5-6
――主はわが牧者なり、われ乏しきことあらじ、
主はわれをみどりの野に伏させ、憩いの
たとえわれ死の
眠いせいで目がかすんでよく見えない。ただあたたかな光が窓から差し込んでいるのはわかる。
うだるように暑い夏の午後。アスファルト舗装と煉瓦造りの通りからは人が消えて、しんとして、世界に自分ひとりだけになった気がする。気
金色の太陽が世界のすべてを照らして、かすかな風にそよぐ木々の葉一枚一枚のふちに
午前中に
この時間が永遠に続けばいいのにと思う。夏が去らなければいいのにと。すべてが止まったようなこの瞬間が。毎年季節はくりかえすのに、二度とは巡ってこない一瞬が。自分はたしかにそこにいるはずなのに、透明な存在になって、外から世界を眺めているような気になる。
……ノーランさん、私をこの世にとどめているのは、ほかの誰でも
それがあるから思いとどまれた。あなたにはとても信じてもらえないかもしれないが。
あのときディーンの
誰かが静かに部屋に入ってきて、ベッドの足元に腰をおろす。父だろうか、それとも母……?
「たとえ死の陰の谷を歩くことがあっても、私は災いを恐れません」
……ディーン?
そちらに顔を向けるのさえおっくうだ。
眠りに落ちていきそうな中で、ベッドがきしんで、視界に影が落ちる。
「なぜならこの谷の中で……俺が一番凶暴な悪党だからさ」
いきなりシャツを引きむしられて左の肩口をきつく噛まれ、次いでそこを舐めあげられる。見えないがおそらく出血している。ひりひり痛むが……もう慣れた。
「あんたはどこもかしこも甘いんだな」
耳元に苦いアルコールと血のにおいのする息がかかる。
……放っておいてほしい。なにも考えずに眠らせておいてもらいたい。
「おい起きろよ。反応がないとつまんねえだろ、死体を抱いてるんじゃねえんだから」
そうしてあちこちを尖った爪でひどくつねられる。
反応しないようにしているんじゃなくて……ただもうなにもかもめんどうくさいだけなんだが。
「ああいいよ、そっちがそういう態度なら、その気になるような話をしてやろうか?
……子供?
「……誰、の」
ひどい声だった。蛙どころか、喉にやすりでもかけられたみたいな。ここ数日……連日、の……唾棄すべき行為のせいでまともな声が出ない。
「誰のって、わかりきったこと聞くんじゃねえよ。俺のに決まってるだろ。ご親切にも誰がてめえのタネじゃねえガキのめんどうなんかみると思ってるんだよ」
バッカじゃねえの、と吐き捨てるように言う。
「……どうして。ディーンが知ったら……きっと喜ぶだろうに……」
「まあな。あいつが子供好きなのは知ってる。だからあいつを群れのメンバーにしたいんだよ」
「そういう……ことなら、彼は
「違うよ。やっぱあんたなんにもわかっちゃいねえんだな、俺らのことも――あいつのことも」
「――ッ!」今度はうなじのあたりの皮膚の薄い
「俺の群れだよ。俺は今の
彼はバドワイザーの瓶をあおった。
「あんたも飲めよ」目の前に茶色の瓶が突き出される。
黙っていると、
「また口移しで飲ませてほしいのか?」
そんなことになったら今度こそこいつの舌を噛み切ってやるんだがと思いながら、ニヤニヤ笑いはできる限り無視して、のろのろと体を起こす。
炭酸が傷んだ喉にしみる。
半分ほど飲むのを、彼は面白そうに見つめていた。
「少しはマシになったか?」
「なにが……」
それ以上は言葉にならなかった。男の手にある物が目に飛び込んできて――
「……嫌だ」思わず踵と尻であとずさる。取り落とした瓶からこぼれたビールがマットレスに嫌な染みをつくる。
「そんな顔すんなよ。コレ使ったほうがあんたもイイ思いができるだろ?」
「どうして――ただ私の血がほしいだけならなにもこんなことをしなくても……それにもうじゅうぶん……」
「ああ、そうだな」
ベルトをはずす音がやけに大きく聞こえる。目も耳もふさぎたい。どうしてこの男はわざわざ昼間にばかりやってくるんだ。こちらの醜態を見せつけて
「なんでって――そうするのが楽しいからだよ、なんだってそうじゃねえ?」
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