第31話

「メグとも友達になったんだ!」


 数十分後には普段通りの先輩に戻っていた。こんなに元気そうに話す先輩を見ていると、本当にあと少しでこの世からいなくなるなんて、想像できなかった。


「いや、堀内さんとはそういう関係ではなくて、なんて言えばいいんだろう。友達ってある程度対等な関係な気がしない? 僕は堀内さんに頼ってばかりだったから、友達とは違うと思う。でも、ただの先輩、後輩という関係かと言われれば、怪しいというか、うーん……」


 僕の中でも堀内さんの立ち位置がはっきりしていなかった。


「夏樹くんは深く考えすぎなんだよ。メグはきっと友達くらいにしか思ってないよ? あの子は連絡先持ってたら、全員友達だと思うタイプだから」

「あー……、ぽいね」


 堀内さんの性格を考えれば、納得してしまった。


「でしょ? だから、貴重な友達が増えたね!」


 先輩は、にひひっ、と悪魔のような笑い方をした。


「僕は友達が少ないですからね」


 休憩時間に少し話すくらいの人はできた。しかし、休日に出かけたり、放課後にどこかへ寄ったりするような友達はいなかった。一年以上前の休憩時間の過ごし方と言えば、ずっと読書して時間を潰していたので、それに比べたらすごい進歩だ。


「ははっ、拗ねないでよー」

「別に拗ねてない」と言いつつも、視線だけ病室のテレビに移した。

「意外とかわいいとこもあるなぁ。お姉さんがよしよししてあげよっか?」


 先輩は優しく微笑みながら、右手を僕の頭に向かって伸ばそうとしてきた。


「僕がしてあげるよ」

「──ッ⁉︎」


 僕は手を伸ばして、先輩の頭に置いて、撫でた。


 撫でられている先輩の顔は真っ赤に染まり、視線が定まらないようだった。きっと先輩は僕の方を見れていないから気付いていないと思うけど、僕も顔が熱くなっている。

 僕は先輩から撫でられたら、正気を保てない自信があった。だから、牽制のつもりで手を伸ばしたけれど、自分が何をしているのか理解すると、する側もかなり恥ずかしい行為だということに気づいたのだ。加えて、僕にしては珍しく少し格好つけて、クールに言ったつもりだった。


 先輩に自分の想いを伝えたことで、今まで制御していた感情が溢れ出てしまっている気がする。先輩に少しでもいいように見られたいという願望まで現れた。


 僕が羞恥心に耐えながら頭を撫でていると、病室の扉が開いた。


「いつまで待たせんだよ。イチャイチャしてて、俺のこと忘れてんだろ」


 お兄さんが不服そうに、少し僕を睨みつけながら入ってきた。


「俺はまだ華蓮との交際を認めてないからな!」

「えぇ……」


 昨日までの協力的なお兄さんはどこへ行ったんだろう。きっとこれが本来の彼の姿なんだろうな。シスコンだから。


「お兄ちゃん……うるさい」先輩は地を這うような低い声を発した。

「すみません」


 お兄さんはシュンとした。この一コマで家庭での上下関係がハッキリした。


「でも、ありがとう。夏樹くんとこうして話せるのもお兄ちゃんのおかげ。今までのことも感謝してるよ」

「……華蓮」


 お兄さんは今にも泣き出しそうな声だった。きっと妹からこんなにも直接的に気持ちを伝えられたことがなかったのではないだろうか? それもあって、感動が倍増しているのだろう。


「抱きしめていいか?」

「え、無理。抱きしめていいのは、夏樹くんだけだもん。ねぇ?」

「え、あー……」


 チラッとお兄さんの方を見ると鬼の形相でこちらを見ていた。僕はどちら側につくべきなのか、迷った。お兄さんには大変世話になった。今日もわざわざ車を走らせて、僕をここまで送ってくれたのだ。

僕は兄妹のどちら側につくべきなのかは明白だった。


 一応、お兄さん側につく意思表示をする前に、チラッと先輩の方を確認すると、白々しい笑顔で僕のことを凝視していた。こっわ。


 顔には、私に賛同しろ、と書かれているようだった。

 よし、彼のことは見なかったことにしよう。


「……そうだね」

「お兄ちゃん泣くぞ!」

「どうぞー」


 お兄さんは目元を押さえながら、病室を出て行った。気を利かせて、二人だけの空間にしてくれたのかもしれない。もしかしたら、最初に病室に入ったときにお兄さんがすぐに出て行ったのは、そういう理由だったんじゃないだろうか? 


 まあ、本当はそんなこと一切考えてなくて、買いかぶり過ぎなだけかもしれないけど。


「いいの?」僕は一応、訊く。

「いいの、いいの。お兄ちゃん、シスコンなところあるからなー」

「そうっぽいね」


 先輩も兄からの愛情に気づいているようだった。


「夏樹くんも気づくレベルって相当だね」


 そう言って、先輩は高らかに笑った。僕も微笑む。


 先輩は笑顔が本当に上手だ。心の底から笑っているのが伝わり、見る者までも笑顔にしてしまう。これは先輩の特権だろう。僕が笑っても、誰も笑ってくれやしない。彼女だけは笑ってくれるかもしれないけど。


「まあ、お兄ちゃんに感謝してるのは、本当。照れくさくって直接は言いづらいんだよね。さっきのやつは特別大サービスって感じ」


 そんなことを言った後に、死ぬ前にはちゃんと伝えないとなー、と伸びをして、ごく普通の発言であるかのように言った。今日の夕飯なんだろうなー、と呟くときと同じくらいのテンション感だった。

 先輩は死というものが怖くないのだろうか。呑気な姿だけを見ていると、どうも恐怖心がないように思えてくる。死を目の前にして、こんなにも楽しそうにできる先輩を見ていると、まだまだ数年、数十年と僕の隣でいてくれる気さえしてくる。


「先輩は……いや、なんでもない」


 先輩は本当にあと少しでこの世からいなくなるのか、訊ねようとしてやめた。きっと気持ちのいい質問ではないと思ったから。


「え? なに? あ、本当に死ぬの? とか思ってる?」

「まあ、そんなところ。やっぱり、エスパーなの?」


 先輩は僕の頭の中を覗き見る能力が備わっているのかもしれない。先輩には驚かされてばかりだ。


「夏樹くんに関することならなんでもわかるからね」


 先輩は首を傾げて、口角をあげて、ニヤッとした。

 口には出せないけれど、可愛い、と心の中では素直になれる僕がいた。


「さっきの続きだけど、私は死にます。これは確実ね。でも、死を怖がって、毎晩泣く日々はもうやめたんだ」


 彼女の口調は軽いけど、言葉一つ一つの密度が濃く、重かった。毎晩泣いていたことなんて知らなかった。いつまでその時期が続いていたのかわからない。僕と出会ってからもそういう日々を過ごしていたのだろうか?


「そりゃあね、最初はどうして私だけ? どうして私がこんな目に遭わなきゃいけないの? って何度も思ったよ。年頃の高校生なのに、みんなと同じように暮らせないんだもん。神様のことすっごい恨んだ。でもね、どれだけ恨んでも私の病気は良くならないし、気分も下がるし、本当いいことないんだよね。それなら、残りの短い人生だけど、楽しく終えたいなーって。青春を謳歌したいなーって思ったんだ。後悔を残さずに、死のう! って思考に途中から変わったの」


 彼女はゆっくり息を吸い、時間をかけて吐いた。そして、また口を開く。


「だから私は笑顔でいるよ。最期までずっと笑顔で、夏樹くんを笑わせてあげます」

「笑わせたいのは僕の方なんだけどな」

「お互い最期まで笑顔でいようね」 


 誰よりも眩しいその笑顔を僕は目に焼き付けようと思った。


 面会時間が終わりに近づいたため、僕は軽く身の回りの整理をして、席を立った。手土産として持ってきた洋菓子をテレビ台の上に置いておいた。


「あ!」

「どうしたの?」

「夏樹くん、今日一日だけで敬語めちゃくちゃ使ってなかった?」

「使ったけど」

「罰ゲームです!」先輩は嬉しそうに言った。

「えぇ……今日もそのルール適応されるの?」

「もちろん! 私の言うこと聞いてもらうからね?」


 理不尽だ。理不尽だけど、残り少ない先輩の人生を豊かにできるのなら、悪くないのかもしれない。きっと拒否することは許されないと思うので、諦めて罰ゲームを受ける決意を固めた。


「なんでもお申し付けください」

「やったね。そうだなー」


 先輩は顎に手を当てて、考え始めた。うーん、と数秒唸る。


「今は思いつかないや。またメールするね。今日はありがとう。あ、お兄ちゃんもありがとね」

「あいよっ。じゃあ、また来るわ」


 そろそろ帰る時間ということで、お兄さんが病室の中に伝えにきてくれたのだ。そのときの先輩の表情と言ったら、この世のものとは思えないほど嫌そうな顔をしていた。蛇に出くわした時の方がまだマシな顔をすると思う。


「はーい。夏樹くんもまた来てね」

「うん。またね」


 病室を後にし、病院を出た頃には藍色の空が広がっていた。振り返って、病院をもう一度見た。先輩の病室はあの辺かな。僕らが帰った後の病室を考えると、とても怖くなった。きっと無音だ。あれだけ音で溢れていた病室から一転、彼女の息遣いくらいしか聞こえない病室で過ごさなければならない。


 ずっと傍にいてあげたい。叶わないとわかっていても、そう願わずにはいられなかった。


 お兄さんの車に乗り込み、家まで送ってもらう。車内ではラジオがずっとかかっており、無音とは程遠い環境だった。


「今日はありがとな」


 車を発進させると、お兄さんは言った。


「いや、感謝されることなんてしてないですよ。むしろ、連れてきてもらって、ありがとうございました」

「あんな華蓮を見たら、感謝してもしきれないよ」

「どういうことです?」

「あんなに笑顔で笑う華蓮を久しぶりに見た。正確に言えば、笑ってはいたんだが、時折寂しそうな瞬間があったんだ。俺や両親じゃ、華蓮の百パーセントの笑顔を引き出すことができなかった。それを君は引き出してくれたんだ。君といるときは、いつもああいう風に笑っていたんだろうな。俺らの知らない華蓮を君だけは見ていたんだと思うと、ちょっと嫉妬するよ」


 お兄さんの声は優しかった。


「そうなんですかね……僕といるときの華蓮さんしか見たことがないので、よくわからないです」

「両方見た俺が言うんだから、間違いないよ。ありがとう」


 改めて感謝の気持ちを伝えられると、少し照れて、反応に困ってしまう。


 彼の言う通り、本当に僕が少しでも先輩の笑顔を増やすことができたのなら、僕はこの上なく嬉しい。彼は本当に感謝しているようで、僕はそれを素直に受け取ることも大切だと思い、「これからも華蓮さんの笑顔を引き出せるように頑張ります」と決意表明しておいた。


「頼んだよ」と言う彼の口角が少し上がったところを暗い車内の中でも確認できた。


 それから僕らは先輩についてあれこれ話していると、すっかり見慣れた住宅地の中を走っていた。すぐに僕の家は見えてきて、お兄さんに感謝の言葉を述べて、帰宅した。


 夕飯を済ませ、お風呂に入り、部屋に戻り、ベッドで真っ白な天井をぼんやり眺めながら考えた。どうすれば先輩が寂しい思いをしないで済むのか。これは僕の勝手な想像で、実際は今もけらけら動画とかを見て笑っているのかもしれない。

 わからないけれど、少しでも寂しさを感じているのであれば、緩和してあげたいと思う。


 病院ということもあり、電話で話すのは中々難しいだろう。まあ、話しても問題がない場所はあるだろうし、たまには電話をかけてみるのもありなのかな?

 それ以外の時間は……メールとか? 普段僕の返信はかなり遅い。先輩から何度も文句を言われるくらいに。自覚はあるのだけれど、ついつい後回しにしてしまう傾向がある。


「あ」


 メールで思い出した。そういえば、帰り際に先輩がメールを送っておくみたいなことを言っていた気がする。帰ってから一度もスマホを開いていなかった。こういうところなんだよな、と自分に辟易しつつ、スマホを開くと先輩からのメールが一時間前に届いていた。


『夏樹くんからのプレゼントが欲しい! 私の好きそうな物をよろしくね♪』


 とんでもない無茶振りだ。期限は設けられていないけれど、早い方がいいことはよくわかっている。色んな意味で。


 ここで悩んで返信がこれ以上遅くなる事態だけは避けようと、とりあえず『考えておくよ』と送っておいた。


『こういうとき、ちゃんと考えてくれるのが夏樹くんだから期待してる!』


 ちゃんと考えてしまっている僕は、彼女のメールに一人恥ずかしくなる。本当何でもお見通しって感じだ。隠し事が下手というより、先輩が僕のことを理解しすぎている。

 先輩が喜ぶ物を渡して、僕だって理解していることを示したい。


『期待せずに待ってて』


 スピードが命なので、即返信した。


『なんか変な物でも食べた? 明日大雪が降るんじゃない? 返信速すぎない?』


 どうやら僕がすぐに返信しただけで、天地がひっくり返ったのかと思われるくらいには驚かれるようだ。


『そういう日があってもいいと思わない?』

『いいと思う笑 なんか夏樹くんと離れてるのに会話できてるの不思議だ』


 僕らのラリーは一時間を優に超えた。


 先にラリーを終わらせたのは、先輩だ。睡魔には勝てなかったようで、『やばいねむい』、『おやすみーーー』とメールが来て、終了した。


 正直やりとりをしている時間は、他のことが手につかなかった。返信すれば、すぐに返信が返ってくる。小説を読もうとしても、一ページも読み進められないくらいの速さで返ってきた。ただただメールをしただけで時間を消費した。けど、意外と悪くなく、遠くにいる先輩を身近に感じることができた。

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