6-5

 ベッドサイドのナイトランプに照らされたマクファーソン神父の頬は白磁の色つやを取り戻していた。目をつむっているが寝入っているわけではないのは気配でわかる。

 彼が身じろぎして、病室の向かい――こちらに顔を向けた。

「夜分失礼するよ、神父」私は静かに話しかけた。「あなたに負担をかけるつもりはないんだ。ただ私の質問に答えてくれればそれでいい」

 神父は肘をついて身を起こした。ホームレスの男から奪い返したロザリオと同じ蒼い眼がまばたきもせずにこちらを見つめる。

 だが、

「……ノーランさん、こんな夜中になんのご用ですか?」

 神父の言葉に、私は本気で自信がなくなった。

「……これは一体どういうことなんだ?」我ながら情けない声が出た。

「あなたにわざわざ断ってから血をもらったがためにあなたには私の術が通じないのか、それとも本当に耄碌したのか?」

「おそらくは主の御力ですよ」彼は微笑んだ。

「あの人狼の坊やはあなたが病院に運ばれたとき、神を呪っていたよ」

「……彼には本当に申し訳ないことをしました」

 神父は眉根を寄せて目を伏せた。

「あなたが? なにをしたんだ」

「彼を拒絶したんです」

(なにが「俺じゃない」だ)

 私は心中ひとりごちた。もしあの小僧がこんな遠回しの方法で自殺したいというのなら、お望みどおり八つ裂きにしてやるとも。

「まあいつかはそうするだろうと思ってはいたが」

「ノーランさん、それは誤解です」

「なにがだね。あなたは精神感応者テレパスじゃないだろう。私がなにを考えているかわかるはずがない」

「ええと――なんといいますか、ですからその、彼が、合意の上であろうとなかろうと、私にその、」

「『レビ記』第二十章十三節に値するような行為をはたらこうとしたわけではないと言いたいのかね、あるいは第二十章十五節といってもいいが」

「……そうです」

 神父は少し驚いているようだった。

「私が聖書に詳しいのがそんなに意外か?」

「……ええまあ」

「教会の外で生きようとするなら、聖書を知る必要があったんだよ。悪魔でさえ聖書を引用する――身勝手な目的にね。神父、あなたならよく知っているだろうと思うが」

「それはたしかにそうですが……ちょっと、ある人を思い出したんですよ」

 まったく、この妙に洒脱なところのある聖職者は、なんだってこの種の話題になるとこうも生娘のような態度になるんだ。私がフロイトならさしずめ、コンプレックスのもとはそこだと判断するところだ。

「あの坊やが妙な気を起こさなかったのは重畳だが、やつだってあなたが考えているような無邪気な仔犬ではないよ」

 むしろ狼だ。

「私は彼についてそんなふうに思ったことはありませんよ」

 どの部分なのか尋ねるのはやめた。

「私の術が効かないのなら単刀直入に聞こう。あなたを傷つけたのは誰なんだ」

「私自身ですよ」

「私を誰だと思っているんだ。そんなまぬけなブラウニーみたいな答えで六百歳のアイルランド人をごまかせると思ったら大まちがいだぞ、神父」

 彼は笑った。が、すぐに真剣な表情になり、

「ノーランさん。これは私の問題で、あなたの問題ではないはずだ」

「いいや、私のなけなしの義侠心の問題さ」

「私は復讐を望んでいるわけではないんですよ」

「あの坊やは地獄中の悪魔を動員してでも復讐をしたがっているよ」

「……彼にそんなことをさせたくはない」

 ふと、なぜ神父は先ほどからずっと人狼の仔を人称代名詞で呼ぶのだろうという疑問がわいた。

「やつはあなたの言うことを聞く気はないよ」私は言った。聞くとしたら、そいつの喉笛に噛みつけと命じたときぐらいだろう。「そのためなら魂だって売るつもりでいる」

 人狼の魂を喜んで買う悪魔がいるのかどうか、私は寡聞にして知らないが。

「本当に――」マクファーソン神父は喘いだ。殉教者のように。上掛けを握る手の節が白くなるほど。

「ほんとうに彼には、そんなことを考えてほしくもないんです。そうすることでどれだけ傷つくか……」

「激情は解き放ってやらなければ、いずれ内側をさいなむ」

「彼のように表現するには、私たちはとしをとりすぎてしまったのでしょう」彼はまたもとのように静かに言った。

 たしかにあの小僧は心を袖につけている。

 が、彼のはぐらかしをとりあうつもりはなかった。

「神父、あなたは私がこれまでに出会った中で最も隠しごとのうまい人間のひとりだ」

 吸血鬼にさえ心を読ませないなんて。

「だからあなたを見ていると時折無性むしょうに苛々してくるよ、あなたは本当に、私の考えているとおりの人間なのかとね」

 あなたがどう想像しようとそれはあなたの自由ですよ、と彼はおだやかに――あるいはそうみせかけているだけで実際は馬鹿にしているのかもしれなかったが――言った。「誰も思考ので罰を受けることはないのですから」

「私はこのあいだそのことであなたに告解をした覚えがあるんだが」

「それはあなたの意識というか見解を尊重したんですよ。あなたがそれを罪だと思ってゆるしを求めるなら、司祭として聴いてゆるしを与えるのが私の職務ですから」

 平静な顔をしてとんでもないことを言う神父だな。私のほうがよほど敬虔なキリスト者ではないかという気がしてきた。

「なるほど、尊重ね。では、復讐をしてほしくないというあなたの希望を受け入れるべきなんだろうな」

「ええ、そうしていただけると――」

「だがあの人狼の仔と私の希望はどうなる。数でいうなら二対一だよ。我々は同じ意図をもってつながった二匹の悪魔というわけだ」

「私たちだけじゃない」さらにたたみかける。熱狂的な説教師サヴォナローラがそうであったように、吸血鬼ヴァンパイアの声にもそれなりの効果はあるのだ。善に誘うにせよ悪に誘うにせよ。「病院に来ているあの警官も、あなたの学校の友人たちだって、犯人をのさばらせておくことに心から同意はしていないだろう。彼らは人間だから、できることには限界があるが、私は違う。必要ならなにとだって取引するし、なんだってやるとも――あの坊やもね」

「……あなたなら彼を説得できるというのですか」

「できるかもしれないな。やつは私の力をその目で見ているから、あなたに術をかけて犯人を探り出そうとしたが駄目だったとは言える。理屈はなんとでもつけられるさ。だが、タダではやらない」

 神父はひるんだ。

「……なにが条件なのですか」

「なに、簡単なことだ。三つの質問をすることを許してもらえれば。あなたは正直に答える。答えはYESハイNOイイエだ。ただし沈黙はイエスとみなす。それでわからなければあきらめるよ。二度とこの話はしない」

「……もし私が嘘をついたら?」

「神父、あなたは隠しごとをするのがうまいかもしれないが、嘘をつくのがうまいわけじゃない。それに、わかるだろう――嘘をついてはいけない本当の理由は、神が禁じたからでも他人ひとを騙すのがいけないからでもない。自分自身が信じられなくなるからだ」

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