第16話

 週末。


 先輩と神ヶ谷公園へ行く日になった。ここ数日、『ミライのボク』からのメールは届いていなかったが、当日の朝に一通のメールが届いていた。


『公園内を歩く四十代の夫婦に話しかけられる』


 そんなことまで予想できれば、信じてしまいそうだ。でたらめに言って当たるにしては、打率が高すぎる。今のところ外してないので、打率十割だ。


 さすがに当たるわけないよな……と思いたい僕もいれば、なんだか当たってしまう気がする僕もいる。


 あまりメールのことは考えずに、楽しもう。もやもやした気持ちで先輩に会っても失礼だ。まあ、先輩は僕のちょっとした変化なら気付かなそうではあるけど。それでもメールのことは一旦、頭の片隅に追いやっておく。


 僕がそれなりの服に着替え、髪もそれなりに整えて、待ち合わせ場所に向かうために玄関で靴に履き替えていると、背後から足音がした。履き終えた僕が玄関の扉を開こうとしたとき、「いってらっしゃい」と母さんの声がはっきり聞こえた。

 いってらっしゃい、久しぶりに聞いた気がする。僕は胸が熱くなるのを感じながら、「いってきます」と力強く、下手くそな笑みを浮かべ、言った。そのときの母さんの顔はどこか懐かしさを感じさせ、これから外へ行くというのに、こんな気持ちにさせないでくれ、と思った。でも、嬉しかった。少しずつ家族が戻り始めているのを感じる。


 外に出ると、春の気持ちのいい風が吹いていた。自分でも気持ちが高まっているのがわかった。風が気持ちいいからなのか、「いってきます」を言えたからなのか、はたまた先輩に会えるからなのか、理由はわからない。きっとそれぞれの要素が混ざり合って、今の僕の気持ちの高まりを構成しているんだろうな、と思う。

 

 先輩とは神ヶ谷公園の最寄駅で待ち合わせすることになっている。定期圏内でラッキーと思いながら、電車に乗り込み、数分揺られる。二駅なのですぐだ。小説を開いても、話がほとんど進まないので、ぼんやり外を眺めていることにした。


 駅に着くと、先輩の姿はまだなかった。先輩に僕が立つ場所を写真で撮り、『ここです』というメッセージとともに送った。先輩からはわかったという意味合いのスタンプが送られてきた。

 先輩はスタンプを多用する。スタンプが送られてきたらそこで会話は終了。脈なし。みたいな話を聞いたことがあるが、先輩の場合は決してそういう意味で使っていなくて、会話が終わったその数分後には別の話が展開されている。きっと便利だから使っているだけなのだろう。

 スタンプが主流な時代に逆行するかのように僕はほとんど使わない。特に意味はないが、なんだかあの軽いノリというかテンポみたいなのに慣れないのだ。時代に数周置いていかれているな、と感じることが多々ある。


 僕が時代についていけねー、とか考えていると、視界が真っ暗になった。


「だーれだ?」


 明らかに先輩とわかる甘い声で、訊ねられた。

 三度目の正直だ。今日こそ、リアクションが悪いとは言わせない。気分が良かった僕は、普段の三割増くらい声のトーンを上げて、答えることにした。


「先輩」

「ちぇっ」


 先輩の舌打ちと同時に、僕の視界が一気に開けた。光が目にいきなり入ってきたものだから、目がじんとする。


「今日は僕、反応良かったですか?」

「え? 全然。いつも通り悪いね! 逆に安心する!」


 どうやら三割増でも大して良くなっていなかったようだ。自分なりには好きな作家さんの新刊が出たときくらいのテンション感で言ったつもりだったんだけどな。


 僕=反応が悪い、という式が先輩の中で成り立っているから、安心感まで与えてしまうようになってしまった。


 先輩と合流した僕らは、公園を目指した。お昼ご飯は先輩が作ってくれているらしい。いつもどこかへ遊びに行くとき、先輩はお弁当を持ってきてくれる。毎回美味しいので、いつもお昼が待ち遠しい。今日は手にいかにもサンドイッチが入っていそうなバスケットを持っている。


 予想は当たるだろうか?


 神ヶ谷公園に着くと、何人もの子どもたちが颯爽と駆けて行く姿が視界に入ってきた。休日ということもあり、家族連れが多そうだ。


 遊具があるエリア、きれいに整備された芝生の広場、芝滑りができる施設の大きく分けると、三箇所から構成されているようだった。小学生以来に来たので、曖昧だった記憶が少しずつ補完されていく。芝生と言えば、何ヶ月か前に動物園に行ったときのことを思い出した。まだまだ先輩と出会ったばかりの頃だ。きっと今回も芝生の広場で、お昼を食べることになるんじゃないだろうか。


 さて、どうしよう。


 高校生になった僕らが遊具で遊ぶのは、周りの目もあるし、さすがに避けることにした。隣の先輩は、「滑り台いいなー」とまだまだ子ども心を忘れていないように窺えた。とてもじゃないが、僕は小学生以下の子どもたちがうじゃうじゃいる中、それなりの歳の男女が入り込んでいくほど、周囲を気にしない鈍感さを持ち合わせていなかった。

 遊具で遊ぶことは叶わないので、ぐるっと園内を散歩することにした。

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