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 いみじくもあの女リベカが言い当てたとおり、八か月前私は数十年ぶりに魔都ロンドンにいた。

 用があろうとなかろうと足を踏み入れたくはない街だし、そこの住人たちは生きていようが死んでいようが骨を粉にされて焼かれるにふさわしい連中だ。それでも今回の指定がロンドンだったのだからしかたがない――どうしてロンドンデリーデリーじゃないんだ。

 悪名高きウエスト・エンドにある、悪趣味の極致のようなネオ・ゴシック様式スタイルの邸宅は、あの男の数ある別宅のひとつだった。自身が教会に拒絶されているからといって、その苦悩を他人にも思い起こさせようとするのはまちがっている――あるいはその逆で、招かれた罪深い輩の、隠しきれない嫌悪感を苦々しげにうかべた表情を見物するのが主のひそやかな愉しみなのかもしれなかったが。

「ようこそお越しくださいました」

 顔なじみの執事は余計なことは一切言わない男だった。この前私に会ったのがいつだったとか、郵便物が転送されてくるのはさぞご不便でしょうとか、くだくだしいことはなにも。口にしたのは、皆様はすでにお集まりでいらっしゃいます、ということだけだった。

 すでに銀髪になり少しばかり肩も丸まった様容さまかたちが若くなることは二度とないが、接するたびに得難い男だと思う。

 こんな男を何時いつどこで手に入れたと言っていたか。使用人を見れば主人がわかるというが――あの男の場合はあるじが使用人に似てくれればよいと願うばかりだ。その願いはこの数百年聞き届けられた様子がないが。

 古いものをなつかしむのは我々の無数にある悪癖の中でも最たるものだが、古くなければならないものというのももちろんあるのだ。古かろうと新しかろうと目を向けてはいけないものも。

 館の外観は十八世紀だが内部は折衷様式がとられていた。年代ものの真鍮製の吊り燭台シャンデリアの上に輝いているのは、蠟燭の炎でも白熱電球のだいだい色のあかりでもなくLEDライトだ。廊下や踊り場に置かれた精緻な彫刻がみごとな木製のハイバックチェアもお飾りのひとつにすぎず、二階の大サロンの壁ぎわには黒革張りのチェスターフィールドが並べられていた。磨き込まれたオーク材のフローリングは銀色がかっている。

 姿の映りそうなフロアの上には夜会服の招待客が五十名ほど集まっていた。そのあいだを給仕とおぼしき黒服の者たちが滑るように動き回っている。

 グラスをすすめられたが断った。ここでは己の流儀をとおしても誰にもなにも言われない。

 面識のある顔もいくつかあった。目が合っても互いに微笑み交わすだけで近寄ろうとはしない。実際、また会えて嬉しいとか、知った顔に出くわして安心するとかいう種類たぐいの連中ではない。

 慣習しきたりどおりに女を連れている男もいたし、女を連れている女も、男を連れている男もいた。単身なのは私ひとりだ。だがべつに誰も気にしない。彼らは自分のことにしか興味がないのだ。その証拠に、これだけ大勢がひとつところに集まっており、華やかな社交場の様相を呈している――ちゃんとしゃべっている者もいる――というのに、そこに漂っているのは、あまり親しくもなかった人間の葬儀に参加せざるを得なかった参列者たちがかもし出す、空虚うつろでうわついた雰囲気だった。

 それでも今夜はそこはかとなくも感じられた。スラヴ系の優雅な貴婦人の黒髪に留められているのは、彼女の気性を象徴するかのような、イエローダイヤモンドの斑点をまとい、虎目石タイガーアイをもつ豹の髪飾りだ。お供の青年は彼女の年齢の三分の二といったところか。麗しいマダムたちの会話についていこうと必死の様子だ。まさかエスコートサービスを雇ったわけでもあるまいに。

 ほほえましいといえなくもないその光景を眺めていると、

「――ドミニク!」

 会場の反対側から名前を呼ばれた。そちらへ顔を向けると、見知った相手ホストが笑みをうかべて歩み寄ってくるところだった。

 (あくまでも見かけ上は)五十がらみで、闇を吸い寄せたかのような漆黒のディナー・ジャケットを一分の隙もなく着こなし、イギリスふうのアクセントもその身にまとっているものと同様非常に鼻につくが、あけっぴろげな態度はアメリカ人を真似るつもりにでもなったのだろうか?

 私は彼が近づいてくるのを待ち、親しい間柄の者同士がするように、握手とかるい抱擁を交わした。相手の流儀に合わせてやったからといって大した損にはなるまい。

「数年来だな。よもや君とここでお目にかかる日を迎えようとはねえ。長生きはするものだ。ところでいつ戻った、それともまだ新大陸アメリカに?」

「ああ」

 月か火星に植民地コロニーをつくるまで、この男は北米大陸を未開の処女地扱いし続けるに違いない。カナダなどまだ地図に描き加えられてさえいないだろう。

「一体いつまでそこにいるつもりなのだ? 君の英語はだんだんファニーになっている」

 あいにくと私の母語は英語イングリッシュではない。

 種々の理由から私はこの男が大嫌いなのだが、相手のほうが少しばかり年上なので、表向き尊重しているふりをしなければならない。由緒正しい吸血鬼の家系、のようなものがあるとすれば、我が一族が正統なのだろうが。不死者の世界とて地上のしがらみとまったく無縁というわけではないのだ。

「まあ良い。今宵は(こういう言いかたをされるとなぜだか無性に腹が立つ)君の久方ぶりの(これも!)帰還祝いも兼ねることになりそうだ。いろいろとおいた甲斐があったというものだ」

 男はななめうしろに影のようにひかえていた従者フットマンんだ。お仕着せの制服スーツを着た、二十五才くらいの、黒髪のすらりとした青年だった。何人かいる従僕のひとりで、もちろん見かけどおりの年齢ではない。黒ずくめなのは主人の趣味で――やつは自分の、霜を戴く、白頭鷲のようなプラチナブロンドがひきたつ格好をさせているのだ。

 青年のかげから、さらに小さな人影が現れた。従者がその背をかるく押して主人のほうへ押しやると、男はまるで自分の孫といってもいいくらいの、揃いのお仕着せ姿の少年に微笑みかけ(反吐が出そうだ)、そっとその細い肩に蝋のように白く筋張った手を置いた。

 この子はの年齢だ。肌が蒼ざめているのは緊張しているせいもあろうが、栄養が足りていない可能性が高い。もともと愛らしい顔立ちをしているから、頬が薔薇色ならばラファエロの描く天使にも劣らないだろうに。

 かなり年上の主を見上げる目がおどおどしているのは、こんな大人ばかりの空間に連れてこられたのがはじめてで、ろくにもされていないからだろう――するもないからだ。

「なにかはあるかね?」

 男がこちらに向きなおって聞いた。

 私は少年の大きな黒い瞳に映る恐怖の色を無視した。

「……アイルランド人の美しい聖職者」

 相手は声を出して笑った。

「まったく君は好みのうるさい男だ。そのとしまでひとりなのは、あながち相手だけの問題とも言えないだろう。だが残念ながらお望みのものの用意はない。イタリア人の神学生では? サライのような若者だよ」

 私は礼を言い、になったらお願いするからと告げてその場を離れた。

 枢機卿の裳裾の色をしたカーテンに隠れたガラス戸を開けてバルコニーに出る。

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