2-3

 水晶のような、夜の冷たいにおいを孕んだ風が頬を撫でる。

 旧世界ヨーロッパはなんだかんだいってもいまだに階級社会なので、そう簡単に、に新参者を加入させたいとは思わない者が大半を占めている。

 資格は社会的な地位とは必ずしも連動しない。アメリカ大統領でさえ迎え入れられるかどうかははなはだ疑問だ。

 旧大陸の同類はふだんは閉じたコミュニティを形成しているか、遠い昔に手に入れた同伴者を連れている。あまりにのちがう相手との結婚がうまくゆかないことが多いのと同様の理由で。もちろん長い年月のうちに飽きがくることはあるから、その場合は若い仔羊を探すこともあるけれども、大抵の場合、かりそめの情事がながく続くことはない。

 神がアダムの肋骨からイヴを創り出したように――おそらくそのときには血は一滴も流れなかったのだろうが――己の手でを授けることができるというのはまさに、神になったに等しいと錯覚させるのかもしれない。

 しかしその方法を知らなかった私は、あたら若い命の灯火ともしびを自分の手で消してしまったことを深く後悔している。

 彼女の、あのおびえたようなまなざしが今も、心臓近くに刺さった棘のように私をさいなむ。私のことを愛していると思っていたし、私も彼女を愛していた――たとえ四百年が経って恋の炎は消えたとしても、思い出は燠火のように残り、拒絶された記憶もまた、おそらくは死ぬまで刻まれる。魂の一部を持っていかれるようなものだ。

 経験したことのない者にはわからない。絶対に。わかろうはずもない。好んで経験したいたぐいのものではないかもしれないが、自分で選べるようなものではない。神の炎に打たれるようなものとでもいえばいいのか。

 そしてそのかたわれがいなくなってしまったいま、失われたものは二度とかえってはこない。彼女は結局、私よりも神を愛した――いや、私よりも神のほうをおそれたのだ。

 ……ああ、神様――

 それが人間としての彼女のさいごの台詞せりふだった。私の名ではなく。私がしくじったせいで彼女の魂は永遠に失われた。私の一部もそのときともに、虚無の深淵のどこか彼方に永久に葬られた。もし神の思し召しでこの身が赦されたとしても、彼女はもうどこにもいないのだ。天国にも、地獄にさえも。私に残されたのはただ彼女の記憶と名前だけだ。この世ではもう誰も覚えている者のいない、私の……。

 そんなものを後生大事に抱えていてもなんの足しにもならないというのに、ふるい記憶だけが、二度とひらかれることのない本のページのように積み重なっていく。らないものばかりが増大していく、愛する人のいない世界に一体どんな意味があろう……。

 柄にもないことを思い出させるロンドンに呪いあれだ、ローマより若いくせに霧と死に沈んでいるような街に。

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