第32話

 夏休みも残りわずかとなった。最近は昼間に先輩の病室へ行き、帰宅してからは夏休み課題に追われる生活をしていた。

 忙しない日々だからこそ、一日がとても早く感じる。先輩との時間を短く感じてしまうのは、あまり好ましくないとは感じつつも、それくらい楽しくて、幸せな時間なんだと実感している。


「僕らが出会ったときのこと覚えてる?」

「え、急にどうしたの? 当然、覚えてるよ?」


 僕の中でずっと疑問に感じていたことがあった。


「先輩はどうして僕に告白したの?」


 今では僕の一方通行ではなく、先輩からも好意を向けられていると感じることができるけれど、あの頃はそういうわけではなかった。嫌われてはなかったのだろうけど、好きだとも思われていなかったと思う。口では、好きだ、と言うけれど、あの言葉が本心だとは今でも思わない。好きでもない男にいきなり告白するのは未だに理解できていないことだった。


「あー、やっぱり、気になっちゃうよね?」

「うん。まあ、そうだね。だって、絶対僕に興味なかったでしょ」

「いやいや、なかったわけじゃないよ? でも、人として、好きって感じだったかもなー」


 これは過去の話だ。今は別だ。それなのに、胸がピキリと痛むようになってしまった。先輩の過去の恋愛遍歴とか気になるけれど、きっと僕は聞いたことを後悔することになるんだろうな、と思った。 


「人として好きな人に先輩は告白しちゃうタイプなの?」

「えっとー……」


 僕は皮肉って言ったつもりだったのだけれど、もしかして図星なのか……?


「ちょ、ちょっと待ってね。ふぅ。誤解が生まれないように、整理してから話すね」


 そう言うと、先輩は天井を見上げて、ぶつぶつ呟き始めた。半年以上も前のことを可能な限り正確に思い出そうとしてくれているのだろう。


 僕は先輩の準備が完了するのを待った。


「よしっ、お待たせしました! まずは、どうして私が告白したかだよね?」


 僕は頷く。


「それはね、青春を謳歌してみたかったんだよ」

「……は?」

「だから、青春を謳歌したかったの! 私ね、中学の頃もろくに学校に行けていなくて、高一のときも休みがちだった。二年の途中くらいから少し体調が良くなって、みんなと同じように通えるようになってたんだけど、そしたら今まで溜まってきた欲望? 憧れ? みたいなものがあってね。デデン! 夏樹くんに問題です。私とは何かを一つ答えよ」

「え、え?」


 そんな強引な始まり方をするクイズが今まであっただろうか? ただでさえ疑問符まみれの頭なのに、唐突にクイズが始まったことで、さらに疑問符が増殖する。


 僕が答えない限り、話は先に進まないだろうから、一応考えてみるか。

 先輩とは、ねぇ……。まじまじと先輩を見てみる。ずっと近くにいたはずなのに、意外とこうして先輩のことを見たことがなかったな。目が合うこともあったけれど、それは目を見ているのであって、他の部分を見ていなかった。改めて先輩の頭のてっぺんから爪先まで、目を滑らせてみる。


 鼻歌を歌いながら、僕の回答を待つその姿は知的とは言えず、ちょっとバカっぽい。流行のシースルーバングほど薄くない前髪から覗かせる眉毛は綺麗に整えられてあって、まつ毛も長い。すーっと鼻筋は通っていて、唇の血色もいい。


 そんな先輩に対する感想なんて、決まっている──


「かわいい」

「へ?」


 先輩はすぐに僕の一言を理解したのか、目をパチパチさせて、顔全体を赤く染めた。タコくらい赤い。口もぱくぱくさせていて、こっちは餌を食べる金魚みたいだった。


「いっ、いきなりすぎるよ! わ、私の知ってる夏樹くんは、期待を裏切る人なんだから!」


 ひどい言われようだ……。かなりテンパっているようなので、きっと彼女の本心で間違いないだろう。今まで彼女が期待する言葉を言ってこなかった僕が悪いのだけど……。


「だって、先輩とは、なんて言うから」

「そ、それはそうだけどさ……。あー、もう、答え言っちゃうね。女子高生だよ!」

「女子高生?」


 女子高生だから、なんだと言うのだろう。僕はずっと見た目のことばかり考えていたけれど、属性の話をしていたようだ。


「やっぱり、女子高生らしいことに憧れる年頃なの。恋愛とか……ね? 人に対して興味がない夏樹くんにはわからないことかもしれないけどね」


 ちょっぴり恥ずかしそうに喋っていたかと思いきや、さっきの仕返しとばかりに、したり顔で言ってきた。


「僕だって、先輩に対してなら、『関心・意欲・態度』二重丸がつく自信あるよ」

「ちょっとタンマ。今日の夏樹くんは一段と、私の体温を上げてくるね?」

「気のせいでしょ」

 

 先輩の反応がつい面白くて、からかいたくなってしまった。こんな反応が見られるなら、もっと早くに言っておくべきだったかもしれない。それに、僕の気持ちを素直に伝えられる機会なんて、そう多くないはずだから伝えられるときに伝えておきたいという気持ちもあった。


「今まで言って欲しかったはずなのに、実際言われると平静を装うなんて無理だね。うん」


 先輩は、自分を落ち着かせるために、二度深呼吸をした。


「さっきの続きね。青春と言えば、恋愛でしょ? でも、私には相手もいなければ、彼氏候補もいません。なんならその頃の私が異性と話した回数で言うと、私の担当だったお医者さんが一番だった気がするもん」


 冗談のように聞こえる話だけれど、冗談ではないんだろうな。ということは、先輩に彼氏という存在が今までいなかったことがほぼほぼ確実になった。そのことに少し安堵してしまう自分がいて、恥ずかしい。


「まずは彼氏候補を探す必要があるわけだけど、そう簡単に見つからないよねー。条件としてね、ありきたりなんだけど、やっぱり優しい人が良かった。あとは、私に対して無関心そうな人。二年生になってから告白されたこともあったんだけど、そういう人はダメだったなー」

「ど、どういうこと?」


 先輩が告られた話をさらっとぶち込んでくるから、少し声が上ずってしまった。僕は動揺しすぎだ。


「だって、告白してくるってことは、私に関心があるってことでしょ? 今の夏樹くんならわかると思うんだけど、好きな人が自分よりもずっと早くに死ぬのは、残される側にとって残酷だと思うんだよね。だから、私と恋人という関係性になったとしても、あまり興味を示さなそうな人が良かったの」


 あぁ、納得した。相手のことを好きになればなるほど、別れが辛くなる。先輩の言う通り、今の僕は身に染みて感じている。けれど、だからと言って、先輩と出会いたくなかったという話にはならない。こうして先輩と同じ時間を共有できていることが嬉しいし、最期の一瞬まで一緒にいたい。そう思っている。


「そんな都合のいい人がいるんですかね」

「だねぇ。学校の中庭にいたんだよねー。目に光がなくて、それなのに優しいところがある。ぴったりな人を見つけて、内心ガッツポーズしてた」


 あのときの僕はそんな風に映っていたんだ。今の僕の目には、少しくらい光が灯っているだろうか?


「今になって思うと、初めて出会ったときから夏樹くんに興味津々だったのかも」


 先輩は、えへへ、と照れる。


「どういうこと?」

「だって、もうすぐ死ぬとわかってる私より目に光がないんだよ? そんな人がいたら、興味が湧くでしょ?」


 確かに先輩の言う通りかもしれない。死が迫っている人よりも陰鬱な表情をした人がいれば、どんな人生を歩めばそうなるんだ、と興味が湧く。


「そうかもしれないけど、そんな人によく話しかけたよね」


 興味が湧いたとしても、わざわざ話しかけるようなことを僕ならしない。ましてや、告白なんて。


「まあね〜。死を目の前にした私に怖いものなんてないからね」


 えっへん、と彼女は腕を組んだ。


「告白をOKした僕が言えることでもないか。あのときの僕らは、どっちもおかしいのかもね」


 初対面で告白してくる先輩と初対面の人から告白されてOKを出す僕。どちらもどうかしている。けれど、どうかしていたからこそ、こうして今話せているんだと思うと、過去の自分に感謝しなくちゃな。


「はははっ。そうだね。まさかOKされるとは思ってなかったから、びっくりだよ。まあ、結局私に興味津々になってしまったわけだし、見る目があったのかなかったのか、よくわかんないけどね」


 先輩の当初の計画とは違う方向に進んでしまったことだろう。きっと先輩も僕のことを本気で好きになるつもりなんてなかったんだと思う。誰かを好きになることで辛い思いをするのは、先輩自身だ。青春を疑似体験できればいいくらいに思っていたんじゃないだろうか? 

 何も知らない僕と違って先輩は先が長くないことがわかっていて、その中で好きになってくれたことが何よりも嬉しかった。


「今では、夏樹くんで良かったって心の底から言えるよ」


 そう言って、僕の頬に先輩は手を伸ばして、真っ白な歯を見せて微笑んだ。カーテンの隙間から入ってくる陽光が、先輩を照らしていて、とても神秘的で魅入ってしまった。


「熱いよ?」

「う、うるさい」

「ふふっ。さっきのお返しだ」


 先輩の言動一つ一つが愛おしくて、目を逸らしたくなるくらい恥ずかしいことでも、少しでも長く彼女を目に焼き付けたい気持ちが勝った。横目で彼女を見ると、笑っていた。

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