4-7

「誰も頼んじゃいねーよ」俺は牙のあいだから息が漏れるのを抑えるのに苦労しながら言った。

「じゃあ自力で元に戻るんだな」

 言われなくてもそうするよ。

 俺は余計なことを考えないように目をつぶって百数えようとした――ああ、ちくしょう、ダメだ。まぶたの裏に勝手に映像がうかんでくる。ちらっと見えたクリスの手首のあの赤いあざ――あれは手錠かなんかで拘束されたあとだったんだな。そんな状態で……。

 クリスはさすがに神父だから抵抗しなかったのかもしれない、それかできなかったのかも――でも、とかってことと、それをってことのあいだには、それこそ天と地ほどの差がある。俺がクリスに対してよこしまなことを考えるのと、実際やっちまうことのあいだにあるのと同じくらい。

 俺は今、過去の自分に対してゲロ吐きそうだった。

 神様――

 あの日本人夫婦のことを思い出す。

 あんたはほんとうになにもかもお見通しなのか? 俺があんなことを考えたからクリスに罰を与えたのか? だとしても、よりによってなんでクリスなんだ。どうして俺じゃないんだ? クリスがあんたになにしたっていうんだ。ゲイの友達がいたからか? 神父のくせに、あんたが嫌いだったこともあるって言ったからか? それとも、吸血鬼や狼人間と親しくつきあってるからか? それがあんたとなんの関係があるっていうんだ。クリスはあんたなんかよりよっぽど心が広いぜ。

 それとも、これが俺に対する罰なのか? クリスのことを好きなの以上には、俺があんたを愛してないから?

 だったら、あんたのもくろみはまんまと成功したってことになる――

 ……ああそうとも、あんたが俺のことを嫌いなのと同じくらい、俺はあんたが大嫌いだ。まったく、あんたは最高にいけ好かねえクソッタレだぜ、この腐れチ××コ野郎マザーファッカー

「なあ……なんか手がかりとかねえのかよ、そのクズ野郎のさ」

「捜査をするのは警察の役割しごとだが……性感染症の検査も含めて検体を採取したが、神父自身のものしかれなかったと言っていた――つまり、DNAから尻尾をつかませるような脳なしではないということだ」

 レイプするのにきっちりコンドームゴムを使うような用意周到な悪党ってことかよ、クソが!

「ほかには? ほかになんかないのかよ」

「あとは神父の体に残された傷だが……医者が妙なことを言っていたな」

「妙なこと?」

「歯形が複数あったと」

 俺はまた体がカッと熱くなるのを感じた。クソ野郎はひとりでもじゅうぶんだってのに、まさか――……

「お前の考えていることよりひどいかもしれないぞ」ニックが冷たい声で言った。

「勝手に他人ひとの頭ん中読むなよ。これ以上ひでえことなんてあんのかよ」

 輪姦クラスターファックされたって以上に?

「ひとつはどうみても人間の歯形ではなかった――つまり、神父は四つ足の獣に蹂躙された可能性があるということだ」

「――!!」

 俺は完全に言葉を失って、目の前の冷血野郎の胸倉をつかみあげていた。また狼の姿に逆戻りだ。

「手を離せ、小僧」

 やつは氷みたいな手で俺の手首を握りしめた。狼の皮膚でも尖った爪が食い込んで、骨がきしむ――けど平気だ。そうでもしなきゃこいつの首を噛み切りそうだから。

 車の中は炎と吹雪が渦巻いてるみたいな空気になった。

 俺たちは望んでもいないのに見つめ合っていた。ニックのグレーの目はほとんど色を失って、瞳孔だけが真っ暗な穴みたいになっていた。

「冷静になれ。神父を犯したのは私じゃない」

 俺に喉元を締めあげられているっていうのに、やつの声色は全然ふつうだった。

「――あんたはなんだってそんなに鉄面皮なんだよ! 人間らしい感情なんてないんだろ!」

「そうとも。私をなんだと思っているんだ?」

 俺ががっくりして手を離すと、やつはズレたネクタイを直した。

「その様子ではまともな話はできんな。神父の両親に、お前を教会まで送ると言ってきてやるから、ここにいろ。くれぐれも妙な気を起こすなよ」

 妙な気ってなんだ。俺が自殺でもすると思ってんのか?

 やつはしっかりキーを抜いて行った。

 ちくしょう、俺が本物の犬だったら、本革のシートにかじりついてぼろぼろにしてるところだ。


 しばらくしてニックが戻ってきたときには、俺はなんとか、外から見えるところは人間らしくなっていた。

「私がお前に衝撃的ショッキングな話をしたせいでお前まで具合が悪くなったのかと心配していたぞ。さすがはマクファーソン神父の両親だな」

「……あの人たちに余計なこと言うなよ」

 ニックは俺の鼻先に、電話番号とどこかの住所が書かれたメモ用紙を突き出した。クリスの親父さんのだそうだ。

「彼らはそのホテルに泊まるそうだ。お前の番号も教えてきた。それから、神父を個室に移すよう手配をしておいた」

「……サンキュ」

 俺は言って、ドアを開けた。

「明日また来るよ。……じゃあな」

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