高校二年生 夏

第21話

「やっほっほー」


 中庭で小説を読んでいると、何回も聞いた、声と挨拶が耳に入る。僕は懐かしさを覚えながら、頭を上げた。


「……先輩」


 そこには僕のよく知る先輩がいて、まるで昨日ぶりであるかのような、テンションだ。

 先輩と会うのは三週間ぶりだ。今までそんなことはなかった。週に何回かは一緒に帰ったり、遊びに行ったりして、顔を合わせていた。


 学校に来なくなって、一週間が経つ頃に先輩にメールしてみたが、返信はこなかった。

 もう一生会えないような気がしてならなかった。不安でならなかった。

 そんな先輩が今、目の前で立っている。三週間前までよく見ていた、変わらぬ笑顔で、そこに立っている。そのことに安心し、同時に自分勝手な怒りも湧いてきた。


「どうして急にいなくなったんだよ」


 あまり感情を外に出したくなかったのに、少し強い口調になってしまった。


「え? あ、ごめんごめん。ちょっと家族で旅行に行っててさ、ほら、お土産」


 そう言って、英語で書かれたクッキーをくれた。英語が苦手な僕はほとんど書いてある内容がわからず、写真で判断するしかなかった。写真を見る限り、丸いクッキーの半分がチョコでコーティングされているようだった。


「三週間も?」

「うん! 海外に行ってきちゃった〜」


 先輩の調子は三週間前と変わらない。調子が狂っているのは、僕の方だ。


「聞いてない。しかも、学校を休んでまで?」


 僕は怒りを含ませた口調で、言った。八つ当たりに近いことはわかっている。先輩がどこへ行こうが、先輩の勝手だ。それでも、ぶつけようのない怒りをどう処理すればいいのかわからず、先輩にぶつけてしまっている。


 きっと後々後悔することになることなんてわかっている。けれど、僕は止めることができなかった。


「言ってなかったっけ? ごめんね。もしかして、怒ってる?」

「別に」


 僕はぶっきらぼうに言う。

 僕の勝手な理由で先輩に怒りをぶつけていることを悟られたくなくて、そんな言い方しかできなかった。ますます、普段と様子がおかしいと思われるはずなのに、冷静に、普段通りの話し方はできなかった。


「んー。怒ってる。ぜーったい、怒ってる!」


 先輩が眉間にしわを寄せて、顔を近づけてきて、言った。気圧された僕は、椅子から落っこちそうになってしまった。


「別に怒ってないって」


 あぁ、僕は面倒くさい奴だ。


「いーや、怒ってる。百二十パーセント、怒ってる!」

「……怒ってる、のかもしれない」


 きっとどんな言い訳をしたところで、先輩には本心を見抜かれていて、このまま嘘で塗り固めていったとしても埒が明かない。素直になることにした。


 僕は感情を表に出したくないと思っているのに、自分で制御できない。おまけに、口では否定しつつも、察して欲しいと思っている節がある、とんだかまってちゃんだ。少し冷静になると、今までの言動が急に恥ずかしくなってきた。まだまだ子どもな自分に辟易する。


「うん。素直でよろしい。えっと、私が勝手に数週間いなくなったから、怒ってるっていう認識であってる……かな?」


 先輩は不安そうに訊いてきた。


「まあ、そうかな」

「だよね。もし、違ったら自意識過剰なイタい子になるところだった。ちょっと安心」


 先輩はホッと安堵の息をついた。


「なんか嬉しいかも」

「え?」

「怒ってる夏樹君に対して嬉しいとか、間違ってるのかもしれないけど、そんなに私のことを想ってくれてたんだと思うと、なんだか嬉しくってさ。数週間留守にしただけで、こんなにも寂しがってくれるなんてね」


 先輩はまた遠くを眺め、嬉しそうに、でも、少し寂しそうな、どっちつかずの顔をした。先輩の視線の先を僕も追ってみるが、それらしきものは何もなく、ただ真っ黒な雲が見えるだけだった。


 重い雰囲気にしても、話が弾まなくなると思ったので、少し軽めの口調で言うことにした。


「そこまで言った覚えはないんだけど……」

「え?」

「えっと、そういうのってジイシ──」

「あぁ!!」


 耳を劈く声で、僕の言葉を遮った。耳が痛い……。


「は、恥ずかしい……」


 先輩は本当に恥ずかしいのか、頬は当然のように真っ赤に染まっていて、風に揺られることで時折見える耳までも、赤色の絵具で塗りたくったように赤くなっていた。


 いつもの先輩が帰ってきた。そのことに安心する。


「まあ、どちらかと言うと、連絡すらとれなかったことに怒ってる」

「あ、やっぱり連絡くれてた?」

「うん。知らなかったの?」

「えっと……うん。ちょうど向こうに着いたときに壊れちゃって、それからスマホが使えなくて」


 申し訳なさそうに言った。


「そうだったんだ……」

「うん。ちょうど今日の放課後携帯ショップに行こうと思ってたから、今日から復活すると思うんだけどね」


 ということは、今日の放課後は一緒に帰れないのか。少し残念な気分になる。少しだけ。


「残念そうだね? 私と帰れないから?」


 先輩が怖い。テレパシーとか使えちゃう系の人なのか? それとも、僕があまりに顔に出やすいかだ。どちらにせよ、あまりいいことではないな……。


「自意識過剰」

「うっ」

「うそうそ。数週間も話してなかったんだから、今日くらいは話したいな、って思ってた」


 あれだけ感情を表に出した後だ。今更これくらいの本音を喋ったところで、恥ずかしいことなんてありはしない。


「う、嘘か……心臓がギュって縮むんだからやめてよね? それに関してはごめんね。明日は一緒に帰れるから、そのとき話そ」


 色々話したいことはある。この三週間どう過ごしていたのか、聞きそびれた進路はどうするのか。いっぱいある。明日は僕が質問攻めにさせてもらおう。


「うん」

 僕が頷くと、先輩は微笑んだ。

 昼休憩がそろそろ終わる時間だったので、先輩に別れを告げて、お互いの教室へ戻った。


 先輩に対してあんな感情を抱いて、それを口にするなんて、一年前の僕では考えられなかった。

 僕はもう気づいている。自分が先輩に対してどういった気持ちを抱いているのか。そして、その気持ちの名前も知っている。けれど、それを直接先輩に言えるほど自分に自信が持てなかった。いや、冷静な今だからそう思っているだけで、きっとちょっとしたきっかけがあれば、僕は自分の気持ちを口走ってしまうかもしれない。


 先輩が絡むと、僕の行動は数分先のことでも、読めないのだ。

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