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 それでも、ケーサツもキースの兄貴も、「なにかあったら」知らせるってだけで、「なにも」ないままもうすぐひと月――いや三週間だったかな、ひと月半だったか、もう思い出せねえや――がとうとしていた。

 教会のほうは、近くのべつの教会から日曜の午後だけ、神父のじいさんがピンチヒッターとしてミサをあげにきてくれることになったけど、クリスがいないんじゃ、俺はミサなんかに出る気はこれっぽっちもなかった。大体、今の今まで神サマがなにしてくれたってんだよ。

 もうこれで何度目になるだろう。

 俺はまた、クリスと一緒に、食料だの洗剤だの日用品を持って回った地区エリアに足を向けていた。防犯カメラなんて気の利いたモノがあれば一番先にはずされて持ってかれるようなとこだ。俺の家の近所に雰囲気がちょっと似てる。

 インターコムを鳴らすと、その音に興奮したらしい子供たちがキャーキャーいいながら走り回ってるのが聞こえた。

 すぐにそれを𠮟りつける声がして、丸い人影シルエットが玄関に現れた。

 身長は俺の三分の二だけど、横幅は二倍くらいある女の人が、目を丸くして俺を見上げる。

「……こんにちはモリソンさん」俺は言った。「今日はなにかを届けに来たわけじゃないんだ、クリスのことをなにか聞いていないかと思って――」

「ディーン、残念だけど――」

「……ならいいんだ、お邪魔したね」

 ペンキの剥げたポーチの階段を降りようとしたとき、モリソンさんが俺のパーカーのすそをつかんだ。

「あんた、ひどい顔してるよ。いいから入んな。ちょうどうちのチビたちに夕飯の準備をしようとしてたとこだから」

 ふりほどこうと思ったが、モリソンさんの目立ってきたおなか――五か月だか六か月だって聞いてたけど、双子でも入ってるのか、ジャック・オー・ランタン用のおばけカボチャくらいのサイズになっている――を見て、万が一転ばせでもしたらマズいだろうと思いなおした。

 家に入ると、いつもだったら飛びついてくるはずのジミーとトムの兄弟も、俺の顔がほんとにひどいのか、遠巻きにして様子をうかがっている。

 弟のトムが、手に持った恐竜のおもちゃをおずおずと俺のほうへ差し出した。

 モリソンさんがそれを押しとどめる。

「ダメだよ、ディーンはママの手伝いをするんだからね。ホラ、あっちで遊んでな」

 モリソンさんのおなかとでかい尻のせいでよけいに狭くなったキッチンで、彼女は俺にあれこれ指図しながら大量の冷凍フレンチフライを揚げ、ニンジンをひたすら千切りにさせ(どうしてスライサーを使わないんだ)、涙も枯れるくらい長いことタマネギを炒めさせた。

 チビたちがおなかがすいたと騒ぎ出すころには、ダイニングキッチンのテーブルの上には、缶詰のホワイトソースを使ったチキンのクリームソース煮フリカッセと、フレンチフライと、ボウル一杯のニンジンとツナのマヨネーズ和えとオニオンスープが並んだ。

 ジミーとトムはちっちゃな両手を組んで、〈ハリー・ポッター〉の一番短い呪文と同じくらいすばやく食前のお祈りを唱え、俺よりも先にフレンチフライに手を伸ばした。

「遠慮しないであんたも食べな、ディーン」

「……ん」

 遠慮してんじゃなくて食欲がないだけなんだけど。

 モリソンさんは怒ったみたいなため息をひとつついて、

「じゃあスープだけでも飲みなさい。腹が減ってるとろくなことを考えないんだから」

 姿かたちも声も全然違うのに、なぜかおふくろに言われたみたいに感じた。俺は催眠術にでもかかったように言われるままにスープをスプーンですくって――気がついたらボウルをかかえて直接全部飲み干していた。向かいに座っているチビふたりが目を丸くしている。

「ディーン、お行儀悪いって怒られるよ!」七歳の兄貴のほうが俺を指さす。

「そんなふうに他人ひとを指すもんじゃない、ジェームス」母親がにらむ。

「モリソンさん、おかわり」

「はいはい」

 結局、鍋の底に貼りついていたタマネギのかけらまで舐め、フレンチフライをもう一回揚げてもらい、トムの分までマヨネーズ和えをもらって――といっても俺が奪ったんじゃなくて彼がくれたんだが、ようやく俺は

「……ありがとう、モリソンさん」

 彼女は食後にココアまで淹れてくれ、俺たちはカップを持ってソファに座った。七歳と四歳は床に座って、〈トイ・ストーリー2〉のDVDに夢中だ。

「どういたしまして」モリソンさんはおっくうそうに、スプリングがへたったソファに沈みこんだ。

 彼女はそんなに食べなかったみたいに思える。

 俺の視線に気づいたのか、

「赤ちゃんが重くてね。胃がちっちゃくなってるんだよ。大丈夫、脂肪はたっぷりあるんだし、お医者さまからは少し減量しなさいって言われてるんだから」数か月後には少なくとも三人の子持ちになるシングルマザーは笑った。

 バズ・ライトイヤーの声が誰かに似てるんだよなあ、と考えているうちに体が傾いていた。いつのまにかモリソンさんの膝というか腿というか腹の下あたりに俺の頭があった。

「……あんたもかわいそうだね、ディーン」

 モリソンさんのぽっちゃりした手が俺の頭を撫でている。

「あんたは図体はでかいのに、うちの子と同じくらいに思えるときがあるよ。三人目の子――まあこれからひとり増えるけど――みたいにね」

 まぶたが重くなってきて、アニメの色がぼやける。

「前に神父さまが言われたみたいに、あんたが悲しんでるのをなんとかしてやりたいと思うけど、あたしじゃとても神父さまの代わりにはなれないし、もしこれがうちのチビたちのどっちかがいなくなったって話だったとしても、たとえあんたでもチビたちの代わりにはなれない――なんて残酷なんだろうって思うけど、そうだろ?」

 聞いてるよと示すために、俺はちょっと身じろぎした。

 昔、記憶の中でおふくろがしてくれたみたいに、モリソンさんは俺の髪をいた。ろくにフロ入ってないのに。

「あの人はあたしにも子供たちにもよくしてくれるし、もしあの人が――あんなにきれいでちゃんとした人があたしみたいなだらしない女を好きになるわけがないとは思うけど、この子たちの父親だったら、あたしは今みたいにはなってなかったんじゃないかって想像するよ。でもね、」

 そんなことないよと言いたかったが、俺の口は今日はもう営業終了したみたいだった。

「あたしはこの子たちの父親――サムだったかジョージだったか、どっちかわからないけど――のほうをどうしようもなく愛してるんだよ。神父さまじゃなく」

「……神さまもたまにひどいことをなさるよねえ」

 モリソンさんの声が子守唄に聞こえる。

「こんなことを言うとバチが当たると思うけどさ、神父さまみたいに、神さまだけを愛するように人間をお創りになればよかったんだよ。そうしたらあたしもこんなふうにはならなかったと思うし、誰も……」

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