7-6

 肉と毛の焦げるいやなにおいと、血が沸騰する、変に甘ったるくて生臭いにおいが鼻を直撃する。反射的に胃から酸っぱいものが喉元に逆流してきたのを感じたが、吐いてる場合じゃない。

 やつが口を離そうとするのを、させるもんかと今度は左腕に思いきり力を込める。灰色狼が両前脚の爪を立てて地面をひっかいてもがき、土埃で俺は目の前が見えなくなった。けど、血の臭いのする息がある限り、やつを見失うなんてことはゼッタイにない。

 そのまま血でぬめる右手を深く押し込むと、キースの血走った眼が俺をとらえた。

「なんでだよ」――限界まで大きく見開かれた琥珀色の眼はそう言ってるみたいに見えた。聞きたいのはこっちのほうだ。

 どれぐらいそうやっていただろう。俺のほうは手が焼き切れようが離すつもりなんてさらさらなかった。

 キースのぎらぎらしていた眼からだんだん光が消えていき、それにつれて顎の力もゆるんだ。

 ぐったりした体の下から俺は這いずって抜け出した。首に刺したなにかから右手を離すときに、なかなか指がひらかなくて、無理やり引っぺがしたら皮までべろりと剥けた。

 キースは人間の姿に戻っていた。目は薄く閉じられていて、ひらいた口から、だらりと舌と……血が垂れている。どっちの血かわからないが。

 こんちくしょうと思う気持ちもなくはないけど……一族クランの中で、人間のときの姿かたちが一番俺に似てるから、自分が死んでるみたいで……なんかキモチ悪い。今度こそマジで吐きそうだ。

「ニック、大丈夫アー・ユー・オーケー?」

 俺は死体から視線をそらして、まだ座り込んで顔をおさえている吸血鬼に聞いた。

「よく見えん。帰りはお前が運転しろ」

 ……俺も疲れてんだけど。

「お前は?」

「こんなん、舐めときゃ治るよ」

 俺は血まみれの右手をそっと舌の先で触りながら答えた。左腕は骨までいってるから数日かかるかもしれないけど。

「あんたは? 目ん玉って再生すんの?」

「幸いにして眼球は傷ついていない。二、三人すれば事足りるだろう」

 こいつがほんとの俺の兄弟だったら、血ぐらい舐めてきれいにしてやるんだが、吸血鬼だと思うといくら金を積まれてもイヤだ。

 俺はシャツのかろうじて汚れ具合がマシな部分を歯で噛み切って即席の包帯を作り、左腕と右手の平に苦労して巻きつけた。まだアドレナリンが出てるからあんまり痛みは感じないが、切れたら地獄だ。ニックは薬なんてもってないだろうからドラッグストアへ寄りたいけど、こんな血だらけじゃムリだな。救急車の前におまわりを呼ばれちまう。

 ニックは手当てしてやろうとした俺の手をふり払って、おっくうそうに立ち上がった。キースの死体に近づいて、その首から細長い物体を引き抜く。

「なんだったんだ、それ?」

「〈ヤード・オ・レッド〉の万年筆だ――銀製の。気に入っていたから、溶かすのは忍びなかったんだが……まったく、やれやれだな」

 ……悔しいけど、今回はこいつの俗物根性スノバリーに救われたな。

「埋めたほうがいいかな?」

「そんな余剰体力はない。地中のほうがにおいは軽減されるが、白骨化するまで時間がかかる。身元のわかるようなものは身ぐるみ剥いで、運の悪いハイカーに見つけられないように、できるだけ深いやぶの中へ隠しておけ。数週間後にはきれいになっているさ」

 べつに俺はニックのことをそのとおりの意味で人非人とは思わなかった。俺たちは墓を持ってないから。

 左腕が使えないし右手もひでえと言ったら、ニックはぶつくさ言いながら片腕を貸してくれ、重い死体を足首をつかんで荷物みたいに肩にかつぎ上げて、ハイキングコースから数十ヤード離れた崖下に密生した茂みの中に勢いよく放り込んだ。小枝が折れて葉が落ちる乾いた音のあと、また元どおりあたりは静かになった。あとでキースの服も拾って捨てよう。

 月の光が車のライトみたいに木の間から差し込んできて、俺はおふくろが動かなくなった夜のことをぼんやり思い出した。

 あのとき俺たちはおふくろのまわりに集まって、まだあったかい体に鼻をくっつけあったっけ。まだちっちゃくて狼にもなれなかった俺は親父たちの輪には入れず見てるだけだったけど。おふくろも、どこか国立公園の土の上で骨にかえったんだろう。

 でも親父は……。

 俺は急に悲しくなって、思わず遠吠えをあげた。

 ニックが、なにやってんだというようにこっちを見たが、構うもんか。

 どこか遠くで誰かが――コヨーテか犬か狼か――が応える、かすかな声がした。

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