4-6

 一時間くらいって、ニックと親父さんが戻ってきた。

 親父さんの顔は少し青ざめているように見えたが、ニックの野郎は相変わらず、なに考えてんのかわからない無表情だった。

「……どうだったの、あなた?」

 親父さんはおふくろさんと俺を交互に見た。

 親父さんが口をひらくより早く、

「――おい、ちょっとこっちへ来い」ニックが俺を呼んだ。

「なんだよ」

「いいから来い」

「嫌だね。クリスになにかあったら――」

 ニックは苛々したように俺をにらみつけた。

「マクファーソン神父の容態が急変する可能性は低いと説明を受けたんだ。お前だって詳しいことを知りたいだろう」

 吸血鬼野郎が俺に気を遣うなんてめずらしい(赤い雪が降るかもしれない)。けどなんでここじゃダメなんだ?

 親父さんが黙ったままなので、俺はしぶしぶ、ニックの野郎について行った。

 談話室にでも行くのかと思ったら、やつは廊下をどんどん進んでいく。

「おい、どこまで行くんだよ、オッサン!」

 やつは俺を無視してエレベーターに乗り、ついに正面入り口を出て、駐車場までやってきた。いつものシルバーのマセラティを指して、乗れと顎をしゃくる。

「一体なんだってんだよ……」

 しかたなく、納骨堂みたいなにおいのする助手席に乗り込む。やつも運転席に座ってドアを閉めた。

「結論から言うと、最悪の状態は脱した」ニックはフロントガラスを見つめて言った。「最も危険だったのは外傷性血気胸――簡単にいうと折れた肋骨が刺さったために肺に穴があいて、放っておけば自分の血の中で溺れて死ぬという状態だったが、これは手術でふさいだ。あちこちにひどい裂傷だの打撲傷だのはあるし、輸血の上に縫合処置を施したから、しばらくは感染の危険がないか注視する必要はあるが、頭蓋内に損傷はみられないし、脳波も正常だという検査結果が出たそうだ」

「……よくわかんねーけど」ニックが俺の頭の程度に合わせてるのかイマイチ確信が持てない。「すぐには死んだりはしないってことか?」

「そうだ」

 俺はほっとすると同時にイラついた。

「テメエ、それだけ言うのにこんなとこまで連れてきたのかよ?! あそこでひと言言やあよかっただろ! もったいぶりやがって――」

 もう帰る、とドアに手をかけた俺の腕をやつがつかんだ。

「放せよ!」

「小僧。話は最後まで聞け」

 やつのグレーの目がキレる寸前みたいになっていたので、俺はムカつきながらもまたシートに座りなおした。

「悪い話がふたつある。ひとつは、術後の麻酔はとっくに切れているはずなのに意識が回復しないことだ。脳波に異常がないということは、脳のせいではないという意味だ。主要な臓器も幸いにして大きな損傷はみられなかったそうだから、肉体の問題でもない――つまりは原因不明だ」

「……いつ目が覚めるって医者は言わなかったのかよ?」

「わからないそうだ。植物状態のまま十数年生き続けた例はあると説明されたが、神父の場合は――眠っているようなものらしい。ただ、呼びかけにも反応しないし、物理的な刺激にも変化はみられないと言われた」

 俺は病室で機械と管につながれて横たわるクリスを想像した。眠れる森の美女スリーピング・ビューティーだなんて、ピッタリすぎてシャレにもならない。

「このまま目が覚めなかったら……どうなるんだ?」

「ずっとこの病院にはいられない。次の患者のためにベッドを空ける必要があるからな。万一脳死状態にでもなって回復の見込みがなければ、臓器提供も視野に入れたほうがいいと言われた。延命したところで死体を生かしておくようなものだからな。神父の父親は反対しなかった。そうなったら、提供可能なすべての臓器を提供すると」

 俺はシートが沼みたいに体を呑み込んでいくような感覚に襲われた。なんだって……? クリスを……バラバラにするって……? ようやく見つかったのに……?

「そんな……ことには……ならないよな? 教会がめんどうみてくれたりはしないのかよ?」

「それは私の守備範囲じゃない。司教に聞いてみてもいいが」

 思わず、目の前の男を薄情者とののしろうとして、ぐっとこらえた。こいつはあくまでも自分の利益のためにクリスに近づいたんであって、クリスが満足に動けないんじゃ利用価値はないからだ。それが、一時しのぎかなんかの気の迷いだとしても、治療費の請求書にサインしてくれただけでも出血大サービスってやつなんだろう。

「……それは……頼むよ。で、悪い話ってのはそのふたつなんだよな?」

「……いや」やつは柄にもなく口ごもった。

「なんだよ。さっさと言えよ」

 みんなから愛されている聖職者が――法衣スータンを着てたんだろうから、神父だっていうのは目が見えてないんでもない限りわかったはずだ――身ぐるみ剝がされたうえで死ぬほど痛めつけられる以上に悪いことなんて俺には想像イメージできなかった。

「マクファーソン神父に加えられたのは殴打だけじゃない――レイプされているんだ」

「な……」

 一瞬、なにを言われたのか理解できなかった。考えるのを拒否していたせいかもしれない。当然ありうることだったのに。あの容姿なんだから。

 なにかがストンと腑に落ちるのと同時に、腹の底からわきあがってきたのはドス黒い怒りだった。眠ってるみたいなクリスの顔がうかんで、視界が赤く染まる。

 よくも俺の群れのやつを――前に、車泥棒についてクリスに説教されたことがあったけど、前言撤回だ。相手が目の前にいようがいまいが、やったやつを絶対に探し出して、この落とし前はつけさせてやる。

 体中がきしんで、髪が逆立つのがわかる。いつのまにか握りしめていたこぶしの中で、伸びた爪がてのひらに食い込む。

「――こうなると思ったからここまで連れてきたんだ!」

 ニックが顔をしかめて舌打ちし、俺の襟首をつかんだ。

「触るな!」俺は吠えて、やつの腕をふり払った。

「マクファーソン神父はお前に自制心というものを教え込まなかったのか?」

 ここでケチな吸血鬼野郎がしつけって単語を口にしていたら、俺はやつの首を噛みちぎっていただろうが(そういう意味では車の中ってのはおあつらえむきの場所だったわけだが)、ニックは賢明にも命拾いした。そのうえ、やつも凍るように冷たい眼をしていたから、俺じゃないなにかに対してキレそうなのを抑えてるってのがわかった。

「とにかく落ちつけ。その状態で神父の両親の前に出るわけにはいかないだろう。――まったく、どうして私がお前のおりをしないとならないんだ!」

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