第5話
先輩と付き合い始めてから、一ヶ月ほど経った。
たまに一緒に下校したり、近くのカフェに行ったり、どこにでもいるカップルのような生活を送っていた。
先輩について、この一ヶ月でわかったことと言えば、連絡はかなりマメな人ということ。僕が返すとすぐに既読がつき、すぐに返信が来る。僕が数時間後に返信したとしても、すぐに返ってくる。普段からそれほどやりとりをする方ではなかったので、先輩のスピード感にはまだついていけない。多分、一生ついていくことはできないだろうな、と思う。
そんな先輩からこんなメールが届いた。
『今週末、デートしない?』
スマホのカレンダーアプリを開き、今週末の予定を確認する。当然のように空白だ。なんなら今月どこにも予定は入っていない。
カレンダーを見るまでもないのに、開いてしまうのは見栄だろうか。
先輩とどこへ行くことになるのかわからないが、『わかりました』とだけ送っておいた。
すぐにスマホが振動し、ディスプレイには『ありがとー♪』というメールと共に、なにやら嬉々としたスタンプが送られてきた。
デート自体は学校帰りに何度かしていたが、休みの日に出かけるのはこれが初めてだった。
先輩と話しているときは頭を空っぽにして話ができることが多かった。けれど、夜になり、部屋でひとりになると、どうしても頭から楓の存在が離れなかった。それでいい。楓のことを忘れてはいけない。それでいいはずなのに、昼間の楽しそうな僕を思い返すだけで、自己嫌悪に陥って、僕は昼間の僕を許せなくなる。
僕はこれからも十字架と共に生きていくしかないんだ。
「やっほっほー」
「どうも」
先輩の頭悪そうな挨拶で僕らの会話はいつもスタートする。
デートの場所として、先輩は近くの動物園を指定してきた。十二月ということもあり、とても冷える。先輩は白いもこもこのフリースを上に着ており、女の子らしい服装だった。私服姿は初めて見たので、新鮮だった。そもそも制服姿も数えられるくらいしか見ていないけど。
「どう?」
先輩は両手を広げて、なにやらアピールしてきた。
「どう、とは?」
「いや、普通彼女の私服姿を見たら、服装の一つや二つ褒めるところでしょーが!」
先輩は眉間にシワを寄せ、普通というものを教えてくれた。
「かわいいと思います」
「うわっ、テキトーすぎ。そういうところちゃんとしないと、モテないよ?」
その通りだろうな、と思う。僕みたいな感情を表に出さない奴を好き好んで彼氏に選ぶ女子がいれば、心配になる。目の前の先輩は例外だろう。別に僕のことが好きで付き合っているわけではないと思うから。
「僕がモテてもいいんですか?」
「おっ、意外と言うね〜。夏樹くんの彼女は私なので、モテると困ります!」
先輩は僕のことを『夏樹くん』と呼ぶようになった。僕は相変わらず、先輩呼びをしているけど。先輩が呼び方を変えるタイミングで、『水無さん』という呼び方を提案したのだけれど、苗字+さん付けよりは先輩がいいらしく拒否された。
「そういえば、クラスに気になる子がいまして──」
「えっ?」
「嘘ですよ。早く入りましょ」
「うわーっ! 生意気だ! この後輩、生意気だ!」
わーわー喚きながらも先輩はしっかり僕の後をついてきた。軽口を叩けるくらいには、関係も縮まっていた。真逆の性格をしているはずなのに、思っていた以上に居心地は良かった。
動物園の入園料を払い、僕らはゲートをくぐって、園内に入った。人はそれほど多くなかった。ちらほらいるくらいなので、どの動物も見るのに苦労しないだろう。
入ると同時に感じた独特のニオイ。一歩一歩前へ進むたびに強くなっていく。
「ねぇねぇ、どっから回る!?」
まだ入ったばかりだと言うのに、テンションMAXな先輩を見ていると、頬が緩みそうになる。こうして、休みの日に誰かと遊びに行った最後の日はいつだろう。なんだか悪くない気持ちだった。
「先輩に任せます」
「えー、どうしよ。う〜〜ん」
ほぼほぼ開園時間に入ることができたので、時間には余裕がある。回る順番なんてそんなに気にすることではないはずだが、先輩はしっかり頭を悩ませていた。
「ねぇ、どうしよ?」
結局、自分で決めることができなかったのか判断を僕に仰いできた。
「時間はありますし、どこから回ってもいいんじゃないですか?」
「確かに! 夏樹くんはかしこいね。よし、まずはそこから!」
そう言って、入口に一番近いところにいるフラミンゴたちを見に行くことにした。目の前を歩く先輩の足取りからも、愉快であることが伝わってきた。
「初めて見たけど、足ほっそいねー。私もあんな足になりたいなぁ」
そんな意味のない会話をしながら、僕らは園内を回っていた。ふと、一ヶ月前に告白されたときのことを思い出した。
僕は意味のない会話が苦痛だ、とか思っていた気がする。この一ヶ月、先輩と話す中で、僕の価値観は明らかに変わり始めていた。先輩との会話は居心地が良く、気楽なものだった。多分、楽しいと感じることが多かったと思う。
先輩の価値観に感化されたことで、僕の価値観が崩れ、先輩の価値観に染まってきていることに気づくのに、それほど時間はかからなかった。天と地ほど離れていると思っていた価値観は、ただ僕が知らないだけで理解することができないものではなかったのかもしれない。そもそも理解しようとすらしていなかった。先輩と過ごす中で一番変わった部分だ。
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