5-3

 主よ、わが魂はあなたを仰ぎ望みます。

 わが神よ、私はあなたに信頼します、

 どうか私を辱しめず、私の敵を勝ち誇らせないでください。

 あなたのまことをもって私を導き、私を教えてください。

 主よ、あなたのあわれみと、いつくしみを思い出してください。

 私の若き時の罪ととがとを思い出さないでください。

 主よ、あなたのいつくしみにしたがって私を思い出してください。

 主よ、御名のために私の罪をおゆるしください。私の罪は大きいのです。

 私の苦しみ悩みをかえりみ、私のすべての罪をおゆるしください。

 私の魂を守り、私をお助けください。

 私を辱しめないでください。

 私はあなたに寄り頼みます、

 どうか、誠実と潔白とが私を守ってくれるように。


 祈りの途中で、足音の前触れもなしにドアが開いた。

「よう、いい子にしてたか?」

 彼はまた(おそらく食べ物の入った)紙袋を抱えていた。

 初日以外は肉体的な危害を加えられてはいないし、足枷と鎖を除いては手錠もされていない。とはいえ、ほぼ一日おきにやっては来るものの……ほとんど一日一食か二食という状態なので、時ならぬ四旬節レントのようだ。

 空腹といえば……ディーンはちゃんと食事をとっているのだろうか。私がいないからといってジャンクフードばかり食べていなければいいのだが……。

 いや、こんな状況で彼のことを心配するのもおかしな話だ。

「……祈りのためにせめてロザリオを返してほしいのだけど。上着の中に入っていただろう……?」

 彼はそれには答えずに、

「神父さん、あんたもやっぱり男だな。髭が伸びてる。みっともないから剃ってやるよ、こっちに来な」

「……」

 洗面室のシャワーブースにがたつくスツールをひっぱってくると、彼はそこに座るように言った。手際よくシェービングフォームを塗りつけて、鼻歌まじりに片刃の剃刀ストレート・レーザーを当てていく。他人にこんなことをされるのは……子供のころに父親のお供で理髪店に連れていかれて以来だ。あのときは周りの大人が“大人扱い”するのも含めて、ただくすぐったかっただけだが……。行動が意味不明で反応に迷う。

「べつにこれであんたの喉を搔き切ろうっていうんじゃねえから安心しなよ」うしろでくぐもった笑い声を立てる。「そんなもったいないことするかよ」

 突然、シャツの襟が荒っぽくひっぱられた。

「なんだこりゃ?」

 左の首筋をのぞき込む。

「この、生まれつきか?」

「……」

 答えないでいると彼は一種凶悪な感じに目を細め、

「ひょっとして、吸血鬼とも“お知り合い”なのかよ? ディーンは知ってんのか? 知ってて許してるんなら、あいつはモノホンのまぬけだぜ」

「……彼は関係ない」

「ああ、ヴァンパイアとはしないだろうよ、いくらあいつが阿呆でも」

「けど、おかしいなあ――」ディーンがよくやるように、空中でにおいをかぐしぐさをする。「あんたからは美味うまそうなにおいがする。もし不浄の死人とカンケイしてたら、絶対、吐きそうなそいつのにおいがするはずなのに」

 いっそのことそんなにおいがしていればいいのにと思う。

「……ま、いいや。ためしてみればわかるだろ」

 ――ためすだって?

「――っ!」

 突然シャワーの水栓をひねられ、頭上から大量の水が降ってきた。息苦しさに椅子スツールを蹴立てて立ち上がると、シャツの襟首をつかまれてタイルの壁に乱暴に押しつけられた。凶器のような指が頸動脈に食い込む。両手の爪を立ててもはずれない。剃刀を目で探したが――彼はそれをへやのすみへ蹴り飛ばした。

 濡れたシャツがまくりあげられ、下着の中に手が入ってきて腰骨をまさぐられ鳥肌が立つ。

(この……下衆野郎!)

 罵倒したいが首根っこを押さえられているのと強い水流のせいで満足に声が出せない。体をよじると今度は、こちらを拘束している左腕に体重をかけられた。ますます首が締まる。

 ふだん口に出さない部位に異物を感じてさらに息が詰まる。不快な痛みと気色悪さに冷や汗が噴き出す。

 耐えられずに相手の向こう脛を踵で思いきり蹴りつける。それで拘束が解けたと思ったのは一瞬で、次には体をひっくりかえされ両手首をまとめてひねりあげられていた。目の前には琥珀色に燃える双眸。

「懲りねえ神父だな」自身もびしょ濡れになりながら、舌で薄い唇を舐める。

「なんだよ、なのか? んなわけねえだろう、そんなツラしてんのに。じゃみんなヤってるって聞いたぜ」

 低俗な質問に答える代わりににらみかえすと、相手は狼のように歯をむいて笑った。

「――ああ、そういうことかよ。ベッドのほうがいいっていうんなら、お望みどおりにしてやるよ、お姫様」


 抵抗してもほとんど意味をなさなかった。

 髪をつかんでひきずられ、私が床を蹴って暴れると、面倒くさくなったのか荷物のように抱えあげられてマットレスの上に投げ出された。体勢を立てなおす暇もなく、尻と腿のつけ根に重量物が乗ってくる。

「どうせかないっこねえのに、なんでそんなにじたばたするんだ? ――もしかして、ひどくされるのが好みとか?」

「なっ……」

 布地の裂ける音がして、濡れた肌がひやりとする。相手がなにをしようとしているのかは死刑宣告よりも明らかだった。

  ――冗談じゃない! 

 水を浴びたせいではない寒気が背筋を這いあがる。上半身でもがくが肘が滑るだけで抜け出せない。

「離せ!」

 耳元に酒精アルコールを含んだ息がかかる。

「あいつのことは可愛がってんのに、俺はダメだなんてことはないだろう。俺とあいつは似た者同士なんだからさ」

 一体どこが似ているというんだ、かろうじて兄弟だとわかるのは容姿だけだ!

「そんなわけがあるか!」

 叫んだところでふっと体の上の重みが消えた。

 急いで這い出してベッドのすみに逃れる。誘拐犯はベッドの真ん中にあぐらをかいて、面白そうにニヤニヤしながらこちらを見つめていた。

「あんたにとってあいつはなんなんだ?」

「……彼は神をもたなくても人は善良でいられるというあかしだ」

 首を絞められたせいで声がかすれるが、少なくとも話をしているあいだは乱暴狼藉はされないだろう。

 残されたシャツの裾を脚のあいだに挟んで両膝を立てる。そっちはどうか知らないが、こっちにはちゃんと廉恥心というものがあるんだ。

「そういう意味で言ったんじゃない」嘲笑が響く。

「あいつと寝たのかって聞いたんだよ」

「――そんなことするはずがないだろう!」

「なんでそんなにムキになるんだ? べつにあいつと寝てたって、俺はなんとも思わないぜ。こんだけ美味そうな匂いがするのに、あいつときたら咥えてもいねえのかよ、マジで? 自分の指でも咥えてただ見てたってことか? 好みじゃないっていうんならわかるけど。あいつはあんたをずいぶん気に入ってたみたいだからな」

 目の前の相手の邪悪さに胸が悪くなってきた。

「……どうしてそんなことを言うんだ。彼は君の弟だろう。ディーンは家族のことをあんなに……」

「ああ、そうだよ。あいつは可愛い可愛い弟だよ。みんなのおもちゃさ。どんなにひどいことをしたって、あいつは絶対に俺たちを捨てたりはしない。家族だからな。たぶん父親に似たんだな。甘ったれのできそこないさ」

「……ディーンはできそこないじゃない」

 私に邪視の力があったら殺せるのではないかという思いで相手をにらみつけたが、彼は意に介さなかった。

「そうさ、俺がほんとにそう思っているとでも? あいつは自分が口で言うほど馬鹿じゃない。力だって弱くない。ただあの甘ちゃん気質が邪魔してるだけなんだ。ほかのやつらは気づいていないだろうけどね。あいつは兄弟の中で一番俺になついてる――当然だな、俺がそう仕向けたんだから。そんなあいつがお香臭い坊主なんかにのこのこついていったっていうから、どんなやつかと思ってたら――驚いたぜ。ヤってないなんて、ウソだろ?」

「黙れ!」

 ああ、こいつが本当に地獄から来たのだったら、まだこちらにも勝機チャンスはあるのに!

「俺があんたを引き裂いて喰えと言ったら、あいつはやるよ。泣きながらな。それを想像すると昂奮してついイッちまいそうになる――」

 彼がしゃべるたびに、狼というより蛇のような舌がのぞく。

「あんたもあいつをうまく手なずけたみたいだが、一族クランの血にはかなわないぜ。そのときにはあいつにも腕の一本は残しておいてやるのがやさしさだと俺は思ってる」

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