高校二年生 春

第8話

 先輩と付き合い始めて、三ヶ月以上が経った頃、僕は二年生に進級した。つまり、先輩は三年生になったということだ。

 先輩との関係は案外上手くいっていて、週の半分くらいは一緒に帰り、月に二回くらい週末に遊ぶようになっていた。


 クラスの人たちにはすっかり僕ら二人が付き合っていることが知れ渡っていた。放課後になると、高確率で先輩が教室まで来て、僕を呼びにくるからだ。先輩の容姿は客観的に見ても優れているようで、最初はかなり驚かれ、僕が質問攻めにあうことになった。

 全く話したことがない人たちも興味を示し、話しかけてきた。そこから僕の日常は少しずつ変化していった。人との関わりを絶っていた僕だったが、今ではクラスの人たちとそれなりに話ができるようになっていた。うちの学校は高校三年間クラス替えがなかったのも幸いした。


 充実していると思う。


 でもこれは楓や家族に対する罪悪感が消え、過去を僕の中から追い出したことで得た充実感ではない。まだまだ未来に目を向けるなんてできなかった。

 先輩と話すことで僕の気持ちは軽くなるけれど、その度に充実している現実を目の前に自問自答を繰り返す。罪悪感で埋め尽くされていた心が徐々に先輩で染まっていったことがわかった。しかし、僕がしていることは単なる上書きだ。その下には僕が犯した罪はしっかり刻まれていて、忘れることはどうしてもできない。楽になることなんてできない。なってはいけないんだ。


 僕は自分でも本心がわからない。


 どうしたいんだ? どうなりたいんだ?


 楓のことを忘れて、罪悪感から解放され、普通の高校生活を送りたいのか? それとも、十字架とともに生き続けていきたいのか?


 僕が感じている充実感は、過去からの逃げによるものだ。自分でもわかっている。妹のことを忘れられるはずがない。忘れたくもない。それなのに頭で考えていることと現実での僕の行動は乖離していて、本当の僕はどうしたいのかわからなかった。


 堂々巡りが続き、いつも結論は出ない。


 家族や楓のことはまだ先輩に言っていない。

 先輩に重荷を背負わせたくなかった。これは僕の問題で、先輩を巻き込みたくなかった。利用しようと考えていた僕が言うのもなんだけど、これ以上何か迷惑をかけるわけにはいかない。


 そう思っているのに最近、先輩から「悩み事はない?」そう訊ねられることが多かった。

 充実感を味わうたびに妹に対する罪悪感が強くなり、自分でも気づかぬうちに顔に出てしまっているのだろう。


「はぁ……」


 自然とため息が漏れた。

 先輩と過ごしていない休日のひとりでいる時間が長い日はどうしても考えてしまう。


「僕はこのまま幸せに暮らしてもいいのかな……」


 誰に言うでもなく、独り言を呟いた。いや、どこかで見ているかもしれない、楓に向けてだったかもしれない。死後の世界とか神とかそういったものは一切信じていないけれど、藁にもすがる思いで呟いた。

 僕自身で答えは一生出せない気がしたから。


 頭を悩ませていると、先輩からメールが届いた。


『明日はひま? ひまだよね? 映画観に行かない? 何時集合にする?』


 先輩はクエスチョンマークの意味を知らないのかもしれない。僕は暇だなんて一言も言ってないし、映画に行くことも確定していない。どうやら強制連行されるようだが、嫌な気持ちはしなかった。


 むしろ、先輩からこうして誘われることが嬉しいと感じている僕がいる。


 端から断るつもりもなかったので、『僕は何時でも』と返しておいた。こういう連絡事項に関してはすぐに返信するようにしている。よくわからないメールのときは、気が向いたら返す程度だけど。


 明日のように先輩と休日を過ごすことも少なくなく、休日に遊ぶほど仲のいい人はいなかったので、基本僕は暇なのだ。先輩もそれをわかっているから、行ける前提で会話を進めているのだろう。悲しいことだけど。

 明日も絶対に楽しんで終わるはずだ。どれだけ楽しい一日を過ごしたとしても、罪悪感だけは残り続けた。

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