8-5

 ラッセル氏に続いて小部屋から居間に足を踏み入れたところ、ドアのすぐ横に立っていたらしい次兄に胸倉をつかまれた。襟元が詰まってかかとが持ち上がる。

「――兄貴!」

「ギル、やめろ」

 長兄と末弟がほぼ同時に叫ぶ。

「なんでだよ、アル、あんたがこいつのケツを蹴り飛ばさねえでこっちによこしたってことは、俺の好きにしていいってことだろ」

「そんなことは言っていない。いいから放せ。――双子はどこへ行った?」

「知るか。また二階うえで遊んでんだろ」

 彼が唸るたびにバーベキューソースのにおいのする息がかかる。

「まったくあいつらときたら片時もじっとしていられないのか。――呼んでこい」

「なんで俺が」ギルバート・ラッセル氏は私をぶら下げたまま反論した。「ディーンに行かせりゃいいだろ」

 二度命令する必要はなかった。リーダーが例の冷たいまなざしをフォロワーに向けると、No.2はいまいましそうに手を離した。

 そして床が抜けそうな勢いで足を踏み鳴らし、部屋を出て、階段を上っていった。踊り場の吹き抜けの途中からでも、彼が「アルの兄貴がお呼びだ、さっさと降りてこねえとお前らのケツの毛むしって全裸マッパで二階の窓から吊るすぞゴラァ!」

 と怒鳴るのが聞こえ、

「「できるもんならやってみな、この包茎野郎!」」

 という(いささか下品で)楽しそうな二重奏が降ってきた。

 私が思わずディーンと顔を見合わせると、彼はかすかに肩をすくめた。

 それからまた怒号とどたばた音がして、双子のきょうだいが、もつれあうキツネの仔のようにリビングに飛び込んできた。反動でドアが閉まる。

「あれ、あんたまだいたの」私を見てからかうように言う。「とっくにギルの兄貴に食われたのかと思ったのに」

「それとも俺らがもらってもいいの?」ケチャップがついていると指摘された人のように、舌を出して唇を舐める。その様子があの男を思い出させて――いや、それよりもずっと淫靡な感じで背筋が寒くなる。

「俺らのハダカ吊るすより百倍面白いと思うぜ、なあ?」

「なんならお前も混ざる、ディーン?」

「バカ、それじゃ数がだろ」

 ディーンがびくっとして、爛々と輝くふたつの視線をさえぎるように私の前に立つ。

「いいやクソガキども、そのお香臭えクソ野郎は俺の獲物だ」またドアが蹴破られる勢いで開いて、彼が戻ってきた。頭から湯気が立っているのが見えるようだ。

「どけ、ディーン」

「……」

 ディーンは無言でかぶりをふる。

「テメエ、まだまともな狼にもなれねえガキ以下のくせして生意気――」

「ギルバート、ディーンはもう群れの一員オメガじゃない」

「なんだって?!」

 その場にいる全員の目がαアルファに注がれた。はじめに玄関で出くわしたきょうだい――ロジャー――もソファから腰を浮かせる。

「ディーンはキースが父さんを殺したことを伝えに来たんだ」

「――あいつが?!」「「キースの兄貴が?」」

「……証拠はあんのかよ」

「ある。俺がキースの声をこの耳で聞いた」彼は弟たちの前ではっきり宣言した。「最近のあいつの行動はおかしかった。それに気づいたディーンがあいつを呼び出してしゃべらせた」

 たしかにお前のケータイ料金とか払ってたのはあいつだけどよ、と次兄は言った。

「そしてディーンが父さんのかたきを討った」

「お前が?!」今度は全員が声をそろえた。

「……ゼッテェ嘘だろ」ギルバートがうなり声を発した。「キースはテメエみてえなアホじゃねえし、できそこないのテメエよりゃつええ。あいつがられたりするもんか」

「どうやって殺ったんだよ」双子の両方が牙をみせて詰め寄る。

「お前がなんて信じらんねえ」

「銀の……ナイフで」

 ディーンがおずおずと右手をひらいて差し出す。そこには――てのひらから指先の一部にかけて、焼けた鉄棒をつかんだときにできるようなやけどのあとが残っていた。

 それを目にしたときのメンバーの表情といったら……むきだしの嫌悪に鼻のつけ根に深いしわが寄り、唇がめくれて太い犬歯がはっきり見えた。双子は互いの腕をぎゅっとつかんだ。

「……呪われろ、てめえもキースも」上位メンバーの髪は逆立ち、の色さえ変わっていた――ぎらぎらした琥珀色に。

「片方は父親おやじ殺しで、片方はきょうだいを銀のナイフでブッ刺すなんてよ。テメエらマジでイカれてるぜ」

「だからこいつを群れにおいておくわけにはいかない」アルフレッド・ラッセル氏が静かに言った。

「上等だ。そんならそいつらを」

「駄目だ」

「アルフレッド!」次兄は少しだけ低い位置ところにある長兄の顔を、燃えるようなまなざしでにらみつけた。

「そいつは群れだ。俺たちは親父の言ったとおり、べつの群れとこれ以上無益な争いはしない」

 巨漢の弟は歯ぎしりし、床が割れるかと思うほど足を踏み鳴らした。

本気マジかよ、アルフレッド?!」

「冗談かどうか俺の尻を嗅いでみるか?」

 侮辱の言葉かと思ってひやっとしたが、どうやらそうではないようで、年長の弟はなおもぶつくさ言いながらも剣を収めた。

「クソ、わかったよ、ナットクしたわけじゃねえけど、あんたがそう言うならな。あとでやっぱっときゃよかったと思ったらそんときはちゃんと教えてくれよな――ならとっとと出てけ、この薄汚ねえコヨーテめ」

 ディーンは一瞬なにか言いたそうにしたが、唇を引き結んでこらえ、私を目でうながした。

 きょうだいたちの敵意ある視線の中を通っていくのは、九尾の鞭で打たれるよりもつらいことだったかもしれないのに、彼は王者のように頭をもたげて表口へ向かった。

 またあの無口な青年きょうだいが玄関までついてきて、私たちが家を出た瞬間――コートの裾がまだ家の中に残るか残らないかのうち――に扉を押し込んでカギを閉めた。

「ディーン、お前はコヨーテなんかじゃない」

 半歩先を行く彼の背中に向かって私は言った。

「立派な人狼ウェアウルフだ」

「……うん」

 彼の頭がかくんと前にかしいだ。


「けどなんでアルの兄貴はニックのやつが何じんかなんて聞いたんだろう。それに、えーとなんだっけ……俺とクリスのどっちが先に声をかけたのか、なんてさ。それってなんか重要なことなの?」

 帰りのバスの中で、ディーンは重苦しい空気をまぎらわせるかのように口にした。

「さあ……。ひょっとしたら、お前の先祖がアイルランドとなにか関係があったのかもしれないね」

「もしアイルランドとがあったとしても、あいつとは無いよ」ディーンは顔をしかめた。

 それからしばらく黙って窓の外を見つめていた。

 すでに外は暗くなっていて、街灯や店のあかりが途切れるところでは、窓ガラスが鏡のように車内の様子を映し出す。座っている乗客の頭を飛び越えて、ふと、同じ方向を向いて立っている彼と私の目が合う。

「……だけどさ」彼は黒い鏡の中の私に向かって言った。「あんたが無事でよかったよ」

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