴も流れなかった僕が異端で、周囲から浮いていていた。僕はやっぱり死を受け入れられてないんだな。少しずつ乗り越えるとか格好つけて先輩に言ったのに、本当に乗り越えることができるのだろうか。思っていた以上に僕の中の先輩の存在が大きかった。
昨日のお葬式の後、先輩のご両親から遺書が入った封筒を預かった。ご両親はひどく憔悴している様子だった。そんな姿を見ると、心がチクリと痛んだ。僕は彼らと先輩が過ごす貴重な時間を奪ってしまった。そんな思いが再びこみ上げてきた。
今日が来ても、先輩が残してくれた遺書の中身をまだ読めていなかった。きっとその遺書を読むことで、僕は先輩の死を受け入れざるを得なくなる。その遺書を読み終えた僕はどうなる? きっと自分が壊れる気がした。怖かった。
先輩が残してくれた遺書さえも拒もうとしている僕は、最低だ。
僕は何も成長していなかった。先輩と過ごすことで、少しは自分が変われたと思っていたけれど、思い上がりだった。これでは楓のときと一緒じゃないか。
こんな姿を見ても先輩は喜ばない。
今、僕ができることはなんだ? そんなの一つしかないだろ。
食事もろくにせずに一日中いたベッドから降りて、カーテンを閉めてから、僕は勉強机に向かった。街灯の光も一切入らなくなった部屋は暗闇に包まれた。手探りながらもスタンド照明を点けた。部屋全体を照らすほどの光量はないけれど、先輩の遺書を読むには充分だ。僕の全神経を集中させたかった。必要以上の情報を目に入れないためには、このくらいの明かりがちょうどいい。
先輩はもうこの世にはいない。一人で乗り越えなくちゃいけないんだ。時間はかかるかもしれない。きっと遺書を読み終えても、すぐに乗り越えることなんてできない。けれど、受け入れることはできるんだと思う。少しずつ、本当に少しずつでいい。いつか乗り越えられる日がきっと来るはずだから。
僕は大きく息を吸い、ふぅ、とゆっくり時間をかけて吐いた。そして、机の上に置かれた封筒に手を伸ばした。
封筒には、先輩の字で、夏樹くんへ、と書かれていた。
数日前まで話していたばかりなのに、なんだか懐かしい気持ちになった。封筒を開けて、遺書を取り出す。もう一度、深呼吸をして、呼吸を整えてから、読み始めた。
『夏樹くんへ
やっほっほー!
これを読んでるってことは、私はもうこの世にはいないんだと思う。合ってるよね? なんだか変な感じです(笑)この遺書を読んでるそこの君は、泣いてますかー? 夏樹くんは泣いてなさそうだなーって勝手に想像しています。(多分、当たってる)
先に言っとくけど、堅苦しい遺書にするつもりはありません! 私っぽい文章で書かせていただきます! その方が私の気持ちも表現しやすいと思うので。遺書というより、手紙に近いかな?
何から書けばいいんだろ? いざ書くとなると、難しいね。長くなるだろうけど、最後まで読んでくれると天国で私は喜びます。
私たちの出会いだけど、これは前に話したから割愛するね。
付き合い始めてからのことを書きます。付き合うことになってからは、色んなところに行ったよね。私は激しい運動を禁止されていたので、ゆったりとしたデートが多かった気がします。夏樹くんはどこが一番楽しかった? 私は……選べません! どれも楽し過ぎて、比べられないんだもん。いい思い出になっています。
付き合い始めた頃は人として、いい人だなー、好きだなー、って思ってただけだったのに、君と過ごす時間が長くなればなるほど、異性として強く意識するようになっていて、まずい! って思ったことをよく覚えています……。いつからだったかは、正確には覚えていません(笑)多分、二人で映画に行ったときには、少し意識していた気がしてる!
でも、私が本気で好きになってどうするって話だよね。好きだって自覚してからは、少し辛い部分もありました。気持ちはどんどん膨らんでいくのに、刻々と死までのカウントダウンが始まっていたんだもん。
私がどうしようどうしよう、って焦りながら、悩んでいると、君にも変化がありました。なんだか出会った頃に比べると、私のことを意識してるなーって(笑)これ間違ってたらめちゃくちゃ恥ずかしいんだけど、絶対合ってる!
私はずるいからもしものときのことを考えて、『ミライのボク』という名前でメールを送っていました。いつでも嫌われることができるようにね。で、実際に『もしも』という時が来てしまったんだよね。
花火大会の帰り道。君は私に何かを言おうとした。本当はあの言葉も最後まで聞きたかったなー。でもね、これ以上私への想いを強くさせることで、君はもっと苦しい思いをするんだろうってことは、簡単に想像できたんだ。だから、あんな手段を取ってしまいました。本当に、ごめんね。
夏樹くんとの思い出話と話してないことはこれくらいかな? これ以上隠してることはないよ(笑)と思ったけど、まだあった! 言ってなかったんだけど、神ヶ谷公園に行ったときの話。夏樹くんがボソッと『僕のことも頼ってください』みたいなこと言ってくれたでしょ? 覚えてるかなー。覚えてないだろうなー(笑)あれね、めちゃくちゃ嬉しかったんだ! あのときは色んな思いが混じり合って、ずーっと葛藤してたから、すっごい嬉しかったなぁ。聞こえてたのに、聞こえないフリしてごめんね。全部本当のこと言って、頼りたいよーってめちゃくちゃ思いました(笑)
手が疲れてきた〜。君もそろそろ読むの疲れてきたんじゃないかな? なんだかんだ、少し堅い文章になっちゃったのは許してください! 最後に君に伝えたいことだけ書いて終わりにするね。目をかっぴらいて、読んでください(笑)
私は、人の気持ちをわかってあげられる、優しい心を持った夏樹くんが大好きでした! たまに自分を責め過ぎちゃうところもあるけど、それも優しさなんだと思います。自分のことを責めすぎないで、たまには許してあげてください。
こんなにも好きにさせられるなんて思ってなかった。もう、好きとかそういう言葉じゃ、足りないくらいに愛おしかった。君のせいで、もっともっと生きたい。少しでも長く、君の傍にいたいと思っていました。
君が病室に来てくれるようになるまで、夜に泣いてしまうことがあったの。死が近づいているからなのか、君に酷いことをしたからなのか。色んな不安に押し潰されそうになっていました。
そんな不安な夜も君が解消してくれた。君がすぐ近くにいて、寄り添ってくれている感じがした。あの日以来泣くこともなくなりました。感謝してもしきれません。
私は、君より先にこの世を去ります。
こんな私を好きになってくれて、ありがとう。
私に青春をくれて、ありがとう。
私といっぱい思い出を作ってくれて、ありがとう。
私の生きる希望になってくれて、ありがとう。
こんなにも好きにさせてくれて、ありがとう。
ありがとう。
私のことを一生忘れないでなんて言いません。君にはまだまだこれから長い人生があるから。
でも、たまに思い出してくれたら嬉しいです。こんなやついたなーって、たまに思い出してくれるだけで私は幸せです。
私は先にあの世で待っているので、何十年と君が生きる、私の知らない未来を教えてください。そのときはあの世の先輩として、色々教えてあげるね(笑)
これが本当の、本当の最後!
夏樹くん、大好きです!
君の彼女で本当に幸せでした!
そして、私の彼氏なんだから、かっこいい君でいてください!
新しく彼女ができたら報告よろしくね!
またね!
華蓮』
呼吸が荒くなるのがわかる。
今にも崩れそうな自分を保ちながら、さらに一枚めくると、文章が続いていた。
『ぴーえす1
えー、きっとここまで読んだ夏樹くんは泣いていると思います(笑)どう? 当たってるかな? 当たっていたら、私が行けなかった旅行にでも一人で行ってきてください(笑)』
最後の最後までお見通しかよ。本当、先輩には敵わない。涙で視界が悪いが、僕は最後まで読まなければいけないんだ。
『ぴーえす2
まさかペアリングを貰えるなんて思っていなくて、加筆することにした! めちゃくちゃ嬉しかった! ありがと! リングを私だと思って、旅行に連れて行ってください(笑)あ、メグと行くのもありかもね?(笑)私はずっと見ているんだから、悪いことするんじゃないぞ!』
最後の一文字まで、目を通し、ゆっくり遺書を閉じた。
途中から限界を迎えていた。
手紙を読み終えるまでは耐えようと頑張ったが、もう無理だ。
先輩はいない。もういないんだ。
「……あ、あぁああぁ……」
一度嗚咽が漏れると、とどまるところを知らなかった。
声をあげて、泣いた。手紙の上に額をつけて、子どもみたいに。
大好きな先輩はもういない。バカみたいな挨拶を聞くこともできない。
最後の最後まで好きにさせられた。罪深い人だよ、本当に。
これ以上好きにさせてどうするんだよ。先輩のお墓ができたら、文句を言ってやる。
少し笑えたのに、涙は溢れ続けた。
先輩との思い出が蘇ってくる。
最初はヤバい人だと思った。それなのに、どこか気になってしまう自分もいて、自分を変えるきっかけだと思い話し始めた。価値観も合わないし、性格も全然違うのに、なぜか一緒に話していると楽しくて、いつの間にか出かけることが楽しみになっていた。芝生の上でご飯を食べたり、ゲーセンで勝負したり、映画を観たり。何枚か写真を撮ったこともあった。そのどれもがかけがえのない思い出で、全く色褪せることのないものばかりだった。昨日のことのように思い出せてしまう。僕は気づかぬうちに先輩のことを意識していて、自覚した頃にはとっくに好きになっていたんだ。
本当に好きだった。大好きだった。
少しでも先輩の希望になれていたのなら、本望だ。僕にとってそれ以上に嬉しいことなんてない。
どれだけ泣いたかわからない。一生分の涙を枯らしたような気もした。
でも、涙は枯れることがない。このことを教えてくれたのも先輩だった。
心地よい秋風が、網戸をくぐり抜け、部屋に入ってくる。僕の涙を拭ってくれているような気がした。
──ありがとう。大好きだった先輩。そして、さようなら。
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