31話 姉離れと妹離れ その2
セシル様は、ファティマ様が亡くなり、もぬけの殻のように、なにもしなくなくなった。仕事はもちろん、領地のことも、まだ生後3ヶ月のソフィア様のことも。
ただ、セシル様は、まだ生まれたばかりのソフィア様を放って置けなかったのであろう。そして、まだ12歳だった私に、赤ん坊だったソフィア様の面倒は見切れないと判断したのだろう。ソフィア様が3歳になるまで、綺麗な白髪で目が吊り上がっている見るからに怖そうなエレノア様がソフィア様の面倒を見てくださった。
そして、ソフィア様が5歳になった誕生日。セシル様は急に、恋人だというカミラ様を連れてきた。そして、カミラ様とセシル様の間にできた子供だという、3歳のアイティラ様を連れて。
今まで本邸で暮らしていたソフィア様と私は、手入れされていない離れの塔へ追いやられた。その頃には私は成人間近の15歳で、エレノア様はそのまま本邸へ残った。私はエレノア様からソフィア様のお世話の方法を全て伝授されていたから、苦ではなかった。
ただ、ただ。ファティマ様の忘れ形見であるソフィア様を。実の父親からわかりやすい愛情というものを注がれたことがないソフィア様を。まだ、働く術も、生きる術も、何も持っていないソフィア様を守る。ただそれだけが、私の心の奥の原動力となっていた。
ソフィア様は、それは可愛く、素直で、純真無垢な子供・・・・・・。だったわけではない。どちらかというと、確かに容姿は整っているが、わがままで、いうことを聞かない。本当に、あのファティマ様の子供なのかと何回も疑ってしまうほどだった。
外に出たら服は汚す。あれが欲しい、これが欲しい、となんでも欲しがる。何度も教えているのに食事のマナーもなっていない。たまに手伝うと言ってくれるけれど、とても時間がかかるか、前よりももっとひどくなって終わる。
動物や、精霊にも嫌われてしまうくらいに。
ただ、ソフィア様は夜になると、必ず私の元に来て、いっしょにねて、と言う。いくらわがままなソフィア様も、両親がいない、暗く、寒いこの塔の中は、怖くて、不安で、仕方がないのだろう。
薄っぺらい布団をソフィア様にかけ、今にも壊れそうな、小さなソフィア様と私でいっぱいいっぱいのベッドでソフィア様の手を繋いで、いっしょに寝る。
「大丈夫。大丈夫。私はここにいますよ」
そういうと、ソフィア様は安心したように眠る。
ソフィア様は、まだ5歳なのだから。私が守らないと。そう誓いを立てて、私も眠る。それが、私の日常だった。
ソフィア様を守ると決めていたのに。私は、あの日、ソフィア様を守れなかった。ソフィア様が5歳になって数ヶ月後。ファティマ様が亡くなられて以来、今まで一回も呼ばれなかった本邸での食事にソフィア様は招待された。
その時のソフィア様は、困ったような、でも、嬉しいような顔をしていた。「久しぶりにお父様に会えるわ」と、張り切って、できる限り精一杯お洒落をして、食事のマナーの復習までして、ここ数ヶ月見れなかったソフィア様の、久しぶりの満面の笑顔を見れた。私も、ソフィア様に恥をかかせないように、自分が持っている服で一番まともな服を着た。
たった数ヶ月ぶりに訪れた本邸は、何もかもが変わっていた。ファティマ様が毎日のように摘んで、玄関に大切に飾られていた花は、無駄に顔がいい騎士と変わっていた。白や百合、コスモスなどの花柄で至ってシンプルだった壁紙も、真っ赤な壁紙で染まっていた。応接間に飾ってあった歴代当主とその正妻の自画像は、セシル様とファティマ様であったはずなのに、セシル様とカミラ様に変わっていた。
ファティマ様に尽くしていた侍女は、私が見渡した限り、誰もいなかった。後に聞いた話では、ファティマ様が使っていた部屋はカミラ様の。ソフィア様が使っていた部屋はアイティラ様のものとなったという。
たった数ヶ月で、ここまで変わるものなのか。
いつの間にか、私の顔は曇っていたのだろう。私と手を繋いでいたソフィア様は、不安そうな顔をして、手を引っ張っていた。
だめだ。ソフィア様に不安そうな顔をさせては。
「ねえ、ミア。だいじょうぶ?」
「ええ。大丈夫ですよ」
「そっか。ならよかった!」
私たちは、本邸のメイドによって、夕食会場へ案内された。何回も行ったことがあるはずなのに、初めて行くような気持ちになるのはなぜだろう。
「ソフィアお嬢様がおいでなさいました」
元々ファティマ様が座っていた場所に、カミラ様が。ソフィア様が座っていた場所に、アイティラ様が座っている。
セシル様は、少し、老けただろうか。前より、疲れたような顔をしている気がする。カミラ様は、真っ赤なドレスに、真っ赤な唇。派手に髪を結い上げており、さらに派手なアクセサリーを身につけていた。アイティラ様はまだ3歳だからか、食べるのに必死そうだ。
「き、きょうは、ゆうしょくにおさそいくださり、ありがとうございます」
「・・・・・・あら。本当に来たのね。あの薄汚い塔に住んでいる、薄汚いネズミさん」
射殺すような目でカミラ様に睨まれたソフィア様は、逃げるように、私の後ろに隠れた。
「申し訳ございません」
私には、謝ることしかできない。たかが一使用人が、今や伯爵夫人であるカミラ様に口答えなどできないから。
というか、2回も薄汚いっていうんじゃないわよ。ソフィア様のどこが薄汚いというの?あなたの方がよっぽど薄汚いわ!!と言いたいのを堪えた。ここで言ってしまうと、私の主人であるソフィア様が軽く見られてしまう。
「まあ、いいわ。さっさと座りなさい」
ソフィア様は、私とかミラ様を見て、おずおず、と言った様子で、食事の席へ向かった。
そして、昔のソフィア様の場所だったところにアイティラ様が座っているのを見て、困惑したようで、その場で固まってしまった。
「あら。立って食べたいのかしら?」
「あ。ち、ちがいます。どこに、すわっていいのか、わからなくて・・・・・・」
「あなたの席はあそこよ」
カミラ様が指を差した場所は、セシル様の対面となる席。
「ありがとうございます」
そこで私は気づいた。カミラ様やアイティラ様の目の前には豪華な料理がたくさん並んでいるのに対して、ソフィア様の目の前には、一皿のスープのみ。
周りの使用人は何も言わず、我関せずといった様子でいる。
ソフィア様は、冷たい空気に耐えられなかったのか。早く食べ終わって、この場を去りたかったのか。それとも、ただただ、お腹が空いたのかわからないが、スープを一気に飲み干した。
そして、倒れた。
ガシャーンと皿が割れる音。ドンッと人が落ちる音が聞こえた。気づいた時には、ソフィア様は食べたスープをもどしていた。
「あら。やはりドブネズミね。可愛いアイティラに菌が感染るといけないから、さっさと帰ったらどうかしら。あの豚小屋に」
「・・・・・・っ。し、失礼いたしました」
私は、ソフィア様を守るように抱いて、廊下を全速力で走り、あの塔へと戻った。
医者などあの人たちが呼んでくれるはずもなく、私が呼んでも、来てくれるはずがなく、ただただ、熱を出して、喘ぎ苦しむソフィア様の手を握っていることしかできなかった。
幸いだったことは、ソフィア様に盛られていた毒は、致死量ではなかったこと。きっと、脅しのつもりで盛った毒だったのだろう。いや、もしかしたら、面白半分で持ったのかもしれない。
どちらにせよ、ソフィア様を苦しめたあの人たちを私は許せない。
ソフィア様が倒れてたのに、傍観していたセシル様、使用人。そして、毒を持ったであろうかミラ様。私は一生、許すことがないだろう。
「ん・・・・・・」
「ソフィア様?」
毒で倒れた三日後。ソフィア様は目を覚ました。
「よかった。ご無事で・・・・・・っ」
「え・・・・・・?」
ソフィア様は、私のことをなぜか凝視し、ばっと寝ていたベッドから飛び降りたと思うと、鏡の前で、自分の顔をベタベタ触りまくっていた。
「・・・・・・夢じゃない」
「ソフィア様?」
「私、悪役令嬢に転生しちゃったの〜〜〜〜?????」
その日から、ソフィア様は変わった。わがままを言うこともなくなり、言葉遣いも大人になった。家事は一通り私が全部していたが、料理だけは私は苦手だった。その料理を、ソフィア様が作ることになった。
精霊や動物からも好かれ、ソフィア様が7歳の時には、いつの間にか水の上位精霊と契約まで結んでいた。
さらに、名付けまでされていた。
そして、ソフィア様が10歳の頃にこの国の王太子の婚約者に選ばれ、神獣にも選ばれた。いつの間にかラビンス王国の第一王子であるリュカ様とエイデンを拾ってきた。
あの日からソフィア様は、別人のように変わられた。
そして、歳を重ねるごとに、ソフィア様はとても美しくなられた。女神のように。
ソフィア様が、「ミアは私のお姉ちゃんね!」といってくれた時、私は、とても嬉しかった。家族がいなかった私にとって、唯一だったファティマ様が亡くなって、でも、ソフィア様は家族だといってくれて。
リュカ様の護衛であるエイデンは、私に毎日のように花を贈ってくれる。正直、あまりタイプじゃなかったけど、エイデンに惹かれている自覚はある。
リュカ様は、ソフィア様を大切にしてくださっており、リュカ様になら、私はソフィア様を預けてもいいと思っていた。
ソフィア様は、小さい時にファティマ様を亡くされ、親の愛情というものを知らない。だから、私が、ソフィア様の
でも、ソフィア様はもう、守られる子供じゃない。
私が、守らなきゃと思っていた子供は、もうここにはいない。
「ねえ、ミア」
「・・・・・・はい」
「私ね、ミアを、縛りたくないだけなの。ミアは、ずっと私に尽くしてきてくれて。本当に感謝してるわ。でも、そろそろ、自分のしたいことをしていいと思うの。ずっと、私につきっきりで、ミアが何かをしたいとか、これが欲しいとか、いったことないじゃない。それは、私がいたせいなのかなって。だから・・・・・・」
「・・・・・・ソフィア様」
「ミアや、エイデンのこと、いらないだなんて、思うわけがないじゃない。私は、ずっと、あなたたちに助けられてきたのに。だって、私、お姉ちゃんがいたら、ミアみたいなんだろうなあって。ずっと、思っていたのよ?」
「でも、ソフィア様。私は・・・・・・」
「私さ、怖いんだよね」
「え・・・・・・?」
「もし、リュカに会いに行って、拒絶されたらって思うと」
「・・・・・・」
「だからさ、逃げ場が欲しいの。私が世界で一番安心できる逃げ場が。それが、ミアやエイデンがいて、リュカとみんなで暮らしたこの家、森なの。・・・・・・ミアヤエイデンが、いいのであれば、私が帰ってくるこの場所を、守って欲しいの。駄目だった場合に備えて。どちらにしろ、ここは私の家だから。何があっても帰ってくるのはここだけど」
「ソフィア様・・・・・・」
「私が大好きなこの森を、この家を。みんなで楽しく暮らした思い出がいっぱい詰まっているこの家を、守ってくれるかしら?そして、もし、私が泣いて帰ってきたら、抱きしめて。笑って帰ってきたら、よくやった、ってほめて。だって、ミアとエイデンは、私の家族だもん。世界で一番大切な。だから、幸せになって欲しいの。ただ、それだけなの」
「ソフィア様・・・・・・。私たちは、ソフィア様にとって、大切な存在なのですか?」
「もちろん!!何回も言っているじゃない!!」
「・・・・・・っ。いつでも、帰ってきてください」
「ええ。もちろん」
私はソフィア様に抱きついて、何十年ぶりに泣いた。
「ふふふ。ミアも泣くのね。でも、エイデンが寂しそうな顔をしているわよ?エイデンの胸で泣いてあげたら?」
「ソフィア様がいいです」
「あら。ごめんなさいね、エイデン。ミアは私の方がいいんだって」
「えーー。そんなーー」
「でも、きっと、私より、ミアのことを想っているのは、エイデンだと思うわよ?ね、エイデン?」
「もちろん。大好きです。愛しています」
「私の方がミアと長くいるんだから、私の方がミアのこと好きよ」
「どっちですかー。さっきは俺の方がミアちゃんのこと想ってるって言ってたのにー」
「ああ。ごめんごめん」
「忘れないでくださいね。俺だって、ソフィア様のこと大切に想っているんですから」
「ありがとう。エイデン」
私は、幸せ者だと思う。ファティマ様に出会い、ソフィア様に出会い、リュカ様と、エイデン様に出会った。
だから、私は、守ろう。ソフィア様と、リュカ様が安心して帰ってくることができるこの家を。愛する人と一緒に。
それが、私にできる、精一杯の恩返しだと信じて。
悪役令嬢ですがバッドエンドを阻止するため、家出を試みたら、闇落ち王子を拾ってしまい、なぜか魔女と呼ばれるようになりました うさぎ咲 @usagisaki
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