6-2

「被害届も出さないし捜査にも協力しないってどういうことですか?!」

 俺が花瓶の水をとり換えて戻ってきたところで、病室からスミスさんの大声が聞こえた。

「どうしたのスミスさん」

「ああ、ちょうどいいところに。ディーン、君からもこのガンジーみたいな神父さんになんとか言ってくれないか。この人は警察にね、捜査するなっていうんだよ」

「捜査するなと言っているんじゃないんですよ。優先順位を一番下にしていただければそれで」クリスは微笑んだ。

「ムダだよスミスさん。クリスはいったん言い出したらきかないんだから」

 俺としてはサツのケツをひっぱたいてでも捜査してもらいたいんだが、被害者が口を割らないんじゃどうしようもない。

「神父さん、警察はあなたのためだけにあるんじゃないんですよ。危険な犯罪者を野放しにしておいたら、次の犠牲者が出る可能性があるんですからね。捜査をやめるなんてお約束はできませんよ」

 いつもは(失礼だけど)頼りなさそうな感じのスミスさんが、めずらしくおっかない顔をして帰っていった。

「スミスさんの言ってることは当たり前だと思うよ」俺は言った。

「……そうだね」

 クリスは向かいの壁を見つめたまま答えた。

 意識が戻ったあと、クリスは俺と視線を合わせるのを避けてる。

 理由はわかってる。思いどおりにならないからって俺が逆ギレしてひどいことを言ったあげく、日ごろクリスの役に立ちたいとか言っておきながら肝心なときになにひとつできなかったからだ。さぞかし心の中じゃ俺に失望してるだろう。それなのに怒ったりしないのが……かえってつらい。

 意識不明だったときは、目が覚めてくれれば、説教されても怒られてもなんでもいいと思っていたけど、今は逆にこの状態のほうがキツい。

 クリスはもう俺のことなんか好きじゃない。どうしようもないやつだって思ってる。そんなふうに思われるくらいなら、ずっと眠っててもらったほうがよかった。それか、目が覚めた直後にニックに頼んで吸血鬼にでもしてもらったほうが。ヴァンパイアにならどう思われたって平気だし、俺の罪悪感だって軽くなる。……ゼータクだよな。

「ディーン、毎日病院に来るのは大変だろう。無理しなくていいんだよ」

 ……ほらまたそんなことを言う。

 俺は首を横にふった。

「……べつに。家にいてもすることねーし」

「だけど勉強が……」

「うるせーなあ、あんた他人ひとのこと心配してる場合かよ。俺のことなんかどうでもいいから早く体を……」

 クリスがベッドの上でおびえたように固まっているのを見て、またやっちまったと後悔した。

「……クリス、ごめん、俺、そんなつもりじゃ……」

 俺が近づこうとすると、クリスは毛布を胸の前で握りしめて、狭いベッド上で少しでも俺から遠ざかろうとするみたいに上半身をらした。まだ胸に管が入っているから、それ以上どうすることもできない。

「病室で怒鳴るな、近隣に迷惑だろう」

 俺が今一番聞きたくない声がした。

「……ノーランさん」

 クリスがほっとしたようにやつのほうを見て微笑んだ。……ちくしょう。

 ニックの野郎も毎日のように病室に顔を出しているが、クリスも医者も看護師も誰もなにも言わない。面会時間をとっくに過ぎていてもだ。俺が帰れと言うと一応帰るが、あとで舞い戻ってきていないとはいえない。傷ついたクリスからこれ以上なにを絞り取ろうっていうんだ。治療費の件は教会と、クリスの親父さんが折半でもなんでもするっていう話をしてるのを聞いたから、こいつに借りはないはずなのに。

「だいぶ回復したようだね。顔色がすぐれないのはこのうるさい坊やのせいだろう」

「……黙れよ、俺だってもう帰るんだからさ、あんたもさっさと帰れよ」

「私は今来たばかりなんだが」

「あんたと話すとクリスが疲れるだろ」

「ノーランさん、もし彼と一緒に戻られるのでしたら、どこかで食事をさせてあげてもらえませんか? 代金はあとでお支払いしますから」

「……おやおや」

 やつは俺を眺め下ろした。

(絶対断れよ)

 俺は念を送ったが、

「あなたの頼みなら

(……この馬鹿!)

「では神父、あと数日で退院できそうだと今しがた聞いてきたし、今日のところは坊やを連れて失礼するよ」

「ええ、お気をつけて」


「――なんであそこでうんって言ったんだよ?!」

 病室に声が届かなくなったところで俺はやつを怒鳴りつけた。吸血鬼なら空気ぐらい読めよ!

「本当に食事をする気があるならつきあうが? 面白い話を聞いたんでね」

「誰があんたと――え?」

 俺は吸血鬼野郎の顔をまじまじと見た。

「今なんつった? あんたのおごり?」

「いや、マクファーソン神父のでだ」

 俺たちは例のマセラティでファミレスに乗りつけた。ツーリング中らしいバイク乗りライダーが、場違いなシルバーの車を見て目を丸くする。

 クリスのつけだと思うと、俺の食欲もちょっと落ちた。ダブルのチーズバーガーふたつとフレンチフライのL、それからコカ・コーラだけにした。ニックのやつがなにを頼んだと思う――ミネラルウォーターと一番ちっちゃいグリーンサラダだ! 小鳥のエサかよ!

「どうせ俺に食わせるんなら、メキシカン・タコス・サラダかなんかにしてくれりゃあよかったんだよ」俺はハンバーガーを三口でほおばりながら言った。「そんで、面白い話ってなんだよ」

「病院の入り口であの警察官に会ったよ、スミスとかいったかな」

「スミスさんとなに話したんだ?」

「車の趣味がいいですねという話を――」

 やつはグラスに口をつけたが飲んではいなかった。

「いくら盗難防止装置がついているといっても、高級車を青空駐車するのは危険ですよと言われてね。彼の車はホンダだったかな? いかにも警官が好みそうな車だ。日本車は燃費がいいし信頼性が高いからな。階級クラスがよくわからないから買おうとは思わないが」

 俺はやつがなんで車の話なんか始めたのかわからなかったしちょっとムカついたが、食い物が口の中に入っていたこともあって、うなずいた。

「たしかに日本車はいいよな。人気あるし」

 盗んでも確実に売れる。

「あんたがイタ車に乗ってるのって単なるカッコつけだろ。俺並みに燃費悪ィガソリンくうのに。今どきのセレブはみんなEVだぜ」

「私はテスラは嫌いだし、CO2はギルティフリーだ」

「まあね、俺もEV苦手」

 ほとんど動くコンピュータだから修理しにくいし、スペアキー作るのもものすごくめんどくさいんだよな。

「それで、俺と同じくらいの年齢トシに見えるのにマセラティこの車かよ、きっと毎晩違う女をとっかえひっかえしてるんだろうな、ちくしょう、神様はなんでこんなに不公平なんだ、と言われたのさ」

 俺は危なく、もうちょっとでコーラをやつの高級スーツに吹きかけそうになった。やってもよかったけど、ゼッタイにクリーニング代を請求される。それもクリス宛てで。

「――マジで?! あのスミスさんがそんなこと言ったの?!」

「ああ」やつはニヤニヤした。

「嘘だろ……」

「本当だ。最初に会ったときに私の車をじろじろ見ていたから、私のことをどう思っているのか聞いたらそう答えた」

「……術をかけただろ」

 吸血鬼野郎は片眉を上げた。

「彼が言うには、マクファーソン神父の第一発見者はホームレスだそうだ」やつのグレーの目が冷たくなった。「ほかになにか見聞きしているかもしれないし、人間では気づかないことも我々ならわかるかもしれない――腹が満たされたら、ちょっと行ってみようじゃないか」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る