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明日はクリスが退院するっていう日の前日、ニックは病室に姿を見せなかった。それはそれで万々歳だったけど――俺ひとりでクリスとずっと一緒にいるのも、正直ちょっと、話すこともなくて気詰まりだった。身のまわりの整理をするっていっても、もともと持ちものなんてそういくつもあるわけないし(見舞いのカードだけはやたらたくさんあって、看護師や清掃業者の人からももらっていた。すごく聞きわけのいい、協力的な患者なんだそうだ。当たり前だけど)、三十分もしないうちに用はなくなった。
「じゃあ俺……明日九時に来るね」
「ありがとう。気をつけて帰るんだよ」
最初クリスはひとりで帰れると言っていたが、俺とスミスさんが、冗談じゃない、タクシーを使うか誰かに車で送ってもらうか、どうしてもバスで帰るんなら
病院の玄関を出たら、車寄せに見慣れたシルバーのセダンが停まっていた。
無視して通り過ぎようとしたら、窓があいて、陰気な声が俺を呼んだ。
「送っていってやるから乗れ」
「やだね」
「話がある」
「あんた女にもいつもそんなふうに声かけてんのかよ」
ただのアブないやつじゃん。
ニックは吸血鬼の尖った爪で
しょうがねえからつきあうか。ここにいたってジャマになるだけだし。
「運転中に私の首を絞めるようなことをするなよ」
マセラティはなめらかに動き出した。
「あんたは首絞めたって死なねえじゃん。んで話ってなに」
「お前の知り合いに、お前と似た容姿で、大型犬を飼っているやつはいるか、ロットワイラーやシベリアンハスキーぐらいの?」
俺は近所のバイト先をひとつずつ思い出した。
「シベリアンハスキーを飼ってる家は一軒あるけど……そこのダンナさんは四十歳くらいの、インド人のITエンジニアだぜ」
ロットワイラー犬なんかこのへんじゃ見たことないし、近所で一番でかい犬っていったら、いつも会うたびに飛びついてきて人の顔を
ニックはアクセルをふかして、信号が黄色から赤に変わるぎりぎりのタイミングで三車線の交差点をすり抜けた。誰も急いでくれなんて言ってねえのに。
「お前の兄弟は何人だと言った?」
俺はぎくりとして、運転手の顔を見た。
「……俺のきょうだいが何人だろうがどうでもいいだろ」
やつはギアをセカンドに入れた。一般道でなにする気だ。
通勤客の車があちこちにいるってのに、時速四十五マイル〔約72km/h〕出すんじゃねえよ。
「人狼の坊や」ニックの声は今まで聞いたことがないくらい気味悪かった。ケツどころか耳の穴を舐められたみたいな感じだ。
「私はお前に対してもずいぶんと紳士的にふるまってきたと思うがね。断りもなしに神父に触れたり、血を奪ったりしたことがあったか? それどころか、危険を警告してやったろう。今回の件も最初からだ。なのにお前ときたら……」
ちくしょう、やっぱこいつの車になんか乗るんじゃなかった。飛び降りたいけど、こんな街中じゃさすがに目立つ。
「……もうクリスはあんたの魂の救いとかいうのの役には立たないんじゃねえの」
「たとえそうだとしても、それがお前になんの関係がある? 神父を
「あんときは……」口の中に苦いものを感じた。「そうするしかないと思ったんだよ……。クリスがほんとに死んじゃうくらいならさ……」
「それでお前の兄弟は何人だ?」
こいつのやりかたはマジで汚ねえ。ひとの罪悪感を煽りやがって――
「――兄貴が六人だよ。俺は末っ子」
七人兄弟とはまた呪われた数だな、とやつは言った。
「けどそれがなんだってんだよ。兄貴たちじゃないって言ったろ」
「人間でも不死者でもなく、お前の知り合いで、お前によく似た相手だと神父が答えたとしてもか?」
俺は革のシートが電気椅子と化したみたいに、荷物の入ったバッグをぎゅっと握りしめた。
「……嘘だ」ヴァンパイアの言うことなんか信じない。「クリスがそんなこと言うはずがない」
「私の力をその目で見ただろう」
「あんたは俺たちがジャマなんだろう。だからそんなことを言って俺たちを吊るそうとしてるんだ」
「私は人狼になど興味はない。それともなにか、やっぱり本当はお前だったとでもいうのか? もしそうならこのまま中央分離帯に突っ込んでもいいが。犬の殺しかたは吊るすだけではないからな」
「やめろこのキ××イ野郎!」
車線をまたいでメインストリートを五十五マイル〔90km/h〕でぶっ飛ばしたら、いくらまぬけなサツだって気づく。
のんびり路肩でコーヒーでもすすってたんだろうヤツらが、あわててサイレンを鳴らして金魚の
「あんたがクリスに術をかけて……聞き出したんだな?」
「そうだ。神父はすなおに口をひらこうとはしなかったがね」
ああ――ちくしょう、そうだよ、それなら完ペキにツジツマが合う。
俺はカバンを抱きかかえて握りつぶす格好で、助手席のシートの上で丸まった。ヒビが入りそうなくらい奥歯がギシギシいう。
あのときクリスが俺のうしろに見たのは悪魔なんかじゃねえ――いや実際そうだったんだ、あのクソ兄貴! そりゃ「ギルたちはなにもしてないしなにも知らねえ」はずだよ、あいつひとりでやったんなら!
なんの恨みがあってクリスをあんなふうにボロボロに……俺を
たしかに兄貴……いやキースのクソったれはウソはつかなかった――アイツは、やると言ったことをやったんだ。それを止められなかったのは、俺が底抜けの阿呆だったからだ。
あんときクリスの
俺が話を切り出したときの――ていうより、すなおにうんって言わなかったからって俺が逆ギレして怒鳴ったときのクリスのあのすがるような
俺はどっちにもいい顔をしようとして、どっちも失ったんだ。
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