第65話 幼馴染にとって俺はピンチの時に助けてくれる王子様らしい

 さて、お隣さんが幼稚園時代の”幼馴染”になること自体は、なんとなくそんな予感がしていたのでそこまで驚くことでもないのだが……実際に俺は幼馴染であるはずの”一二つまびら文香ふみか”と過ごしたはずの幼稚園時代の記憶に思い当たることがない。


 むろん、これはただ単に俺の記憶力に問題があるだけかもしれない。


 人の記憶はそもそもあてにならない物でもある。


 なぜならば人の脳は、事実を正確に記録しないことが普通だからだ。


 逆に経験したことの詳細まで長期間、記憶できる超記憶力を持つ人もいるが、そういう人は、記憶を忘れられずにむしろ苦しんでいることが多い。


 普通の人間は記憶を忘れたり書き換えることで現実に対応しているのだな。


 実際に幼稚園の頃の記憶はあんまりないし、幼稚園が一緒だったはずの名前を憶えてる友達とかもこれといっていないのも事実だ。


 それに親戚のおばちゃんとかと話すと、俺の小さい時のこととかは一方的に覚えていられているのに、こっちにはトンと思い当たることがないこともよくあったりする。


 ただ、今回の件は羽賀の幼馴染だったはずという前提があるから、それだけではないと思うんだよな。


 俺はお母さんにお隣さんについて聞いてみることにした。


「ねえ、お母さん」


「ん、何かしら?」


「隣に引っ越してきた一二つまびらさん一家って、幼稚園の時かなり仲良くしてたんだっけ?」


「あら、覚えてないの?

 文香ちゃんとは一緒に幼稚園までバスで一緒の送迎だったこともあってすごく仲が良かったのに」


「ええと、そうだったっけ?」


「そうよ。

 あなたは小さいころから図鑑とか、絵本を読むのが大好きなおとなしい子供だったけど、文香ちゃんはそんなあなたを家から引っ張り出してくれたわね」


「あー、そういわれればそうだったっけ?」


 そういわれればそんな気もしてくる。


「でも、あちらは小学校に上がるときに転勤になっちゃったのよね。

 その時あなたは離れたくないってすっごく泣いていたのよ」


「あーそういう黒歴史はできれば、ほじくり返さないでくれると嬉しいかなぁ」


 もしかしてその別れ方が原因で俺が忘れていただけか?


「文香ちゃんは、歌を歌うのが上手で、ピアノも弾けて、かけっこの足も速く、英語の絵本を読むこともできるすごい女の子だったわね。

 だからすごい人気のある子だったけど、将来はあきちゃんのお嫁さんになるーって言ってたはずよ」


「え、なにそれ。

 幼稚園で英語の絵本?」


「あら、あなたも英会話教室に入ってたわよ。

 あんまり上手にできなかったから、小学校に上がる前にやめちゃっていたけど」


「あーうん、それはなんとなく覚えてる。

 あと幼稚園の時は習字と算盤にエレクトーン教室にも通ってなかったっけ、俺」


「そうなのよ、あなたは全部だめだったのよね」


「あー、高い月謝払ったのに、全然だめでごめんね」


「いいのよ。

 あなたには何が向いているかは、結局やってみないとわからないでしょう?」


「うん、そうだね」


 どうやら彼女は 幼稚園の時はかなり出来る子だったらしい。


 ルックスが秀でているうえに、何でもできる人間は、特に同性に対してのコミュ力がないと、羨ましがられ、嫉妬され、恨まれ、煙たがられ、挙句の果てに嫌われてしまうパターンが多い。


 実際そこまで極端ではないが、南木なみきさんがそのタイプだった。


 もっとも最近の南木なみきさんはだいぶ変わってきたと思うけど。


 実際のところ幼稚園や小学校ではご近所さんとしか接点がないことが多いが、中学、高校、大学と進学すれば、学校に集まる人間の範囲もどんどん広くなっていくから、幼馴染よりも魅力的な異性に出会うことも増えるだろう。


 だから、仲のいい幼馴染であろうとなんだろうと、結局は相手に好かれる努力を続けることが必要なんだよな。


 まあ俺が火の鳥ファイヤバードに対して願った、”羽賀の幼馴染の女の子を救ってあげられないかな?”というものはたぶんかなえられたのだろう。


 あんな悲しい思いをしないで済んだならそれに越したことはないよな。


 まあ幼稚園の時はめちゃくちゃできる子でも、高校くらいでは普通になってるかもしれないし……まあ頭の良さは県立船橋高校に入ってる時点で相当なものだと思うけど。


 などと考えていた俺はその甘さを翌朝に痛感することになる。


 日曜日ということでいつもより遅く起きた俺はいつものように顔を洗い歯を磨いて、朝食を取りにダイニングへ向かう。


 そしてそこに二人いる女性にびっくりすることになる。


 一人はお母さんで……。


「お母さんおはよ……あれ?

 一二つまびらさん?

 なんでここに?」


 そう、もう一人は幼馴染である一二つまびら文香ふみかだったのだ。


「えへへ、あっちゃんおはよう。

 せっかく、お隣さんになれたし、お料理のお手伝いしようかと思って。

 あと一二つまびらさんなんて他人行儀な呼び方じゃなくって、僕の呼び方は昔みたいにふみちゃんでいいよ」


「え、ああ、了解。

 ふみちゃんは引っ越しの片付け終わったの」


「あはは、実はまだなんだよね」


「何なら部屋の片付け手伝おうか?」


「いや、それはちょっと……まだ僕の部屋片付いてないから」


「ああ、部屋が片付いていないなら見られたくないのが普通だよね」


「そういうことだぞ」


 まあ、普通の感性の女の子なら片付いていない部屋の片付けを手伝わせるはずもないか。


 とはいえ風俗の寮に住み込んでいる風俗嬢はめちゃくちゃ部屋が汚いことが多かったからなぁ。


 たとえば、テーブルの上には水とたばこの吸い殻の入ったペットボトルが何本も置きっぱなしだったり、洗濯もしてない下着が置きっぱなしだったり、ごみで足の踏み場もなかったり、風呂やトイレがめちゃくちゃ汚かったり、なんてのはよくあったから、女の子の部屋は綺麗に整頓されているものだとも思ってはいないけど。


「ふみちゃんは、俺のお母さんの料理の手伝いって、引っ越してきたばかりなのにそれで大丈夫なの?」


「え、僕にとってはあっちゃんはピンチの時に助けてくれた王子様なんだよ。

 幼稚園の時、女の子に生意気だっていじめられているところを助けてくれたでしょ?」


「え、そうだったっけ?」


「うん、そうだったんだ。

 特に女の子の場合は転校生は『仲間外れ』になりやすいんだけど、助けてくれたのはあっちゃんだけだったよ」


「そっか転校すると顔見知りもいないから大変だよね……」


「女の子の場合は特にそうなんだよね。

 高校にもなるとあちこちに学校から人が集まってくるからそういうのはないけど……。

 ね、もしも僕になにかあったらあっちゃんはまた助けてくれる?」


「うん、もちろん助けるよ」


「えへへ、よかった。

 だからね、あっちゃんには僕をもっと知ってほしいし、僕もあっちゃんをもっと知りたいんだ。

 とりあえずは朝ごはん食べたらこの辺りの案内をお願いしてもいい?」


「ああ、いいよ。

 幼稚園のころとは結構変わったりしてるしね」


「やったぁ、あ、お料理の手伝いにきたんだからそっちに戻るね」


「あ、うん」


 今の彼女なら俺じゃなくても助けてくれる奴はいそうではあるのだが、おそらく羽賀の件を俺が”なかったこと”にしたからこんな感じになってるんだろうな。


 しばらくして。


「はーい、カリカリベーコンのスクランブルエッグだよ」


「おお、美味しそうだね。

 いただきます。

 ん、ベーコンはカリカリに焼かれていてコクがでてるし、スクランブルエッグはふわふわですごくおいしいよ」


「えへへ、よかった」


 偏差値73の学校に通っていて料理も上手な女の子に優しくされているからといって、それに胡坐をかいていたら羽賀と同じように、ほかの男に引っかかるなんてことがあってもおかしくはない。


 無論それで彼女が幸せになれるならいいのだが、騙されてろくでもない男にひっかかるようでも困るしな。


 世話焼きで、男に尽くすタイプの女性はダメンズほいほいになりやすいのは間違いのない事実だし。

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