2-4
会場の喧騒が戻ってきて、私は見るともなく室内を眺めまわした。
ヴァンパイアはけして騒がしくない。その場を支配するのはいわば不穏な静けさだ。
グラスを手にしているのに口をつけない、あるいは口をつけるが飲んではいない者がそれで、落ちつかなげに飲み物をすすっている者が、生ける
久しぶりの熱気にあてられたせいか、喉がかわいた。“キリストの血”を口にしたのはついひと月半前だったというのに。
私はあの男の従者を探した。
視線に気づくと彼はやってきて、主人に対するようにうやうやしく用向きを尋ねた。
「
「いや、今はいい。少し話がしたいだけだ」
そこまで気を回さなくていい。これだからあの男は嫌いなのだ。
ほどなくして彼はまた
……ふうん、これはなるほど
完璧な卵形の輪郭を縁どるダークブロンドの巻毛は肩までこぼれ落ちている。大きな鳶色の瞳はどことなく甘ったるく、気まぐれな猫を思わせる。
あの男が特別に仕立てさせたのか知らないが、野暮ったい吊るしのスーツなどではなく、ほっそりした腰を強調する
私は“サライ”を誘ってバルコニーに出た。十月の夜気は冷たいが我々にはなにほどのものでもないし、彼が寒さか恐怖にふるえ出したら中に戻るつもりでいた。
「あなたが僕を
「いや……」
これはまたずいぶんと
「ということは、君が参加しているのは有閑階級の嗜血症患者とその家族会のようなものではないと理解しているんだな?」
「
――
思わず天を仰いで十字を切りそうになる。
「神学生だというのは本当か?」
「本当です」彼は微笑んだ。
「どうしてここに?」
「ローマのカフェで誘われたんです――あの人に」会場のどこかにいるであろうあの男を手振りで指す。「バチカンに救いはありませんよ、あそこは現代のソドムです」
そうだな、昔も今も。
「好色な枢機卿に尻をつねられでもしたのか?」
「ご想像におまかせしますが、まあそんなところです」
この容姿ならそれもうなずけるところだが、
「それにしても、神の代理人に仕えるより、地獄の君主のしもべになることを選ぶとは、一体どういう心境の変化なんだ」
「だって僕らは誰もが永遠の命を望んでいるでしょう」
このいかにも無邪気な態度に我にもなく怒りがわいてきた。
「あの男が君になにを約束したのかは知らんが――いや、言われなくてもおおかた想像はつく。だが
「ええ、あの人は
本当にあの
「いいか、それならよく聞け」私はこのなにも知らずにすべてを捧げようとしている処女娘のような(あくまで外見は、であって、ほんとうにそうであるかは未知数だ)若者に向きなおった。
「こちらの世界は墓地のようなものだ。まともな精神の持ち主なら入りたいとは思わないし、一度足を踏み入れたらそれまでだ。どんなに短い人生にだって嫌気がさすことはある。そうでなければ自殺する人間がいるわけがない。それすら許されない。良くて、なにもすることがない雨の日曜の午後みたいな生活が延々続くんだ」
若者の顔にうかんでいるのは好奇心だけだ。若いというのはそういうことでもあるが――人類不変の愚かさだ、年長者の忠告を聞かない。
それでも、
「吸血鬼になるということは自尊心の問題だ。この先一生――それこそ永遠と一日――誰かに従属せずには存在し続けることはできない。あの男のことを言っているのではない。生きている他者だ。そのときに、額に汗してパンを得る
そこまで言ってぴたりと口を閉じる。
これ以上言うと、うしろめたさから娼婦に説教する客と同等に成り下がるからだ。それでもせいぜい、そちらは事後、こちらは一応警告はしておいたぞ、という程度の違いだろうが。
若者は身じろぎもせずに立っている。検討しているのかもしれない。
だがいずれにしてももう遅い。
広間では、気が早くてお行儀の悪い連中が食事を始めた気配がうかがえる。それもあの男の趣向なのかもしれなかったが。ふだんなら、英国紳士(あの男が生きていた時代にはそんなものは存在しなかったけれども)がそんな乱痴気騒ぎを許すはずがない。しかしなにしろ今夜はサウィンの祭りなのだから。
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