第14話
『まずは過去の僕に信じてもらうことが先だ。今日は水無華蓮から週末のデートに誘われる。場所は
今朝、目を覚ますとメールが届いていた。もし送ってきているのが本当に僕なんだとしたら、気まぐれ返信スタイルを何年後も貫いていることになる。人は変わる部分もあれば、変わらない部分もあるんだな、と思った。
放課後まで先輩と話す機会はなかった。全ての授業が終わり、校門前で待つ先輩に声をかける。
「お待たせです」
「やっほっほー。よしっ、帰ろっか」
人の流れに身を任せるようにして、先輩は歩き始めた。
「僕が一昨日言ったこと覚えてますか?」
僕がそう言うと、歩き始めていた先輩が足を止め、振り返った。先輩は察しが良いというか、空気が読めるというか、僕のテンション感などを読み切って、いつにもまして、真剣な表情をしていた。
こういうときにふざけないところは、先輩のいいところだと思う。彼女の表情を見て、一層身が引き締まって、緊張してきた。
「覚えてるよ。私に話したいことがあるんでしょ」
「はい」
昨日は予定が合わず言えなかったが、今日は過去の話をするつもりで一日を過ごした。先輩に宣言しておくことで、逃げ道を潰したのだ。逃げも隠れもできない。
まだ話し始めていないというのに、心臓の鼓動は速く、強く打っていた。
僕らは学校から徒歩五分くらいにある、誰もいない公園に入ることにした。遊具はなく、ベンチが一脚設置されているだけの寂しい公園だ。公園というより広場に近い。
雑草も生え散らかしており、整備もあまりされていないような印象を受けた。不人気なおかげで、僕らが話すにはうってつけの場所だった。
先輩がベンチに腰掛けた隣に僕も座る。
僕は全てを吐露することができるだろうか。冷静に話し終えることができるだろうか。
先輩の隣に座っただけだというのに、緊張や不安で吐きそうになる。そもそも過去の話を誰かにしたことがなかった。こういうときはどう切り出していいものかわからなかった。話す決意をしてきたが、話の筋道をきちんと立てていなかった。いや、立てたところでそんな筋書き通りに話せる余裕がないことくらいわかっていたのだ。
しかし、切り出し始めることすらできないとは思っていなかった。気まずい沈黙が流れる。不甲斐ないし、情けない。
「──ねえ、今週末空いてる?」
「え、はい」
沈黙を破ったのは僕ではなく、先輩だった。先輩は場の空気をなんとかしようとしてくれたに違いない。こんなときにまで気を遣わせてしまっていることに申し訳ない気持ちと自分に対する怒りが同時にこみ上げてきた。
「神ヶ谷公園にでも行かない?」
メールの通り僕はデートに誘われ、神ヶ谷公園に行くことになりそうだ。メールの内容は当たっている。けれど、僕の頭の中は過去の話のことでいっぱいだった。あれだけ僕を悶々とさせたメールも今は頭の片隅にちょこんと置かれていた。
「構いませんけど、何をするんですか?」
神ヶ谷公園は最寄駅から二駅いって、そこから歩いて数分の場所にある。小学校の頃の遠足で行った記憶はあったが、それなりに大きくなってから行ったことはなかった。
ここよりも広い広場と芝滑りができる施設があったことくらいしか記憶になかった。
先輩は、うーん、と数秒唸った後、「ピクニック?」と言った。特に何がしたいのかは決まっていなかったようだ。
「疑問形で訊かれても困るんですけど」
「ピクニック!」
確かに今の季節、気温はピクニックに最高だろうな、と思った。暑すぎず、寒すぎず、外に出ても不快にならない。もう少ししたら夏の暑さに苦しめられる日々が始まる。名前に『夏』という漢字が入っているにもかかわらず、僕はあまり夏が好きではなかった。
夏か冬なら断然、冬。冬になれば夏派と答え、夏になれば冬派と答える、エセ冬派ではなく、年がら年中、冬派と答える正真正銘の冬派なのだ。春や秋という選択肢があるのなら、春と答えるけど。
春という季節はピクニックには最適で、僕も快く「行きましょう」と答えた。
「楽しみだなー。ところで、夏樹くんは話したいことまとまった?」
やっぱり先輩は時間を与えてくれていた。ここまでしてもらっておいて、今日はなしで、なんて言えるはずがない。
一度、深呼吸をし、心を落ち着かせる。先輩が場を和ませてくれたおかげで、話せそうな気がしてきた。完璧にまとまったわけではないけれど、話し始めれば言葉は紡がれていくものだと思った。
どこまでも先輩におんぶに抱っこだな、僕は。
「はい。気遣わせちゃってすみません」
「ううん。ちゃんと最後まで聞くから、安心してね。何があっても、君の味方だから」
心強かった。先輩の言葉はとても深く、重みがあった。そして、温かい。僕を包み込んでくれるような、そんな気がした。
「過去の話です。僕が小学校五年生のときの話になります──」
僕は少しずつ、記憶を辿りながら、先輩に伝えた。事故当時のことを思い出して、口にするだけでまた吐き気がして、話すことをやめたくなった。
それでも僕がやめなかったのは、隣にいる先輩が優しく、静かだけれど、真剣に僕の話を聞いてくれていた。それを見るたびに安心したし、言葉を紡ぎ続けることができた。
僕が噛みしめるように言い終えると、先輩は僕の手を握ってくれた。「話してくれて、ありがとう」と言い、先輩は優しく微笑んだ。
「私は夏樹くんじゃないし、君の気持ちをわかってあげられるだなんて、そんな無責任なことは言えない。君はずっと一人で抱えて、戦いながら生きてきた。立派だよ。えらいよ。夏樹くんは、これからどうしたい?」
真剣な目をしているけれど、そこにはしっかりとした優しさがあって、僕に寄り添ってくれるような言い方だった。
「わかりません。過去と向き合ったところで僕が妹を殺した事実は変わりません。これからもこの十字架を背負って生きていくことが、妹への償いなんだと思います」
僕が今の気持ちを正直に話すと──
「バカ!!」
僕の鼓膜が破れるんじゃないかと思うくらいの声量で、先輩は言った。驚きから「え……」と声を漏らすことしかできなかった。こんなに大きな先輩の声は初めて聞いたかもしれない。
「妹さんは本当にそんなことを望んでいると思ってるの? どうして信じてあげられないの? 夏樹くんがずっと大切に想っている妹さんは、何年も自分を殺してまで生きている夏樹くんのことを恨んで、これからも不幸を願うようなそんな人なの? 私は会ったことがないから、知らない。けれど、夏樹くんは生まれたときからずっと一緒に過ごして、成長してきた兄妹でしょ? 一番よくわかってるんじゃないの? 妹さんは本当に君の不幸を望んでるの? 幸せを願ってくれてないの?」
先輩は熱くなって、感情が昂り、今にも泣き出しそうなそんな表情をしていた。僕も目頭が熱くなっていたのに、先輩のそんな顔を見たら、泣くに泣けなけなかった。
「どうして先輩が泣きそうになってるんですか」
「んっ、うるさい! 夏樹くんがわからず屋の大馬鹿ものだから!」
僕は妹に対する謝罪の念以外を抱いて、生きてこなかった。過去に戻れるなら戻りたい。喧嘩なんてせずに仲良くしていれば……と何度考えたことか。考えれば考えるほど後悔で心は埋まっていった。
先輩に言われて、楓との思い出が蘇ってきた。
いつも僕についてきて、僕の真似をしていた。ひまわりがパッと咲くように笑う笑顔は、周りの人も笑顔にさせる特殊な力があった。どこか先輩に似ていた気がする。好きな物は中々譲らない頑固な一面もあったけど、誕生日には手作りの花飾りをくれる、優しい妹だった。僕が学校で褒められた話をすると、一番に喜んでくれた。お兄ちゃんすごーい、と。
そうだ。どうして、気づけなかったんだ。楓は貶めたり、賎しめたり、そんなことを考える人間ではなかった。僕の幸福を願い、望んでくれる、そんな妹だったじゃないか。
先輩に言われるまで気づかないなんて、兄失格かもしれない。こんな僕でも兄として、慕ってくれた世界でたった一人の妹。せめて、そんな妹のことを信じてあげられる兄でいたい。そう思う。
「先輩、ありがとうございました。おかげで目が覚めました」
「なんだか素直に感謝を伝えられると、くすぐったいね」
僕があまりに素直に感謝の気持ちを伝えたものだから、先輩は少し頬が紅潮し、照れているようだった。
「先輩にお願いがあります」
「なんでしょう!」
先生に当てられたときのように手を挙げ、元気な声で言った。
「妹、楓のお墓参りに一緒に来てくれませんか?」
「私は構わないけど、私なんかがいいの?」
「はい。先輩に来てもらいたいんです。楓にも先輩のこと紹介したいので」
「綺麗で美人な、超絶可愛い先輩って?」
「……」
「……」
「なんか言ってよ! めちゃくちゃ恥ずかしいじゃん!」
恥ずかしいなら、初めから言わなければいいのに、と思うのは僕だけだろうか。先輩は「夏樹くんって結構Sだよねー」と口を尖らせて、喚いている。
「神ヶ谷公園の近くなんで、帰りにでも」
「わかった。行く。私もきちんと挨拶しておきたいしね」
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