第7話

 休憩を終えた僕らはまた園内を回り始めた。それほど大きな動物園ではないので、夕方までには回り終えそうだった。

 次は何を見ようかと園内マップを見ながら悩んでいると、ズボンをぐいっと下に引っ張られる感覚があった。僕のズボンを引っ張る正体を確かめるため、下に目を向けると、小さな男の子がいた。


「先輩」

「ん? え? どうしたの、その子。連れ子?」


 先輩は真剣な表情で言うもんだから冗談なのかわからなかった。


「そんなわけないじゃないですか。僕も今気づきました」


 小学校低学年ほどの小さな男の子はキョトンとした顔で僕のことを見つめてくる。


「どうしたの?」


 僕は腰を落とし、自分ができる最大限の優しい声で、声をかけた。


「ま・い・ご!」


 男の子は一音一音はっきり声に出し、迷子であることを伝えてくれた。なんにも染まっていない純粋な笑顔だった。

 迷子にしては悲しそうなそぶりを一切見せない。この年代の男の子が迷子になれば、もっと慌てふためいて、泣いていてもおかしくないだろう。例に漏れる迷子の男の子と出会ったようだ。


「先輩、どうします?」


 これからどうするかなんて答えは一択しかないようなものだったが、一応訊いておいた。


「どうするって言われても、一緒にご両親を探してあげるしかないよね」


 男の子が「あし、つかれたー!」と言うので、僕がおんぶすることになった。申し訳ないけれど、ハンドバッグは先輩に持ってもらうことにした。


「こういうときって迷子センターに行けばいいのかな?」

「うん。ご両親もきっと探してるだろうしね」


 僕らは入口付近にある迷子センターに向かうことにした。


「ねぇねぇ」


 優しく肩をトントンと叩かれた。


「ん?」

「おにいちゃんたちは、ケッコンしてるの?」

「け、結婚?」


 男児から予想外の質問が飛んできて、僕と先輩は顔を見合わせた。

 先輩の頬が少し赤らんだ気がした。きっと僕も人のことを言えない顔になっていると思う。


「結婚はしてないよ。お付き合いしてるんだよ」


 一呼吸置いた先輩は、いつにも増して優しい声で説明した。


「ふーん。おつきあいってなに?」

「え、えっとー。このお兄ちゃんに訊いてみて!」

「ちょっ」


 先輩は僕に振ってきた。


 先輩は口笛を吹きながら、僕から視線を外して、無関係アピールをしてくる。そんな先輩をとりあえず睨んでおいた。

 僕自身、よくわかっていない問いにどう答えればいいんだろう。

 男の子が知っている言葉で説明する必要があり、初めて聞く言葉があれば一生質問が飛んできそうだ。


 これ以上、新しい質問に派生せず、誤魔化すことができそうな説明をすることにした。


「僕は結婚のひとつ前っていうイメージかな。お付き合いを経て、相手のことを知って、これからも一緒にいたいって思うことができたら、結婚する。お互いをよく知る期間のことだと思う」

「へー、じゃあ、ふたりはこれからケッコンするんだね!」


 またも先輩と顔見合わせた。僕は余計なことを言ってしまったかもしれない。

 今度は僕の方が先輩から視線をそっと外し、遠くに見えるキリンの首に焦点を合わせた。先輩、任せました……。


「えっと、そうだね。うん。そうなればいいんだけどね」


 否定することで気まずい空気が流れることを避けたのだろう。冗談とは言え、内容が内容であるため、先輩がどんな表情で言ったのか直接見ることができなかった。

 少しばかりの沈黙が流れた後、「あっ! ママだ!」と無邪気な男の子は母親を見つけたようだった。母親らしき人の隣には父親らしき長身の男性も立っていた。この子の両親もこちらに気づいたようで、急いで駆け寄ってくる。


「申し訳ありません。私たちがちょっと目を離した隙にどこかへ行ってしまって……本当にありがとうございます」

「いえいえ、少しの時間でしたけど、楽しませてもらいました。ねぇ?」

「あ、はい。僕も楽しかったです」

「うちの子が悪さとかしなかったですか?」

「はい! とっても元気で、いい子でした」


 そうでしたか、と呟いた女性は優微笑んだ。

 僕らは子供を両親の元へ返すと、最後にもう一度感謝された。子供の面倒を一定時間見ていただけで、大袈裟な、とも思ったが、親にとって子供というのはそれだけ大切で、愛おしいものなんだろう。親になってみないとわからない感覚だろう。


 動物園デートは滞りなく終了し、僕らは帰路についた。先輩は寄りたいところがあるようで、普段降りる駅とは別の駅で降りた。

 先輩が降りた後、ひとりになった僕は目を閉じ、少し眠った。浅い眠りだ。最寄駅が近づいたことを知らせるアナウンスで起きられるくらいの浅い睡眠。


 目が覚めた僕はスマホを開くと、メールが届いていることに気がついた。


『今日はありがと! すっごく楽しかった!! また行こうね』


 先輩からだった。メールと一緒に二人で撮った写真も送られてきた。僕は笑っていた。自分が思っている以上にしっかり笑っていた。


 僕は『ありがとうございました 楽しかったです』と送っておいた。先輩への感謝は久しぶりに笑わせてくれたことに対する感謝も含まれている。


 僕が送った後、すぐにスマホが振動し、『次はどこ行こっか?』というメールを受け取った。今日行ったばかりなのにもう次のこと考えているんだな。なんだか本当のカップルのようだ。カップルであるはずだけれど、お互いに恋愛感情があるかと言われれば怪しいところがあり、なんとも形容しがたい関係性である。カップルのようなことをしているな、と自覚するたびに背中の辺りがむず痒くなる。


 慣れないことをするもんじゃないな、と思った。

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