第21話 恋や愛とは何なのか、高校生のうちにそれが知りたいものだ

 さて、家の大掃除をして家じゅうピカピカになって気分もすっきりした。


 そして、お母さんが夕飯を作ってくれている間に風呂に入ってしまい、風呂から上がったら、しばらく自室でのんびりするとしよう。


 洗濯やアイロンがけもそうだが、掃除は受付があるイメクラでは、毎日開店前や閉店後に必ずやることであったこともあって、動作などがすっかり体に染みついていたようだ。


 イメクラで働いたことによって、そういった家事やコミュニケーションなど、いろいろなスキルを身に着けてるよな。


 そういえば、中垣内なかがいとと俺で撮った、動画の再生数はどうなったかな?


 俺はパソコンの電源を入れて確認してみることにした。


 そして確認したところ再生数はさらに伸びて2万回に達したようだ。


 ユアチューブにアップロードされている9割にあたる88%の動画は、再生回数が千回以下で、千~1万回は8%、1万~10万回で2.8%程度だからこれはかなり良いことだ。


 まあ、再生回数が伸びたのは中垣内なかがいとのルックスやスタイルがかなり良いことが大きいのだが、もう一つの理由としては俺が風俗で働いていたときに、店のHPや写真指名用写真などの画像や動画の撮影の時にカメラマンをやっていて、女の子の撮影にも慣れているからだな。


 女の子を撮影するときは、当然ながらがちがちに緊張していたらまずいので、リラックスさせて、いい表情で撮影できるように、ある程度会話で緊張をほぐしたうえで、客受けのいいポーズなどをとらせたりしていたから、それを知識としてついつい使ってしまったのだろう。


 そうすれば中垣内なかがいとは笑っている魅力的な姿で、さらに角度などが見栄えが良い状態で動画に映っているわけだから再生回数も増えるはずだ。


 ついでに言えばそういう時の撮影は、女の子には制服を着せてから、それを少しずつ脱がしていき、最後はショーツ一枚だけということも多い。


 そして、そういった格好の女の子を見たところで別に興奮したりするわけでもなくなってしまうわけだ。


 HPの画像を見るたびにいちいち興奮するわけもないしな。


 この辺りはもう職業病なのでどうしようもないが、今の俺も、仮に何らかの理由で中垣内なかがいとの裸など見てしまっても、それに対して全く何も感じないかもしれない。


 それは正直なんだかなと思ったりもするが、こればっかりは実際にそういう状態になってみないと、どうなるかわからない。


 ただ、サイデでのフリーザー様での呼び出しは”前”には一度もやったことがなかったのでやってみたが、意外とワクワクしたのだ。


 となれば、前にやったことのないことを今回体験してみたら、ドキドキやわくわくといったものが楽しめるのかもしれないな。


 前は母を亡くしてから、母の愛にかなうものなどないという思い込みがあったからか、ソシオパス的気質になってしまい、恋や愛というものを知ることはできなかったように思う。


「愛は自己犠牲で、恋は自己満足。

 愛は真心、恋は下心。

 愛は与えるもの、恋は奪うもの。

 か、今の俺には何があるんだろう?」


 何度かデートをして、ホテルへ行って肉体的関係ができれば、その相手との愛というものも生まれて来るのかもと思っていたりもしたが、少なくとも俺の場合はそうでなかった。


 おそらく恋とか愛というものは、もっと感情的なものなのだろう。


 だから今度は、この高校生活でそれが何なのかを見つけられたらいいな。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る