7-7

 俺たちはペントハウスへ戻った。ジープなんか目をつぶってても運転できる。

 SUVのシートは血と泥と草の汁でクリーニング業者の悪夢みたいなありさまだったが、ニックのことだ、銃が暴発したとかなんとかうまいこと言いくるめちまうんだろう――いや、それすら必要ないか。

 吸血鬼の家のバスルームにはちゃんとアメニティがあったし、減ってもいるみたいだった。あいつに、どれぐらいの間隔でフロに入ってんのか聞いてみよう。少しはマシになるかもしれないし。

 数十分前まで暗い車の中にいてしかも疲れている目には、真っ白いタイルと大理石の反射がまぶしい。おまけに血の残像でそこらじゅうドス黒い緑色のシミだらけに見える。

 バスタブは中で寝られるぐらいだったし、シャワーブースもべつについていてしかも全面透明なガラス張りだった。ジェレミーが見たら、みだらだっていって説教垂れるようなつくりだぜ。誰があいつのケツなんか気にするっていうんだ。

 左腕は心臓がそこに移植でもされたみたいに脈打つたんびにズキズキ痛み、右手ときたら……俺は猿がうらやましくなった。狼(と人間)には、あんなふうに自由に使える尻尾はついてない。

 苦労しながらなんとか指先で水栓をひねって、温度にかまわず頭から水をかぶる。しばらくすると、黒と茶色に濁った水流が透明になって、小石や葉っぱのかけらと一緒に排水溝に吸い込まれていった。

 傷にお湯がものすごくしみた。特にてのひらの。

 雲みたいにふわふわのバスタオルに顔を突っ込んで頭を拭いていたら、バスルームの外で、「乾燥機の使いかたがわからん!」とニックがキレているのが聞こえた。

「なあ、バンドエイドかなんかねえの。したって絆創膏ぐらいくれるだろ」

 ハウスキーパーが買い置きしているならキッチンの棚の中にあるだろう、というやつの声がした。他人に家事やってもらってるって、どんだけだよ。

「お前の服は救いようがないぞ。私のシャツをやるから、それを着て帰れ」

 バスルームから出ると、ニックが奥の部屋――たぶんウォークインクローゼット――から出てきて、白いシャツを放ってよこした。やつが洗濯すらまともにできないせいで、俺は泥だらけでバリバリになったジーンズをまた履くハメになった。履いたままシャワー浴びりゃよかったな。

「えーいいよ、あんたのを着るぐらいなら裸で帰る」

「お前は露出狂か? 人前でむやみに肌を見せるものじゃない。マクファーソン神父を警察に引き取りに行かせたくないだろう」

「それよりさあ、帰る前になんか食わせてくんない? このままじゃ途中で行き倒れになりそう」

 ニックはものすごく迷惑そうな顔をした。

「汚れた犬を拾って、きれいにしてやっただけではあきたらず、食い物まで要求するのか?」

「だってあんたの冷蔵庫には酒としなびた野菜しか入ってないじゃん」

「ひとの家の冷蔵庫を勝手に開けるな」

 それでもやつは文句を言いながらもピザのデリバリーを頼んでくれた。俺が礼を言おうとしたら、「マクファーソン神父のつけに決まっているだろう」ときた。

 血を失った分をとり戻そうと、俺がペパロニにサラミとソーセージと厚切りベーコンとオニオンスライスとガーリックをてんこ盛りにしたピザLサイズ五枚を食べ終わったころ、やつも着替えて出てきた。

 なんだかいつも以上に気合の入ったスーツを着ているが、顔色はいつも以上に悪いし、額から頬にかけてまだうっすら傷が残っている。目が落ちくぼんでおまけに白髪が増えていて、初めて教会ウチに来たときみたいに二十歳くらいけてみえた。

「あんたはそのままのほうがいい男だと思うぜ」

「ひどいにおいだ」リビングに充満する残り香に、自分てめえのことは棚に上げて、眉間にしわを寄せて言う。「昔カレーで同室になった男の腋の下みたいだ」

「そいつの血ィ吸ったの?」

「たとえ飢え死にするとしても願い下げだ」

 なにが気に食わなかったんだろう。俺はあぶらとタバスコとガーリックチップのかけらでいい感じに味つけされた指を舐めた。そいつの腋臭ワキガか、それともニンニクか?

「お前を送っていく馬車はないぞ、シンデレラ」

 下へ降りると、やつはアルファロメオを選択した。マジで俺の出る幕はないってことだ。

「マクファーソン神父に密告はしないだろうな?」

 俺は肩をすくめた。

 神父の血ならこんなことにはならないのにとかやつはなおもぶつぶつ言ったが、殺されたくなけりゃ黙ってろ。

「そういえば、お前の携帯電話は無事か?」

「あるよ」

 俺がモッズコートのポケットから、画面がバキバキに割れたケータイを差し出すと、やつも自分のスマホを出してなにかいじった。

「これを持っていけ」

「なに」

「あの人狼がしゃべったことの録音データだ」

「なんでそんなもん持ってんだよ」

「お前が兄弟を殺したと知ったら、神父はお前に今世紀最長の説教をするだろうからな。理由を説明するために録音しておいたほうがいいと思ったのさ」

 俺はなんて礼を言ったらいいのかわからなかった――ので、言った。

「ニック、愛してるよ」

 そしたらやつは、吐いたものを食えと言われたみたいに思いきり顔をしかめてこうのたまった。

「やめろ、気色悪い」

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