3-4

 ノックがあったのは、夜も十二時を過ぎたころだった。

「起きてるよ」

 ヘッドボードと枕にもたれたまま私は言った。

 スウェット姿のディーンは戸口でちょっとためらうような様子をみせたあと、なにも言わずに入ってきて、ベッドの足元に座った。

「どうしたんだい?」読みかけの本を閉じてナイトテーブルに置く。

 このところディーンはよく眠れていないようだ。もとからあまり朝に強いほうではなかったが、目覚ましが鳴っても起きてこず、朝食もそこそこにあわてて出ていくことが増えたし、先日はまた授業中に居眠りをしていたと、シルヴェストル教諭から皮肉を言われた。

 なにがあったのか、ちょっと思い当たるふしがない。勉強関係のことなら多少は力になってあげられるだろうけれど、そんな感じはしないし、ひょっとすると恋愛関係の悩みなのかもしれないが、もしそうだとしても彼はちゃんと自制心のある子なのだから、彼が明かそうとしないのに、私が無理やり扉をこじ開けることはできない。

 それでも、明日も学校があるというのに眠れないでいるのは一体……。

 ディーンはしばらく、自分の膝と私の手元に視線を彷徨さまよわせていたが、ベッドの上に乗り、こちらにずいと身を乗り出した。

「クリス俺、……どう言ったらいいかわかんねーんだけど、俺……あんたのことが好きなんだ」

「うん」

 ありがとう、と言うべきなのかどうなのか迷ったが、ひとまずそう答えるにとどめた。

 彼はいつになく真剣な表情で続けた。

「それでさ……それであんたに頼みがあるんだけど」

 またミスター・ノーランになにか焚きつけられたのだろうか。もしそうなら、あの人には少し控えてもらうように言わないと……。彼に血を提供したのは緊急避難的な行為だったし、狼憑きライカンスロープがそれで変容するなんて聞いたことがない。

 いつもは率直なディーンは言いにくそうに、

「その……いきなりこんなこと言うなんておかしいと思うかもしれないけどさ、とにかくハイイエスって言ってくれればそれでいいんだ……」

 彼はさらにこちらににじり寄り、私の片膝立ての一方と彼の肘が触れるくらいになった。オレンジ色のランプの光に照らされた彼の顔が蒼ざめているように見えるのは気のせいだろうか?

「なにを?」

 彼は塊のような息を吐き出すと一気にたたみかけた。

「俺のものになるって言ってよ。ずっと一緒にいるって約束して。そしたら俺はあんたのためになんでもするよ。盗みでも、人殺しでも、なんでもさ……。でももしあんたがそういうことはするなっていうなら絶対にしない。あんたの信じてる神様を信じろって言われれば信じるよ、だから……」

 まるで悪魔の誘惑みたいだったが、ディーンの黒い双眸とその口調には非常な逼迫ひっぱく感があった。興奮していることはたしかだが……発情などでないことは、変化のきざしが全くないことでわかった。

「お前のものになるってどういう意味?」

 私はできるだけ穏やかに尋ねた。

 彼はじれったそうに頭をふった。

「今はあんたが俺のαボスだけど、俺をαアルファだって認めるってこと。俺はあんたに命令されたことは守ってきただろ、あの吸血鬼野郎にも、魔女にもさ……。ふつうはαアルファが群れの仲間に命令して、ほかのやつらメンバーは絶対それに従わないとならないんだけど、あんたの場合はそれはいいよ。だけどどうしても言うことをきいてもらわなきゃいけないことがあるんだ、俺……」

「それはなに? お前をその、アルファと認める認めないとかいうのはともかく、私にできることなら協力するけど……」

「……言えない。言ったら絶対あんたは反対する」

「人間は誰のものでもないよ」落ちつかせようと彼の肩に手を置く。

「神様のものだっていいたいんだろ」

 苛立っている様子で、狼のときのように上唇がめくれて太い犬歯がのぞく。

 私は首を横にふった。

「その人の意志はその人のものだ。それは神様にだって変えることはできない。お前が神を信じていないのに、信じろだなんて言わないよ。命令しているつもりなんてなかったんだ。お前がそんなふうにとらえていたなんて……。犯罪は困るけど、お前がやりたくないことを、私のためにやる必要はないんだ。お前は一個の個人なんだからね」

「だったら――だったら簡単だろ、クリス、頼むから言ってよ、俺のためだと思って……なあ、いいだろ、ひと言なんだからさ、お願いだよ」

「どうしてそんなにこだわるんだ? それだけ言うってことは、お前にとってすごく重要なことなんだろう? もし私が冗談半分でYESと言って、そのあとでお前に逆らったらどうなるんだい?」

 ディーンは目を逸らし、しばらく口ごもっていたが、やがてぼそりと、

「……群れを生かすのも殺すのもαアルファ次第なんだよ。だからあんたが俺をものすごく怒らせるようなことをしたら、あんたは俺に殺されても文句は言えないってこと」

 ……やれやれ。人狼のシステムはずいぶんと殺伐としているみたいだ。……いや、権威主義的という意味では教会カトリックも似たようなものかもしれないが。

「ねえ、ディーン、お前に、やりたいこととそうでないことがあるように、私にも自分の意志があるんだよ。私は神父だ。自分の意志で誓いを立てたんだ。司教うえから命じられればどんな辺鄙な教会にだっておもむくし……それはお前のやりたいこととは相れないよ。いつだったか養子の件でも話したから、それはわかってくれていると思っていたよ。どうして今になってまた急にこんな話を持ち出したんだい? なにか理由があるのなら……」

「……俺のことが嫌いなの?」

 彼は乾いて荒れた唇を噛んだ。

「好きだよ」

「嘘だね」

 冷たく、ディーンは吐き捨てた。

 ゆたかな感情の起伏を表す双眸は、夜の闇のように底知れず、なにも映してはいなかった。

 私の手をふり払って彼は飛びすさった。

「……やっぱりあんたは神様ってやつのほうが好きなんだ。俺のことなんかよりずっと。そんならそうってはっきり言えばいいだろ。俺がそんなやつを信じてもいいって言うのがどんなに嫌だったかあんたにはわからないだろうね」

「ディーン、違う、そうじゃない、もしお前がなにか悩みを抱えているなら話してくれれば――」

「どうしてあんとき俺を助けたんだよ」

 それは質問ではなかった。

「ひとのことを拾っておいて、聞かれりゃ好きだとか言っておいて、こっちが必死に頭を下げてんのに蹴っ飛ばすぐらいなら、最初はじめっからほっといてくれりゃあよかったんだよ。そうすりゃ今ごろは俺も立派な車泥棒だっただろうし、ひょっとしたら兄貴に殴り殺されてたかもしれないけど、そんなことはあんたにはカンケーないもんな。そうだよ、こうなったのも全部あんたのせいだ」

「ディーン――」

「うるせえ、その気もねえのに媚びるみてえな態度とんなよ。なんだよ、ひとにこんだけ言わせといて、そうか、お前がそこまで言うんなら、のひと言もないんだからな。あんたのそういうとこがムカつくんだって前から言ってんだろうが。ホントは思ってもいねえことをぺらぺらしゃべりやがって――あんたはほんとになんにもわかっちゃいねえんだよ、あんときからな」

 彼は大股で戸口に歩み寄り、

「このあとひと言でも俺に話しかけたら、今度こそマジでブッ殺すからな、このクソ坊主!」

 家が震えるほどの音を立ててドアを閉めた。

(……ああ、またやってしまった……)

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