2-4

 会場の喧騒が戻ってきて、私は見るともなく室内を眺めまわした。

 ヴァンパイアはけして騒がしくない。その場を支配するのはいわば不穏な静けさだ。

 グラスを手にしているのに口をつけない、あるいは口をつけるが飲んではいない者がそれで、落ちつかなげに飲み物をすすっている者が、生けるさかずきだ。

 久しぶりの熱気にあてられたせいか、。“キリストの血”を口にしたのはついひと月半前だったというのに。

 私はあの男の従者を探した。

 視線に気づくと彼はやってきて、主人に対するようにうやうやしく用向きを尋ねた。

上階うえにお部屋のご用意もございますが……」

「いや、今はいい。少し話がしたいだけだ」

 そこまで気を回さなくていい。これだからあの男は嫌いなのだ。

 ほどなくして彼はまた目的めあての人物を連れて戻ってきた。

 ……ふうん、これはなるほど小悪魔サライだ。

 完璧な卵形の輪郭を縁どるダークブロンドの巻毛は肩までこぼれ落ちている。大きな鳶色の瞳はどことなく甘ったるく、気まぐれな猫を思わせる。のみのあとをうかがわせないギリシャ彫刻のような鼻梁と、その下に少し突き出した――意識的になのかそうでないのか、口づけを求めていると思われないでもない、薄桃色の弓型の唇。

 あの男が特別に仕立てさせたのか知らないが、野暮ったい吊るしのスーツなどではなく、ほっそりした腰を強調するイタリアふうのイタリアンスタイルの黒のスリーピース姿は、それが神学校の制服ででもあるのかと思うほど板についている。わずかにななめに切れ込んだポケットからは真紅のシルクのチーフがのぞく。

 私は“サライ”を誘ってバルコニーに出た。十月の夜気は冷たいが我々にはなにほどのものでもないし、彼が寒さか恐怖にふるえ出したら中に戻るつもりでいた。

 現代におけるラテン語英語で話しかけると理解はしたようだったが、返事が強いイタリア訛りだったので、イタリア語に切り替えた。

「あなたが僕を不死イモルターレにしてくださるのですか?」

「いや……」

 これはまたずいぶんと直截ちょくせつ的だな。

「ということは、君が参加しているのは有閑階級の嗜血症患者とその家族会のようなものではないと理解しているんだな?」

ええ

 ――まったくなんということだミオ・ディオ

 思わず天を仰いで十字を切りそうになる。

「神学生だというのは本当か?」

「本当です」彼は微笑んだ。

「どうしてここに?」

「ローマのカフェで誘われたんです――あの人に」会場のどこかにいるであろうあの男を手振りで指す。「バチカンに救いはありませんよ、あそこは現代のソドムです」

 そうだな、昔も今も。

「好色な枢機卿に尻をつねられでもしたのか?」

「ご想像におまかせしますが、まあそんなところです」

 この容姿ならそれもうなずけるところだが、

「それにしても、神の代理人に仕えるより、地獄の君主のになることを選ぶとは、一体どういう心境の変化なんだ」

「だって僕らは誰もが永遠の命を望んでいるでしょう」

 このいかにも無邪気な態度に我にもなく怒りがわいてきた。

「あの男が君になにを約束したのかは知らんが――いや、言われなくてもおおかた想像はつく。だが不死者ヴァンピーロの輪に加わるというのを、選良の社交クラブの一員になるようなものだくらいに考えているのなら大まちがいだぞ」

「ええ、あの人はあなたシニョール・ノーランのことを、冷笑家チニコに見えるがそのじつ親切ジェンティーレだから、お前にこの世界のことをいろいろ教えてくれるだろう、決めるのはそれからでも遅くない、と言っていました」

 本当にあの私生児野郎バスタルド――おっと、いつのまにか人狼の下品さに影響されていたらしい――は!

「いいか、それならよく聞け」私はこのなにも知らずにすべてを捧げようとしている処女娘のような(あくまで外見は、であって、ほんとうにそうであるかは未知数だ)若者に向きなおった。

「こちらの世界は墓地のようなものだ。まともな精神の持ち主なら入りたいとは思わないし、一度足を踏み入れたらそれまでだ。どんなに短い人生にだって嫌気がさすことはある。そうでなければ自殺する人間がいるわけがない。それすら許されない。良くて、なにもすることがない雨の日曜の午後みたいな生活が延々続くんだ」

 若者の顔にうかんでいるのは好奇心だけだ。若いというのはそういうことでもあるが――人類不変の愚かさだ、年長者の忠告を聞かない。

 それでも、乗りかかった舟だ舞踏会に出たら踊らねばならぬ

「吸血鬼になるということは自尊心の問題だ。この先一生――それこそ永遠と一日――誰かに従属せずには存在し続けることはできない。あの男のことを言っているのではない。生きている他者だ。そのときに、額に汗してパンを得る生活くらしをなつかしんでも遅い。失われたものは二度と戻らない。神と和解するなら今のうちだ」

 そこまで言ってぴたりと口を閉じる。

 これ以上言うと、うしろめたさから娼婦に説教する客と同等に成り下がるからだ。それでもせいぜい、そちらは、こちらは一応警告はしておいたぞ、という程度の違いだろうが。

 若者は身じろぎもせずに立っている。検討しているのかもしれない。

 だがいずれにしてももう遅い。

 広間では、気が早くてお行儀の悪い連中がを始めた気配がうかがえる。それもあの男の趣向なのかもしれなかったが。ふだんなら、英国紳士(あの男が生きていた時代にはそんなものは存在しなかったけれども)がそんな乱痴気騒ぎを許すはずがない。しかしなにしろ今夜はサウィンの祭りなのだから。

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