第25話

「休み……ですか」


 僕は三年生の教室の前まで来ていた。教室の扉に一番近い席の人に勇気を振り絞って話しかけているところだ。やはり三年生の教室に堂々と入っていく勇気はなくて、教室の外からでも話しかけられる人に訊ねることにしたのだ。話しかけやすそうな人だったし。


 昼休憩になっても先輩は現れなかったので、放課後にこうして遥々やってきたわけだが、無駄足に終わったということだ。


「うん。久しぶりに華蓮に会いたかったなー」


 先輩の友達だろうか?


「ありがとうございました」


 先輩もいないとわかったので、この教室にいる意味もない。感謝の言葉を告げて、帰ろうと踵を返したとき、「ねえ」と先輩の友達らしき人に声をかけられた。友達(仮)と勝手に呼ぼう。


「僕ですか?」

「そうそう。君しかいないでしょ。えっと、華蓮の彼氏くんだよね?」


 友達(仮)は立ち上がって、わざわざ廊下に出てきた。


「まあ、一応そうですね」

「一応ってどゆこと? 華蓮って彼氏一号、二号とかいるの?」


 友達(仮)は、んなわけないかっ! ははっ! と笑っていたが、あながち間違っていない可能性もあるので、苦笑を浮かべることしかできなかった。


「あ! 自己紹介遅れたね。ウチは華蓮の友達! いや、親友と表現した方が正しいかもしれない。そういう仲なんだ、ウチら」


 ふっふーん、と腕を組んで自慢げに話す友達(仮)。まさか親友だったとは。本当かどうか怪しいけど。以前に先輩の口からも親友がいると聞いていた。その人のことだろうか? だとしたら、とんでもない偶然だ。


「ところで、お名前は?」

「あっ、うっかりしてた。自己紹介と言いつつ、名前言ってなかったね。てへっ。堀内恵。メグ先輩って呼んでくれてもいいよ!」

「あ、堀内さん。今日はどうもありがとうございました。それでは、また」


 この人は一人でずっと喋っているタイプだ。捕まったら長そうだ。


「ちょっ、待ってよ! 彼氏くんは噂通りさっぱりしてるねえ。ウチ暇なんだよね。だから、ウチと華蓮トークしない?」


 先輩はこの人にどんなことを吹き込んでいたんだ……。でも、僕のことを話しているってことは、本当に親友なのかもしれない。


「華蓮トークですか……?」


 ちょっとしてみたいと思う自分がいた。先輩についてあれこれ語るということだろうか? 僕が食いつく話題を出してくるなんて、堀内さんは悪知恵が働くというか、意外と賢いタイプなのかもしれない。


「そう。……華蓮トーク」


 勝利を確信したのか、堀内さんが、ふっ、と口角をあげた。


 僕は誘惑に負けて、堀内さんと話すことにした。もしかしたら、何か先輩について有益な情報を得られるかもしれないし。決して先輩について話し合いたかったわけではない。……うん。


 彼女は僕に気を遣って、ここだと話しにくいよね、と言い、どこか二人きりになれる場所を探してくれた。先輩の親友と言うくらいの人だ。ここまで話した段階で、悪い人ではないことはわかっていた。


「おっ、ラッキー」


 堀内さんは音楽室の扉を勝手に開けて、入っていった。


「勝手に入っても、大丈夫なんですか」


 僕は当然の疑問を投げかける。


「え、うん。だって、開いてるし」


 開いているから入ってもOKだなんて聞いたことがない。空き巣になった気分を味わいながら、僕も中に入った。


「ここなら誰もいないし、好き放題彼女のこと話せるね」


 ニヤニヤしながら堀内さんは言った。


 彼女という単語にむず痒さを覚えた。付き合って八ヶ月ほどが経つけれど、第三者から彼女と言われたことなんてなかったかもしれない。改めて言われると、恥ずかしいものだった。


「まあ、そうですね」冷静を装い、僕は言う。


 きっと先輩の親友なら、同じような考えの持ち主だろう。僕がこの場から去ろうものなら、何をされるかわからない。ここは大人しく従うべきだと本能がそう言っている。


 僕にとって悪い話ではないし……。


「さぁ、何から話す?」

「先輩が休みの理由って聞いてますか?」


 前置きなど一切なしで、訊いた。僕が知りたいのは、どうして先輩が今日休んでいるのか。

 堀内さんとの共通の話題は先輩に関することくらいなので、最初に投げる質問として不適ではないはずだ。堀内さんも華蓮トークを望んでいるようだし。


「あー、今日も病院じゃない?」

「え?」

「なにその素っ頓狂な顔は。あれ? 聞いてなかったの? あ、彼氏くんには秘密にしとく約束だったんだ。……忘れてください」ボリュームは尻窄みになっていった。


 堀内さんは顔を引きつりながら言った。結構深刻そうな顔をしているので、本当に言ってはいけないことだったらしい。血の気がひいたような、青白い不健康そうな顔色になっていた。


 堀内さんから発せられた言葉を反芻する。僕に秘密にしておく……? どういうことだ? 頭が追いついていない。先輩の口から病院なんてワード一度も聞いたことがなかった。堀内さんはさも当たり前であるかのような口ぶりで言っていたので、今日に限った話ではなさそうだ。


 ただでさえ頭が混乱しているのに、さらにややこしいことになってきた。本当に僕は先輩について何も知らないんだと思うと、虚しさがこみ上げてきた。


「……どういうことですか?」

「えっとー……」


 僕から視線を逸らし、音楽室の窓から見えるどんよりとした曇り空を見て、今日は天気が悪いねえ、と他人事のように言った。明らかに話題を変えたがっている。


「先輩、傘ちゃんと持っていったんですかね。病院に」

「………」


 堀内さんはバツが悪そうな顔をしながらも無言を貫く。なかなか意志が固いな。先輩から秘密にして欲しい、と言われている情報を聞き出そうとしている僕が言うのもなんだけど、なにがなんでも約束は守ろうとする堀内さんは好印象だった。


 自分自身が意地悪な質問をしているのはわかっている。先輩のことを百パーセント理解するなんて無理だけど、それでも可能な限り理解したいと思っている。だから、こんなにも必死になって情報を聞き出そうとしている。けれど、少し冷静に考えてみればひどく自分よがりな行動だ。無理やり聞き出した情報で先輩を理解したところで、先輩に合わせる顔がない。堀内さんは先輩との約束をきちんと守るために口を閉ざしている。それを僕がこじ開けていいはずがない。


 一度深呼吸をし、自分を落ち着かせる。


 堀内さんの申し訳なさそうな顔を見ていると、こっちも申し訳ない気持ちが膨れ上がってきた。


「すみません。問い詰めちゃったりして」

「ふわぁ。圧迫面接でも受けてる気分だったよ。まあ、私が口を滑らせたのが悪いんですけど……」


 マジでごめん、と真剣に謝られた。一つ学年が上の人に頭を下げられると、どうにも気まずい。


「ちょっと考えたいことがあるんで、やっぱり帰りますね」

「うい、引き止めて悪かったね。あっ、連絡先交換しとこうよ」

「別に構わないですが、どうしてです?」

「ん? まあ、彼氏くんには申し訳ないことしたし、お詫びというか?」

「連絡先を交換することがお詫びになる理由もあまりわかりませんが、まあ、はい」


 僕はそう言って、QRコードを彼女に提示し、それを読み取ってくれた。僕の数少ない友達が一人増えた。


「それでは」

「あっ、これだけは確認させてほしいんだけど」

「なんですか?」


 僕が音楽室を出ようと扉に手をかけているところだった。


「彼氏くんは、華蓮のこと好きなの?」


 堀内さんの声はさきほどまでと違い落ち着いており、目は誰かが憑依したのかと思わせるくらい真剣だった。その姿を見て、先輩が言っていた親友とはこの人のことだと確信した。本当に偶然、先輩の親友に声をかけたみたいだ。


「はい。僕は先輩、水無華蓮が好きですよ」


 呪いにでもかけられているように言えなかった言葉が、今はすんなり口から出た。


 すでに付き合っているというのに今更好きであることを自覚するなんておかしな話だ。付き合っていく中で先輩の色んな面を知っていくにつれて、好きだという気持ちが芽生えてきた。

 先輩が僕のことをどう思っているかなんてわからない。あんな写真が流出したのだ。恋愛対象としては見られてないのかもしれない。そうとわかっていても、この気持ちを伝えたかった。自分の口で。


 これが僕の本心だ。


「そっかそっか」


 堀内さんは笑顔に戻って、満足げだった。


「じゃあ、華蓮のことが好きな彼氏くんに、いいこと教えてあげる。華蓮には絶対秘密だからね」


 堀内さんは人差し指を口に当てながら、ウインクした。


 いいことってなんだろう?


「華蓮はね。君のことがだーーーい好きだよ! 安心しろっ! いっつも惚気話聞かされてたんだからね?」

「──え?」


 少しのラグが発生した後、とても間抜けな声が出た。


 僕はてっきり病院に関することだと思っていた。予想外のことで、頭が真っ白になった。徐々に理解が追いつくと、顔が熱くなってきた。鏡を見なくとも、トマトのように赤くなっていることがわかる。耳まで火照ってきて、頭がショートしそうだった。


「あ、えっと、失礼します!」


 僕は勢いよく扉を開けて、その場から走り去った。


 走っても走っても、熱を帯びている。風が弱い。もっと風を浴びたい。僕の熱を冷ましてくれ。

 途中で先生に廊下を走るなと注意されたけど、そんなの気にしている余裕がなかった。きっと夏休み明け怒られるんだろうな。反省文まで書かされるかもしれない。そのときは何枚でも書いてやる。とにかく走り続けたかった。一目散に下駄箱まで行き、靴を履き替え、学校を後にした。

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