508 パン工房オープン(前)
「何しに来たんだよ!世間体気にして見舞いのフリかよ!」
窓ガラス越しに。見舞いに来てくれた家族に向けて暴言を吐く俺。
俺の何度めかの継続入院なんて、世間でいうコロナ禍の真っ最中だったからね。まともな見舞いになんか来れないのに。そんなことすら理解できなかった狭量の俺なんだ。
「お前もだ!なんか言えよ!」
「‥‥」
「もういい!2度と来んな!」
そう父親にも言い放った。元々口数の少なかった父親に。
「もうすぐ俺は死ぬからせいせいすんだろ!こんな奴が居なくなって!」
「「「‥‥」」」
家族の皆んなが押し黙っている。
「なんか言えよ!」
「言えよ!」
「もういいよ‥‥」
「帰ってくれよ。鬱陶しいんだよ‥‥」
あっ夢だ‥‥
久しぶりに夢を見た。
あっちの世界での俺は、この後いよいよ立てなくなるんだよな。トイレにも自分で行けなくなるし。
苦痛で寝れない日々。唯一の楽しみが2次元世界だった。それ以外に逃避する術さえ知らなかったんだ。
ただ1人の味方だって勝手に思いこんでいた東北の爺ちゃんが死んだとき。俺はその葬式にさえ行くことを許されないくらい具合も悪かった。
時を同じくして俺もますます痩せ衰えていった。
爺ちゃん‥‥
なんで俺こんなことになったんだろ?
せめて家族とはもうちょっといい別れ方をしたかったな。
なんでかな。
なんでだろ。
病床の俺と異世界転生した俺が混在した真っ黒闇のベッドの中で目が覚めた。
すーっと涙がこぼれ落ちる。
目線の端には、ただ俺をじっと見つめているシルフィがいた。
もっとちゃんとしてればよかったな。悔いだらけだよ……。
次目が覚めたら。
今度こそちゃんと生き切ろう。
―――――――――――――――
俺に負けて最初は不満タラタラだった学園の先輩たち。
でも得意分野や興味のある分野で狂犬団の活動に参加してくれっていう募集に応えてくれた先輩たちも多かったんだ。もちろん狂犬団には入りたくないって人も一定数いるけどね。
帝都学園生3,000人弱のうち、狂犬団員1,200人・準狂犬団員(賛助会員って言ってるよ)1,500人・その他すべてに反対する人?300人が今の割合。
そりゃ強制的に団員参加させりゃ全員狂犬団員にできるけど、その方向はやめたんだよね。だってそれじゃあ独裁者だから。
狂犬団員は今の数で充分いいんじゃないかな。
―――――――――――――――
『パン工房始めます。パン作りからパンの販売に興味のある人は青雲館まで』
いつもの購買(コンビニ)掲示板にこう告知したんだ。
何人か集まってくれたらラッキーだなって思ってたんだけどね……。
「「「団長、俺ら(私たち)一生懸命やるから‥‥よろしくお願いします!」」」
6年10組の男子を含めて。料理に興味のある学園生が集まってきた。
なんと募集した予定人数に対して応募者数が多すぎて、抽選になったみたい。
パン工房はいずれは青雲館の子どもたちに引き継いでいく予定だけどね。
俺が焼いたパンが美味しいから自分も焼きたいってなったんだよね。
これも模擬宿泊のおかげかな。
別に変わったパンを作るわけじゃないんだよ。昔まだ元気なころ、大好きな爺ちゃんに教わったまんまの作り方だし。
パン作りに使う小麦粉。外皮も含めて挽いたものは小麦色の肌のパンができるし、外皮を除いて真っ白な粉から焼いたパンは真っ白になる。そんなことは元の世界じゃ当たり前だよね。
ブードの実から興した自家製酵母も普通に普通だし、加水率は若干高めだけどこれも大したことないと思う。
焼くのも煉瓦造りの石窯タイプ。これもごくごくふつうにふつうなんだと思うんだけど……。
だけどそのふつうがこの世界ではまるで異質、上質なものだったんだ。
「白いパンなんてありえないわ」
「やわらかいパンもまったくありえないわ」
「「「ありえない尽くしよね」」」
まあ俺にすれば比較対象がカチカチで不味いバゲットだから、ありがたいっちゃぁありがたいけど。だってあのパンしか知らないんだから勝負にさえならないんだもん。
「えーっと小麦粉が500gに水が380g。あと塩が‥‥」
みんながメモ帳片手に真剣モード。目つきまで違う。なんかうれしいような怖いような。
「団長、パンのレシピも商業ギルドで登録が終わったっす。早く販売のゴーサインを出してくれってギルド長も言ってたっすよ」
「ハチの父ちゃんが?」
「そうっす。って違ーう!
でも父ちゃんもこのレシピを売り出せばすごいことになるってまたホクホク顔になってたっす」
「あはははは‥」
この世界、元いた世界より優れているのが特許権。形のあるなしに関わらず、何かを生み出したものを登録できればその権利者への優遇措置は元いた世界以上にすごいものなんだよね。
パンの製造レシピでさえも商業ギルドに登録さえできれば売り買いできるものなんだ。
逆にいえば登録された人のアイデアをパクるという行為は忌むべきものとして中原中の人々に捉えられているし、事実登録されたアイデアの盗用は厳罰の対象になるんだ。
以前俺のマヨネーズや粉芋の模造品を作って売り捌いていたアザリア領の鎮台ジャビーやその御用商人のゼニコスキーみたいにね。
(ジャビーやゼニコスキーがいない今もアザリアからは賠償金という名前のものが振り込まれているそうだし)
ロジャーのおっさんの結婚披露宴のときに供したパンは登録されてるみたいだけど、今回はパンの製造に関しての簡単なレシピ。
これでたくさんのひとにとって不味くて堅いばかりのバゲットがうまい主食へと変わるはずだよ。
「団長このあとは販売員の指導に移ります。販売マニュアルもここに‥‥」
狂犬団員のパン工房。この部門での秘書的立ち位置はおギン。
おギンが全体のスケジュールを管理してくれているよ。
「お兄ちゃん、朝ごはんのパンはアリサがずっーと作るからね!」
なぜか常に俺の横にいて手伝ってくれてるのは妹のアリサ。自慢のかわいい妹だよ。
―――――――――――――――
青雲館の手前。通りに面した敷地内のここにパン工房を作ったんだ。
パンを焼く匂いも集客につながるからね。
2階建。
某ハンバーガーチェーン店みたいに1階はパン工房と販売所、イートイン。2階はすべて備えつけのテーブル席のイートイン。
できたパンは学園内の購買(コンビニ)とこの工房併設の販売所で売るつもり。もちろんイートインで食べてもらってもいい。
もちろん冷えた水は飲み放題のウォーターサーバーで。
ウォーターサーバーは1階、2階に各1台。合計2台設置してあるよ。
毎日のウォーターサーバーの準備は、俺の魔力修行にもなるし。俺がいないときはガタロの魔石に頼ればいいだけだしね。
「団長、水もお金をとったらいいんすよ!」
「それは違うってハチ。こんなことも損して得とれなんだぞ」
「‥‥。勉強になるっす」
▼
「うわっ!やわらかっ!」
「なにこれ!」
「真っ白なパンなんて初めてみたわ!」
「「「美味し〜い!」」」
「アリサちゃん毎日アレク先輩の作るものを食べてるのよね?」
「うん」
「「いーなぁ、羨ましいなぁ」」
「えへへ」
試食会も大好評だった。
中原でパンといえば石のようにカチカチに堅いバゲットがふつうなんだよね。だからヴィヨルドでも俺が焼いたただの白パンやバゲットでもみんなから大絶賛だったんだ。
だからパン工房は絶対に当たるよ。
バゲットは食感を活かした普通に硬めのバゲットと具材をサンドすることを前提にした柔らかいソフトフランスパン。どっちも作ることは簡単なんだよね。もちろん食パン、コッペパン、揚げパンもね。
パンは小麦粉の熟成時間と加水の量でまるで違ったものが焼けるんだ。
「じゃあ最初の販売するパンはこれね」
「「「はーい」」」
購買と販売所で売る第1弾はジャムパンと揚げパン。食事用のバゲット(フランスパン)の大小。
購買での販売価格(販売所価格)
・ジャムパン 200G(400G)
・揚げパン 200G(400G)
・バゲット(小) 150G(300G)
・バゲット(大) 200G(400G)
バゲットをほんの少しお値打ちにしたのには理由があるんだ。
「バゲットは食事パンだからな。高いのなんざぁ俺は認めん」
そんなふうにいつも爺ちゃんが言ってたから。
バゲットは2種類あるんだ。柔らかいソフト仕様と堅めのもの。購買用のバゲット(大)は学園生にあんまり売れないって思ってたんだけど‥‥
「団長、バゲット(大)ももっと増やしていきましょうよ。男子なら安くてたくさん食べられるバゲットも売り切れになりますから」
「そ、そうだね」
まさかバゲット(大)をふつうに1人で頬張る男子が現れるとは予想外だったよ。
「じゃあパンの販売は明日から。工房のスタッフは朝5時スタートだからね。
あと売店への配達スタッフ、午後からの工房スタッフも販売所のスタッフも授業が終わり次第すぐに集合よ。みんなわかった?」
「「「はい!」」」
「団長もわかった?」
「はい」
さぁ明日は一足先にパン工房のオープンだよ
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