第2話

 先輩の言う告白は、きっと男女が付き合う前に行うもののことで合っていると思う。実は全国模試一位なんだ、とかそういった類の告白の可能性もあるが、極めて低いだろう。それなら告白するため、とかまどろっこしい言い方をしないはずだ。会話を楽しむ先輩なら無駄に会話を引き伸ばしていることも考えられなくはないが、おそらく違う。


 じゃあ、どうして先輩は僕に告白してきたのか。面識が一度もない、そんな相手に告白する理由なんて一目惚れとかそういったことだ。しかし、僕は一目惚れされるような容姿を持ち合わせていない。

 それならなぜ告白してきたんだ。ジャン負けが告白するとかいう罰ゲームかなにかかと一瞬頭をよぎったが、先輩はそんなことをするような人には見えなかった。たった数分でその人の何がわかるんだ、という話だが、これもまあ、直感だ。実際、周りに僕らを面白がって見ているような人もいなかった。


 答えは出せそうになかった。


「驚いてるねぇ。びっくりした?」


 見透かしたように先輩は言った。


「まあ、さすがに。僕、告白なんかされたことないですし」

「はははっ。じゃあ、初めての彼女になれるじゃん」


 誰もいない学校の中庭で、先輩の声が響いた。


「まだOKしてないですよ」僕が素っ気なく言うと、急に不安そうな顔をした。

「え? してくれないの? 自分で言うのもなんだけど、結構見た目はイケてると思うんだよね」


 自己評価高めな先輩は、「ほーら」と言い、くるっとその場で一回転した。少し茶色に染まったセミロングの髪が、回転することでふわっとなびく。少し垂れ気味の目は、優しそうな印象を与えた。きっと悪い人に見えなかったのは、この目のせいだろう。

 確かに先輩は容姿が優れた部類に入るのだと思う。そう言った目で女子を見たことがなかったので、よくわからないのだけれど、僕の知る数少ない女子の中でも可愛い方だろう。僕なんかが見た目を評価するなんておこがましいが、先輩が評価するように仕向けるような発言をしてきたので、しかたがない。


「どうして僕に告白しようと思ったんですか? もっといい人いたと思いますよ」


 謙遜でもなんでもなく、本音だった。自分の容姿に自信があり、きっとそれは周りから見ても適当な評価なんだと思う。そんな人がわざわざ僕を選ぶ理由がわからなかった。


「いい人はいっぱいいるよ? でも、君だっていい人だと思うよ。私、この前見たんだ。君が子供を助けるところ」


 あぁ、見られていたのか。

 数日前、通学中に小学校低学年くらいの男の子が転んで怪我をして、泣いているところに遭遇した。近くに大人はいなかったし、このまま放っておくわけにもいかないと思い、とりあえず小学校までおんぶして連れて行くことにした。小学校には保健室もあるし、なんとかなると思ったのだ。まさかその一部始終を誰かに見られているとは思わなかった。


「そんなことがあったかもしれませんね」

「すっごい優しい人だって思ったよ。あのとき小学生に見せてた笑顔はとても優しかった。まあ、学校で見かけたときは印象と違いすぎて、ギャップにちょっと驚いちゃったけどね」


 泣いている小学生相手であれば、僕だって普段とは違う顔で接する。苦手だけれど、優しい表情を作ろうと努める。あれは本当の僕じゃない。無表情で読書をしている僕が、本当の姿だ。


「学校では人に興味がなさそうですか?」

「うん! 今日半日、君のことが気になって見てたんだけど、全く興味がなさそうなんだよ! でも、私は君が見せたあのときの顔を忘れないし、みんなにも知ってもらいたいなーって思うんだけどねえ」


 先輩はなぜか楽しそうに語った。なんだかポジティブな内容に感じられた。内容はそれほどポジティブなものではないはずなのに、声のトーンや話し方で、こうも受け取り方が変わるのか、と思った。


「きっと先輩が思ってるより僕はいい人間じゃないですよ。子供を助けたのも気分が良かったからじゃないですかね。あのとき遅刻しそうな状況なら僕は助けていなかったかもしれない。僕はそういう人間ですよ」


 先輩は僕を褒めてくれた。褒めてくれたのに全力で否定してしまうことで、虚しさや寂しさ、そういった言葉がぴったりな感情で心が埋め尽くされる。遅刻しそうな状況であったのに僕は助けた。その事実までを否定したのだ。

 彼女は知らない。あのときの僕は自分の過去の罪に対しての贖罪という自分よがりの理由で助けたことを。だから、僕は称賛されるような人間ではないし、されるべきではないと思っている。


「でも、助けたのは事実でしょ?」微笑みながら、言った。

「だから、それはたまたま気分が良かっただけで。状況が違えば助けなかったかもしれないんです」


 僕がそう言うと、先輩は少しむすっとした。優しく、柔らかい垂れた目がほんの少し鋭くなった。この人もこんな表情をするんだ。


「だーかーらー。助けたんだから、優しいんだよ。だって、世の中には助けない人がいっぱいいるよ? 声もかけない人がいっぱいいるんだよ? 君はたった一回だとしても、助けたの。それがたとえ偽善だったとしても、本当の君じゃなかったとしても。助けたことであの子は救われたはず。心の中でどれだけ同情していたとしても行動に移さない人より、頭では今日の夕飯何かなーとかそんなくだらないことを考えながらでも行動に移せる人の方が立派だと思うよ。少なくとも、私はそう思ってる。本当の君を私は知らない。全然知らない。けど、人を助けることができるいい人だとは思ってる」


 言葉に詰まった。上手く反論しようと思っても、できなかった。彼女の熱量に気圧されてしまった。

 初めて会話を交わした人間にここまで熱くなれる彼女は、きっと僕なんかよりずっといい人だ。僕より先に先輩が気づいていれば、先輩が助けていたんだろうな、と思う。


 言いたいことを言い終えたのか、達成感に満ちた表情をしていた。顔にデカデカと満足と書かれているようだった。


 先輩の言葉に少しだけ、心が軽くなった。


「──わかりました。けれど、そこからどうして告白につながるんですか?」

「え? 優しいから?」

「あんまり回答になってないですよ。なんか怪しいです」


 先輩が本当に僕のことが好きで告白してきたとは思わない。たった一度、優しい瞬間を見たから、好きになるというのはどこの世界の話だろう。見た目がいいとかならまだしも、そういうわけでもない。何か裏があると思わざるを得なかった。


「怪しいことなんてないよー。私じゃ、ダメ?」


 先輩の思惑はわからない。失礼なところがあるのに、変なところで真剣な眼差しを向けてくる。よくわからない先輩だ。


 悪い人ではなさそうだな、と思う。さっき先輩の言葉で心が軽くなったあの感覚。一生背負っていくことになると思っていた過去に対する考え方も変わるのかもしれない。先輩を利用するようで気が引けるが、先輩だって何かしらの目的で僕と関わろうとしてきているはずだからお互い様だ。


 淡い期待が胸に広がる。


 先輩の表情は石化したかのように固く、唇を噛み締めているようだった。その表情から本気であることが窺えた。決して遊び半分での告白ではない。ちゃんと緊張感を帯びていた。

 僕の回答次第では、先輩は落ち込むのかもしれない。


 少し思案し、僕の出した答えを伝えようと思い、口を開いた。


「いいですよ。よろしくお願いします」


 僕がそう言うと、緊張の糸が解けたように先輩の表情はパッと明るくなり、まるで季節外れのひまわりが咲いたようだった。

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