2-5

「……と、いうわけだよ」

 私は一瞬のうちに若者の背後に回って言った。名前を知らないので呼びかけるわけにもいかない。

 相手は驚いているのか声も出ない。

 よく切れるナイフでも持ってきてもらおうかと思ったが、やめた。魅了などしてやるものか、お優しいのが好きならあの男のもとへでも行くがいい。

 今この愚かな青年が動けないのは私がそう仕向けたからでもあるが(アイギスイージスの盾も持たずにヴァンパイアと真っ向から向き合うのはそれこそ相手に白紙委任状カルト・ブランシュを渡すようなものだ)、声帯まで支配しているわけではないからお祈りくらいはできるだろう。その気があるならためしてみるがいい。

 少し細めの肩に手を回してタイを解く。ぴんと糊のきいたカラーは手が切れそうだ。こういうとき、イタリアン・スタイルは英国ふうブリティッシュより胸元が詰まっていなくてありがたい。

 安物の香水に混じってかすかに没薬の香りが鼻腔をくすぐった――第二の体臭のようなものだ。

「一度や二度血を吸われたからといって死にはしない」耳元でささやく。その先はどうか知らんが。

 健康的な小麦色のなめらかな肌を、外気と等温の手指がかすめると、若者の体がびくりと反応した。

「……あ、あの、シニョール……」声がうわずっている。

 寒いのか? だがそんなことはいずれ気にならなくなる――どちらにせよ、永遠に。

 天使のそれのような巻毛を払い、むきだしになった首筋に尖った犬歯を食い込ませたとき、悲鳴すらあがらなかった。

 膝が震え、こちらが支えていてやらなければ、立っているのもままならないのがわかる。断末魔の痙攣に近い。失禁しなかったのを褒めてやるべきなのか?

 いっそ枢機卿に尻を捧げていたほうがましだったかもしれないな、子供のものならいざ知らず、なにしろ編針くらいの太さはあるのだから。

 だがこちらのはまだ済んではいないのだ。

 しばらくぶりのあたたかい生命の息吹にはしたなくも喉が鳴る。かの麗人のそれよりは格段に味は落ちるが――はて、私の罪禍の中に「暴食」の罪だけは含まれていなかったはずだが、空腹は最良のソースとはよく言ったものだ――いや今は考えずにおこう。一年でただ一日だけ、無礼講が許される日なのだ、ここで多少美味を愉しんだからといって罰は当たるまい。

 この、美しいが少々軽率なところのある若者がどうなろうと私の知ったことか。これだけの容貌と神学生という素養の持ち主なら、つかのまのなぐさみにしたいと思う者はほかにもいるだろう。たしかに、人生における初夏はたちまちのうちに過ぎ去るが……時よ止まれ、お前は美しい、というわけか。あるいは気前のいいところを見せるために、惜しみなく従者にでも投げ与えてやるのかもしれないが。

 いつ来たのか、窓辺にあの男がたたずんでいるのが気配でわかった。表情まではうかがえない。逆光になっているせいもあるがこんなところでやつの顔を拝みたいとは思わないし、それにすぐに歩み去ったからだ。しかし、そこはかとなくわらいを含んだ空気を感じる。

 乾いた靴音が遠ざかる。

 こうなることをわかっていて、神学生がいるだなどと言ったのか?

 畜生メルダ、あの男は教会に呪われて死んだのだ――それもイングランドの教会に! なにをしてきたのかはして知るべしだろう。

 私とてべつに品行方正というわけではないのはじゅうぶん承知しているが、こうも映りのいい鏡をみせられると――

 ……ああ、そうとも、これは同族嫌悪だ。

 私はあの男ほど厚顔ではない――いや、万にひとつの可能性ではあるが、あの男ですら、ひょっとしたら内面生活というものをもっているのかもしれないが。



 気に入ったものがあれば持ち帰ってもらって構わないよ。

 狂乱の一夜が明けると(比喩的な意味で)、あの男は言った。

「だがあの神学生はどうかな。しばらくは使にならんかもしれんよ。読師としても、それ以外にもね」

 あかい壁紙と同系色のペルシャ絨毯で整えられた客間の暖炉には火が入っておらず、セントラルヒーティングなどという無粋なものには目もくれない屋敷の主人の声は外気温より低かった。

「お心遣い痛み入る」私は言った。「あの若者のことはそちらの好きなようにしてもらって全くさしつかえないのだが、ひとつ尋ねてもいいだろうか?」

「なんなりと、息子よ」鷹揚ぶって両腕を広げてみせる。「我々はともに深夜十二時の鐘を聞いた仲ではないか。今さらなにを隠し立てすることがあるというんだね」

 またムカつく発言をしやがって――私はこの男のすかしたツラを張り飛ばしてやりたくなった。誰かを思い起こさせるのも一因だろうが。

「あなたが連れている者たちのことなのだが……」

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